若生のり子=誰でもポエットでアーティスト

文字さえ書ければ、ポエット
感覚次第で、何でもアート
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若生のり子の絵が岡本充弘著「開かれた歴史へ」=脱構築のかなたにあるもの:のカバーになりました

2013-03-16 | Weblog




御茶の水書房の代表取締役・橋本盛作氏から、わたくしの絵をカバーに使いたいという依頼が昨年末にあり、この本が2月1日付で出版されました。

このカバーは本来なら昨年末に仕上げなくてはならないことだったようで、時間がなくDMから起こしたもので刷りの調子(色、ピント)はイマイチで残念至極なのですが、、、。

この「開かれた歴史へ」=脱構築のかなたにあるもの=は:

ご覧のように帯に<近代と国家の呪縛から歴史を解き放つ 歴史は誰のために、そして何のために語られ続けてきたのだろうか。開かれた歴史を論じた明快な議論>と書かれ、

<歴史とは何かと考えていくさいに重要なことは、過去を歴史が正確に再現しているかというよりも、むしろ歴史が今どのように行われているのかを考えていくことである>

ジェンキンスがよくもちいる言葉に「歴史を行なう」(doing history)があり、

<現代の社会においても、あるいはいかなる社会においても、歴史は行われてきた。歴史は専門的な研究者のなかにだけ存在しているのではなく、人間としてそれなりの認識能力をもつすべての人々のなかに存在している。>

<過去実在はけっして文字ではないからである。ローゼンストーンも指摘しているように、過去は光景であり、音声であり動きを伴ったものだった。それを文字というきわめて限定的な表現能力しかないもののなかに固定することには、おおきな限界があった。>

<「歴史は歴史家だけのものだけでなく、むしろその客体とされる側を主体としても考えるべきものである。そう考えた時に浮かび上がってくることは、しばしば実証性や史実性を根拠に排除されてきた歴史の存在である」と要約することのできる保苅実の主張は、近代という枠組みを背景として、事実をその根拠として成立してきた歴史学が、そうした事実性を根拠に、他者のなかに多様なかたちで存在していた歴史を排除するものであったということを、的確に指摘するものであった。>

等々、「目から鱗」というかとても興味深いものでした。

私の絵がこの岡本氏の表紙カバーにつかわれたことは光栄なことでした。

参考図書:保苅実氏の「ラディカル・オーラル・ヒストリー」オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践