日本の医療

2011-06-30 00:05:06 | お奨めの本
 日本の国民皆保険に代表される医療制度は、日本独特のものだ。日本人でもよく分からない。ちょっと時間の経ったものだが、
 
池上直己、J.C.キャンベル著(1996):『日本の医療 統制とバランス感覚』、中公新書

 が今ある本の中で、分かりやすいものだと思う。中医協の構成などが変わったことはあるにしても、歴史的な流れも書いてある。これには英語版がある:

John Creighton Campbell, Naoki Ikegami (1998):The Art of Balance in Health Policy Maintaining Japan's Low-Cost, Egalitarian System, Cambridge University Press.

 日本の医療をどう英語で説明したらよいのか、教科書とも言える本だ。

 キャンベル先生は、大東文化大学の国際比較政治研究所が毎年行うシンポジウムに、2005年ぐらいだったと思うが、発表者として来られた。そのときに通訳をした。このシンポジウムは、私の師匠の大東文化大の近藤正臣先生がいつも通訳をしているのだが、その年は、事情があって私がすることになったのだ。日本の医療経済学の研究者の第一人者だと知ったのはそのときだ。『日本の医療』は7万部売れたという。本当はアメリカ人に日本の医療をしっかり理解させたくて英語で出したそうだが、残念ながら、アメリカではそう売れなかったらしい。
 
 奥様は、Ruth Campbell氏で、ミシガン大学の老年医学研究所のソーシャルワークの責任者であった人で、今は東京大学の客員研究員だ。認知症ケアに関するチーム医療への提言など、日本のソーシャルワークの世界では有名な人だ。このお2人の通訳は、年に何回か、させていただいている。


 日本看護協会出版会の編集者の村上さんから、INR誌第152号(エビデンスに基づく看護実践のためのシステマティックレビュー)が届いた。いつものように International Perspectives を訳している。それと、先にウェブに載せてもらった「通訳ブースから見た世界の看護とナース:マルタCNR・ICN学術集会リポート」がpp72~73にある。村上さん、ありがとうございました。
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Regulation と Autonomy

2011-06-29 21:56:56 | 医療用語(看護、医学)
  professional regulation の訳は、「専門職規制」だが、これは、制度管理のことだ。訳は「規制」でよいが、専門職者を管理する規則のことなので、資格試験や免許、登録、免許更新といった制度管理のことを指している。訳す場合、状況に合わせ、「規制」、「制度管理」、「規則」など、使い分ける。

 国によって、また、同じ国でも州によって、こうした制度管理が異なることは、知られている。ただ、海外の話を聞くときに、「それは国や地域によって制度が異なるから」と片付けてしまうのではなく、ベースにある考え方の違いを理解して、制度の違いを考えることは大変重要だ。

 看護師や医師など、医療職者の制度管理で日本独特の特徴は、政府が管理していることだ。看護師では、保健師助産師看護師法が統括法で、国家試験と資格認定は厚生労働省が行う。

 他方、世界の基準的な制度管理は、専門職者の自主団体が資格試験を行い、資格認定をして、その資格を国に国家資格として認めさせるという制度を採っている。これは、専門職者のautonomyに基づくものだとされている。autonomyは、「自律」、「自治」と訳していることが多いようだが、「自己決定」「自己裁量」のことだ。

 専門職規制機関のことを、council、board、credential center などと言っている。資格認定機関のことだ。(英国の看護助産審議会:Nursing & Midwifery Council(NMC)、タイ看護審議会:Thailand Nursing and Midwifery Councilなど)
 こうした規制機関は大体が、当該国の看護師協会の関連団体なのだが、監査を入れて透明性を高めて、統治されている。

 各国で、政府の関与のレベルは異なるようだが、とにかく、世界的なレベルで言われる制度管理は自主規制なのだ。その背後にあるのは、専門職は自分たちで制度を管理していくという考え方である。

 政治的な思惑に左右されないということなのだが、これには経済が関わる。一例を挙げると、現在、世界各国ではコストカットの嵐が吹き荒れ、それが医療にも向かっている。特に看護は、病院の中ではともすればコストセンターだと見なされる。ナースよりも教育年限が短く賃金が安いけれども、ナースと同じ仕事をする、例えばphysician assistant(医師アシスタント)といった新しい職種がいつの間にかできて、ナースではなくてそうした人が雇用される。現実に、先進国、途上国の両方に生じていることだ。その結果、患者の安全が脅かされている。

 専門職として歴史もあり、制度として確立されていても、それは決して安泰ではなく、常に、そのような政治経済的な要素に影響される。そのために、政府の関与は極力減らして自主管理をするが、政府には、それを国家資格と認めさせる力を専門職は持たなければならないという考え方が、世界の方向であるようだ。現在、看護法すらない途上国が regulation を整備しようと努力をしている。彼らが目指し、そして国際団体がその実現を支援している制度管理のモデルは、その流れに沿ったものである。



 
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Midwifery (助産の) と Obstetric (産科の)

2011-06-25 20:16:40 | 医療用語(看護、医学)
 6月21日(火)夜、予定通りに帰国した。スケジュールどおりに進んだ。出発を除いては。

 12日(日)夜6:40、成田発のフライトが、航空機の機械の不具合で、どんどん遅延し、最終的には、調整がつかず、違う飛行機を使うことになり、3時間ぐらい遅れて出発した。そのため、香港で中1時間25分の中継のヨハネスブルグ向けのフライトに間に合わず、香港で1泊することになる。結局丸1日遅れでダーバンのホテルに到着。午後1時からの会議の開会に間に合うかとひやひやしたが、ホテルのチェックイン後に、スーツに着替えて、同じホテルの会議場で登録を済ませてbadge(大会身分証のこと)をもらってという手順をすべて終えて、着席して、開会となり、ぎりぎりセーフ。今回は、日本代表に同行していたので、遅れるのなら全員ということになり、通訳者だけ遅れるという最悪のことではなかったから、あせりはなかった。ただ、到着してすぐに会議なので、香港からヨハネスブルグまでの13時間は、できるだけ睡眠をしっかりとろうとした。みんな、同じ気持ちだったと思う。眠剤を半錠使って寝た。初日何とか終わって、ホッ。以前一度、復路のフライトで18時間遅れたことはあったが、往きは初めて。これらもあまりないと思う、スリリングで貴重な経験だった。


(写真は、ダーバン国際会議場1階。ICM3年毎大会の様子)

 助産はmidwifery、助産師はmidwive。産科看護師ではない。会議では、英、仏、西語の3ヵ国語が使用言語なので、それらの同時通訳が行われていた。スペイン語から英語への通訳者が、スペイン語で助産に当たる言葉をobstetric(産科の)と訳したようで、フロアの代表者から通訳に対してクレームが出て、一時進行が止まってしまった。座長が、「スペイン語にはmidwiferyに当たる言葉がたくさんあるが、(例を挙げながら)それらは obstetric ではない。midwiferyだ。また助産師はmidwifeと訳すように」とブースに向かって説明するという一幕があった。

 助産(midwifery)と産科(obstetric)は違う。平たく言えば、産科では医学的介入が行われる。しかし助産では、医学の介入を受けなくてよいように、女性と協働して、自然な出産を促し、母乳保育を促進して、母子の自然なつながりを守れるように最前の支援を行う。そのための保健指導は女性のライフサイクルすべてが含まれる。支援の範囲は家族、地域社会も入る。だから、midwifery を obstetric と訳してしまっては、どうしようもない。会議の流れを止めてしまうのは当然だ。辞書で obstetric の訳に「助産の」や、「妊娠出産に関連のある」を入れているものがあるが、それは違う。「助産の」は midwifery。また「妊娠出産の」という意味では、母子保健(maternal health)で使う maternal が、助産関連の英語学術文献で使われている。

 参考までにICM(国際助産師連盟)の助産師の定義↓http://www.nurse.or.jp/nursing/international/icm/definition/index.html 

 オーストラリアの代表から、「通訳をしていて、ICNとICMは大きな違いはあるか?」と尋ねられた。「もちろん、分娩第3期など、助産個別の専門的な内容もあるが、規制(regulation)や裁量(autonomy)という大きなテーマは共通している。おそらく、これは、現在の世界の助産や看護のキーワードなのだと思う」と答えると、大きくうなづいていた。

 専門職におけるregulation と autonomy は、この何年間、通訳をするときに格闘してきた言葉だ。社会との文脈で、いろいろな問題が関係する。

 
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持って行く本その他

2011-06-12 10:10:08 | 国際会議の通訳
 午後、ダーバンへ出発する。香港まで4時間、その後、ヨハネスブルグまで13時間、そしてダーバンへ1時間。中継も含めて20時間ぐらい。往きは会議資料の読み込みので終わる。帰りのために持っていく本を選んだ。
 アスキー新書の『看護崩壊』と『医療崩壊の真実』。この2つの本は、ネットでもいろいろな人が紹介している。

 もう1つは、Lynn McDonald(2010):"Florence Nightingale at First Hand", Continuum UK.
 秋に、フローレンス・ナイチンゲールのシンポジウムの通訳をする予定だ。そのための準備の1つとして読む。実はこの通訳をとても楽しみにしている。
 
 ナイチンゲールの『看護覚え書』(Notes on Nursing)は看護を学ぶ者は必ず最初に学ぶものだ。「看護とは」と説明される最後の「患者の生命力の消耗を最小にするように整えること」の部分は、私の頭の中に、今でもすぐに取り出せるように記憶されている。

 私が通訳者になって、驚いたのは、医師がナイチンゲールに関心をもっていることだった。ある小児科の大学教授は、邦訳されている著作をほとんど読んだと言っていた。医師が持つ「看取り」への関心と、ナイチンゲールの医療へ大きな見方への興味のようだった。

 看護を1つの専門職に引き上げただけでなく、ナイチンゲールにはいろいろな側面がある。国際的な看護の文献や会議で現在、よく言われるのは、「イノベーター」、そして「ファイター」。19世紀半ば、英国陸軍の野戦病院の兵士の死亡率を、換気や清潔など基本的な生活状況の改善で激減させた。それまで全く使われていなかった数字を使って告発し、英国政府に改善させたのだ。死亡者を母集団で割った簡単な統計だったが、今日、看護研究で積極的に使われる高度な統計解析も、実は最初に使ったのがナイチンゲールだった。統計を根拠にした記述をエビデンスにして政府に掛け合い、病院環境の改善に予算を配分させた。当時の軍を始めとした政府は男性社会。貴族出身であったのでそれなりの働きかけのルートは持っていたが、それでもすごい実行力である。
 強烈なロビイストという人もいる。
 
 国際的な看護の文献や会議では、いかに研究成果を看護のための政策変更に使っていくのか、議論されることが多い。また、そのような研究テーマが取り上げられる。先日のICNのダイアナ・メイソンがいっていた「研究、それだけでは十分ではなく政策変更に使われなければ」ということだ。そんなことは誰もしていない19世紀半ばにやってのけたのがナイチンゲールだ。そのために、メディアをどう使おうかと考えた人でもあった。

 この本の作者は、看護学者ではない。社会学者だ。世界に散らばるナイチンゲールの資料をほとんど収集して分析している。だから、とても関心がある。帰りの飛行機の中で読みきることはできないだろうけど、持って行くことにする。
 今度のブログの更新は、21日夜帰ってきて以降になる。
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通訳ブースから見た世界の看護とナース: マルタCNR・ICN学術集会リポート

2011-06-09 14:02:44 | ICN
昨日のブログでお伝えしたINR誌への私の原稿について、さっき、日本看護協会出版会の編集者、村上さんから、ウェブに掲載されたと、連絡が来た。
 「通訳ブースから見た世界の看護とナース〜 マルタCNR・ICN学術集会リポート」が日本看護協会出版会のウェブ、「編集部のページ」上にアップされた。
http://jnapcdc.com/archives/1602

 写真もついている。拙書『対人コミュニケーション入門 看護のパワーアップにつながる理論と技術』(ライフサポート社刊)の紹介と、このブログへのリンクもつけてくれた。村上さんがきれいに仕上げてくれている。ありがとうございました。7月号のINR誌に掲載されるが、一足先にウェブに出してもらったことになる。
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