大学は夏休みに入った(通訳/翻訳)

2011-08-04 10:30:37 | お奨めの本
 今日は通訳と翻訳のことについて。

 今週月曜日に大東文化大大学院の前期授業が終わった。震災後、通常通りの始業だった青学は1ヵ月前に終わっている。夏休みは、普段、読めなかった本も読める。

小説
吉村昭 『海の祭礼』文春文庫 
吉村昭 『ふぉん・しいほるとの娘上・下』新潮文庫

 この2つの小説は、幕末から明治維新にかけての長崎通詞がでてくる。特に、『海の祭礼』は後半、ペリー来航の折、日本側外交団の主席通詞 森山栄之助がでてくる。

 通訳については、たくさん単語や対応する訳を覚えるだけでは、そのうち、学習に行き詰る。通訳に興味があるのであれば、その人たちが出てくる小説は読んでおいた方がよい。大先輩の歴史小説だ。私も恩師の近藤正臣先生に奨められて読んだ。


 大東の大学院の学生には配布したが、下記URLに、日本通訳翻訳学会のジャーナル『通訳翻訳研究』誌に2004年に掲載された私の論文が掲載されている。日本通訳翻訳学会では、ジャーナルに掲載後2年経つと、ネットにオープンになる。

渡部富栄(2004):「事例から見た通訳者の語用論的アプローチ」『通訳研究』第4号 pp.41-62.
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jais/kaishi2004/pdf/03-02-watanabe(final).pdf
(最後に記載されている著者のメールアドレスは今は、使っていない)

 語用論とは、簡単に言えば、人間は言葉を使うには、意図や目的があるから使うという考え方をベースにしたものでそれまでの文法主体の言語学でカバーできなかったところを埋める理論だといわれている。コミュニケーションの問題は、言葉が分からないのではなく、話し手の意図が分からないから起こることが多い。文脈の中から話者の意図を推論して、それをどのように訳に明示していくのかを検討している。通翻訳の実務をしている人に参考になるかもしれない。

 通訳の志望者は、非常に真面目で、膨大な単語や文例を覚え、頭からの訳をくり返し、聴き取りの訓練をしていく。でも、それだけではそのうち、壁にぶつかる。文脈・論理の理解と再現ができないといけない。こういうと、単語を覚えることが苦手な人は、そんなにやらなくてもよいのかと、安心するようだが、語彙の少ない通訳者はいないので、いつも増やすことは心がけないといけない。でも、先に述べたことはとても重要だ。参考までに、今の日本通訳翻訳学会会長の船山先生によるその趣旨の記述が下記のURLにあるので、興味のある方は読んでほしい↓
 
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jais/html/tu_hon_journal/html/03_funayama.html

 推論は、通翻訳に限らず、すべての専門領域での内容の理解に通じることだ。医療関係者にも参考になると思う。
 拙著、渡部富栄著『対人コミュニケーション入門 看護のパワーアップにつながる理論と技術』(ライフサポート社刊)では、「2.3聴く」のセクションで、語用論の考え方を使って患者の発言の意図をどうとらえるのかを説明している。
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ドラマに出てくるナース

2011-08-02 22:29:19 | 看護/医療全般
 テレビの医療ドラマ、特に医師が主体になっているものでは、ナースの描かれ方が変だ。医師が主人公だけに、ストーリーとして「医師を助ける」、「医師の補助」という立場でナースが描かれることになるからだろう。いつかこのブログで紹介したアメリカのthe Center for Nursing Advocacy(以下、センター)は、メディアの中でも広告業界が最悪だと(卑猥な恰好のナースを広告に使う)としながら、TVドラマも問題で、優しい天使だが、医師の横で物を持って立っているというのが良い方で、ナースを馬鹿にしたせりふもあると、Grey's Anatomy を例に出していた。(the Center for Nursing Advocacyへの英語のインタビュー記事:http://www.medscape.com/viewarticle/524602)

 メディアによる不適切なナースや看護の描かれ方をされると、世間一般の人々は、看護とナースが果たす役割を正しく理解・評価せず、ナースの存在が軽視されるとになると、センターでは、ネットを使って抗議をし、当該メディアに対して回答と改善を求めていた。世界全体がナースの不足を抱えているときに、男女広く、看護を学ぶ若い人たちを増やしていかなければならない。看護が正当に評価されないと、予算の配分も少なくなる。今の厳しい労働状況がさらに厳しくなり、質の高いケアを提供しようにもできなくなる。このような悪循環では、ナースになりたい人を増やすことができないし、最終的には、人々の健康が脅かされることになるからだ。

 ERは、とてもよくできたドラマだと思う。医学の知識や用語も監修を受けているだけ、しっかりしている。救命救急センターの臨場感がとてもよく出ている。ただ、以前、引っかかったところがあった。ナースの中で医師になるために、メディカルスクールへ入学した人がいた。それはあることなのでよいのだが、途中で、勉強と学費で行き詰ったとき、別の医師が励まそうと、「ここでがんばるか、あきらめて看護師で甘んじるか」と言っていた。「甘んじるか」か。。。問題だな、思っていた。ちょうどそのあとになるが、2006年、日本看護連盟のアメリカの看護団体視察に通訳者として随行したとき、the Center for Nursing Advocacyにも行ったのだ。そのとき、ERのこともセンターは指摘しており、ERの作成側には抗議をしたらしい。センターの会長であったSandy Summersは、そのとき、「ナースのなかで医師になる人が出ることを問題にしているのではなく、ナースが医師のジュニア資格のように表現されていることが問題なのだ。看護には独自のしっかりとした理念と教育の体系があり、博士号が取れる専門領域だ。ケアリングとサイエンティフィックな両面を兼ね備えたいろいろな勉強や経験ができる魅力ある分野だ。モチベーションの高い上級の学校を目指すナースが行くのは医学部だという印象を一般の人々に与えてしまうと、医師の下位にナースが存在するという見方を払拭できなくなってしまう。このような状態で、多くの子どもたちにナースを職業に選んでほしいし、親にも自分の子どもに薦めてほしいのに、それが叶うだろうか。世界的な看護師不足を考えると、ドラマでのこういう描写は改善させなくてはいけない」と強調していた。実際、センターは抗議をしたあと、ドラマERでは、CNS(クリニカル・ナース・スペシャリスト)が出てきて、看護や医学の学生やレジデントにベッドサイドで手技を見せて指導しているというシーンが登場したそうだ。(でもこのCNSは最後はやりにくい患者とけんかをして解雇されたという顛末になっているそうである)。

 ナースから医師になった人はいる。考え方として、看護の経験を経て、診断や治療法、その組み合わせに興味を持ち、医学を志すことは本人の重要な選択だ。でもそれは、ひとつの分野でより高いレベルに行くことではない。実際に、その反対の方向、つまり、医師から看護師になった人もいる。日本では、山内豊明氏がよく知られているが、それ以外にもいる。共同体のなかで現実に生活をしている人間として患者をみることは、医学ではできない。医学モデルの限界から看護を一から勉強してナースになったのだ。(山内氏へのインタビューがネットにある。参考まで↓)
  http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n1997dir/n2253dir/n2253_03.htm
  http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2005dir/n2647dir/n2647_02.htm  


 ドキュメンタリー番組(例えば、NHKプロフェショナルなど)では、看護はしっかり取り上げられている。TVドラマでも、「ちゅらさん」のように看護で監修を受けたものはよい。でもそれ以外は、やはり、メディアでの看護とナースのとり上げられ方や描かれ方は注意をしておかないといけない。
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PHC(Primary Health Care、プライマリー・ヘルス・ケア)

2011-08-01 20:49:07 | 看護/医療全般
笑われるかもしれないが、『JIN-仁』の文庫版を全巻買って読んでしまった。コミック版は、アマゾンでは中古にしかなく定価よりも高かった。仕事の帰りに電車で座って読んだ。電車の運行中、電気が少し暗くなるので、文庫版の小さい字は見にくかった。その様子に周りの人は変に思ったと思う。そこしか読む時間がなかったので仕方がない。マンガを読むのは、何年ぶりだろうか。25年は経っているかしら。(ちなみに、最後に読んだのは、『ゴルゴ13』だったと思う。出生に複数の説があった)。
 
 ドラマについては、私自身がタイムスリップ物が好きだというのと、だいぶ前だがNHKBSドラマの『アフリカの蹄』で大沢たかおが印象に残っていたというので、見始めた。ドラマ完結編の最終回が終わったあと、主人公の仁について、「この人はこれだけの喪失(loss)からどう立ち直るのだろうか」と思い、私の方が喪失感に襲われてしまった。あれだけ真剣に生きて生活した時代と時間、愛する人、仲間、そして共同体から離れてしまって。きちっと受容の段階(喪失からの回復にはグリーフ・プロセスと同じものが必要といわれているが、この話はまた別の機会に)までいけるかしら。江戸時代には共感して傾聴してくれた咲がいたし、周りの人とのコミュニケーションも密だったけど、現代にもどったらサポートシステムはないじゃないの。などなど、思っていたら、その勢いで全13巻買ってしまった。

 仁が現代の東京の大学病院で実践していたのは、三次医療(tertiary care)だ。大学病院の脳神経外科の医局長で、最先端の精密医療機器を使って高度な手術を行う専門医(Specialist)である。大学病院のER(emergency room:救命救急センター)は、アメリカでいうと、Level One Trauma Center(Level oneは、最先端のERの認証で、脳外科医などが常駐しているなどの要件がある)になる。

 他方、江戸時代にタイムスリップした仁が実践したのは、一次医療(primary care)だ。はしかやコレラといった感染症に対する環境整備、脚気への栄養指導と工夫。外科に関わらずなんでもするジェネラリスト、GP(General Practitioner:一般医)だ。

 注射、点滴のセット、麻酔、ペニシリン、アンビューバック、ラリンゲルマスクなど治療技術や器具が息つくまもなく次々に登場するのは、さすが医師のドラマと思った。でも、その中で私が関心をそそられたのは、コレラのときの清潔不潔領域を区別(いまでいう、パスボックスの原型も含めて)、火事や紛争など大量傷病者発生時のトリアージといった現代の感染管理方法など、使える方法の導入だった。現在は、感染管理ナース、トリアージナースなどといった専門的なナースがいる。

 プライマリー・ケアは、その名のとおり、第一義的なケアだ。国立国語研究所「病院の言葉」委員会の報告書(2009)では、プライマリーケア(総合的に診る医療)となっている。GPの主領域だとされている。ただ、広くは地域や共同体に根ざした生活をしている普通の人々へのケアであり、人々をエンパワーするもので、高度先進医療とはまた違った興味深いエキサイティングな領域だ。、実は、ナースの役割が重視されて期待されている領域でもある。

 これをWHOでは、PHC(プライマリー・ヘルス・ケア)といい、人間にとって必要不可欠なケアのことを指す。1978年に旧ソ連のアルマアタ(カザフ共和国の首都)で開かれた、WHOとユニセフの呼びかけによる会議で出た「すべての人に健康を」(Health for All by 2000 and beyond:アルマアタ宣言)で定義された。

 世界では感染症(infectious disease)は今も変わらず脅威だ。マラリア、結核(TB)が再興し、多剤耐性結核(MDR-TB、multidrug-resistant tuberculosis)が現れ、HIV/AIDSがある。強毒性(highly virulent、lethalということ)新型インフルエンザの大量発生(outbreak)、世界的流行(pandemic)への懸念も大きい。だが、時代は変わったことも確かだ。
 現在、WHOが注力しているもう1つのことは、NCD(non-communicable disease)といわれる慢性病/生活習慣病だ。(興味深いのは、communicableか否かで線引きしていることで、WHOでは感染症は最重要の問題であることの表れである。)現在、糖尿病、心疾患、脳卒中、がん、慢性呼吸器疾患などの慢性疾患が先進・途上国両方の大きな問題になっており、WHOは、NCD epidemic(蔓延)と表現している。そして、その中で強調されているのは、ナースの役割である。世界的に、保健指導とともに、僻地や途上国で実際のケアの提供を行っているのはナースであり、各国の看護教育で強化されている部分である。ICNの大会や文書でも、ここ数年、NCDのウェイトが高まっている。

 1つ、理念として大切なことは、プライマリ・ヘルス・ケアは、健康を守るというすべての人間の基本的人権に基づくものであることだ。健康格差を是正することは、その人の生きていく力を強化し対等な立場に押し上げる。人々をエンパワーするのだ。社会に対して看護が果たすきわめて重要な役割である。
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