土曜日に京王プラザで仕事だった。看護管理学会の大会だったのだが、2500人の参加登録だったそうだ。今年のICNのマルタの大会のときの参加人数もそのぐらいだったのではないだろうか。国際会議を超える規模ということになる。
フィンランドでのナースの職員配置のシステムについての講演セッションでの通訳だった。木曜日にも同じ内容でべつのところで、通訳はした。でも学会では、さすがに、具体的な解析を含めた方法に突っ込んだ質問が来た。
内容については、事前に、日本の看護必要度の本と、フィンランドの当該のシステムの論文を購入して読み、ネットの情報もカバーしていたので、質疑やディスカッションでも問題は感じていなかった。ただ、会議ではよくあることだが、質疑やディスカッションでは、問題が具体的になればなるほど、演者もなかなか、核心部分は話さず、攻防があることがある。だから面白いのだが、こういう場面の通訳は難しい。
「ディスカッションが日本語で行われていたとしたら、そうであるように、話者の曖昧なところは曖昧なように訳す。日本語だったら当然出るはずであろう質問が出てくるように訳すのだ」と私は近藤先生から教えられた。完璧なものはない。でも少しでも良い成果が上げられるように努力をつづけていくのだと。
そして、思い出したのは、島田正一氏がインタビューで「伊丹明の言葉で自分も一番同意したものだ」として紹介してくださった言葉だ:
「日本語と英語の間にはノーマンズランド(no man's land)がある」(大東フォーラム第13号p33)。(伊丹、島田両氏についてはこのブログの「8月15日に思ったこと」参照)。
この狭間で仕事をする限り、こうして悩み考え続けることができる。この言葉、よく分かる。
フィンランドでのナースの職員配置のシステムについての講演セッションでの通訳だった。木曜日にも同じ内容でべつのところで、通訳はした。でも学会では、さすがに、具体的な解析を含めた方法に突っ込んだ質問が来た。
内容については、事前に、日本の看護必要度の本と、フィンランドの当該のシステムの論文を購入して読み、ネットの情報もカバーしていたので、質疑やディスカッションでも問題は感じていなかった。ただ、会議ではよくあることだが、質疑やディスカッションでは、問題が具体的になればなるほど、演者もなかなか、核心部分は話さず、攻防があることがある。だから面白いのだが、こういう場面の通訳は難しい。
「ディスカッションが日本語で行われていたとしたら、そうであるように、話者の曖昧なところは曖昧なように訳す。日本語だったら当然出るはずであろう質問が出てくるように訳すのだ」と私は近藤先生から教えられた。完璧なものはない。でも少しでも良い成果が上げられるように努力をつづけていくのだと。
そして、思い出したのは、島田正一氏がインタビューで「伊丹明の言葉で自分も一番同意したものだ」として紹介してくださった言葉だ:
「日本語と英語の間にはノーマンズランド(no man's land)がある」(大東フォーラム第13号p33)。(伊丹、島田両氏についてはこのブログの「8月15日に思ったこと」参照)。
この狭間で仕事をする限り、こうして悩み考え続けることができる。この言葉、よく分かる。