goo blog サービス終了のお知らせ 

金井Pak 雅子先生の著書『説き語り 看護経済学入門 エンパワーメントモデルへの招待』

2018-09-03 22:59:46 | 本・論文の紹介(看護)
 9月になった。明日から国際助産師連盟の合同地域会議(東地中海、東南アジア、西太平洋地域)で通訳のためにドバイに向かう。大変な暑さだった夏が終わり秋に向かいつつあるようだが、まだ夜もエアコンのお世話になっている。明日は台風が来るというので、空港まで無事に行けるか心配している。



 さて、写真の本であるが、一昨日、金井Pak 雅子先生から届いた、新著『説き語り 看護経済学入門 エンパワーメントモデル』である。出版社はライフサポート社だ。編集長の佐藤信也氏は、私の著書『対人コミュニケーション入門 看護のパワーアップにつながる理論と技術』も手がけてくれた。以前は日本看護協会出版会の編集長をしていて『インターナショナル・ナーシング・レビュー』誌を担当していた。自分の本を出してくれた出版社からではないが、ライフサポート社は本当に良い本を出す。今回も良い本ができた。


 金井Pak 雅子先生は、看護管理学、システム論の第一人者で、日本で看護経済学という新しい学問分野をリードしてきた。アメリカのペンシルべニア大学のリンダ・エイケンとも共同研究をしていた。国際看護師協会(ICN)の理事を2期務め、2期目は第一副会長であった。

 私が最初に金井先生に会ったのは、2009年南アフリカ ダーバンで開催されたICN4年毎大会の各国代表者会議。私は通訳をしていた。金井先生が最初の理事選で当選したときである。小柄な身体でどこからそんなにエネルギーが出てくるのかと不思議に思ったくらいパワーがあって驚いた。
 
 本の中では、大学院での学び、結婚、生活、病院での勤務など、アメリカでの生活を織り交ぜ、やさしい語り口で看護と経済の関係を説いていく。グラフや表だけでなく、オリジナルの図もたくさんあり、おそらく今後、日本の看護文献の中で引用されていくと思う。

 順番に読む必要はなく、好むところから読み始めてもよい。とても読みやすいのだが、内容は濃い。おすすめの本である。

https://www.amazon.co.jp/看護経済学入門―エンパワーメントモデルへの招待-金井Pak-雅子/dp/490408439X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1535985073&sr=1-1&keywords=%E7%9C%8B%E8%AD%B7%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80%E3%80%80
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Linda AikenのLancetの論文(看護労働の国際共同研究)

2014-04-18 14:23:28 | 本・論文の紹介(看護)
    今日は看護のことを書く。書きたいとずっと思っていたことである。
 
 私は通勤時間にpodcastを聴いている。その中にThe Lancet podcastが入っている。2月の末に突然、インタビューにLinda Aiken(リンダ・エイケン)が出てきた。びっくりした。現在進めている看護労働の国際共同研究についての論文がLancet掲載されており、それに関してのインタビューであった。やや高めの声で理路整然と、速いスピードで話していた。
 Aikenと共同研究者は、毎年ぐらい、Lancetに論文を出している。今年のものは下記からダウンロードできる。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(13)62631-8/fulltext#article_upsell

 Linda Aikenはペンシルべニア大学の看護学の教授で看護労働の研究では世界の先頭を走っている学者である。2010年のIOMの看護の未来レポートにも、Aikenが書いた看護教育に関する政策提言の論文が付属資料として掲載されている。自身では、1990年と2000年と10年ごとにアメリカの看護の未来を展望した本を出している。人口変化、経済・政治状況から、社会の保健医療ニーズを詳細に分析し、社会の保健医療のニーズを充足するために看護の実践の範囲(役割のこと)、それに伴う職員配置の充実や労働量、賃金の向上、そして教育の改善と、それに即した規制(資格認定、継続教育や免許更新)の整備に記述は及んでいる。
 
 ペンシルべニア大学は、1970年代に「ナースのケアはGPよりも質が高い」という世界の看護に影響を与えた大規模研究を行った大学である。詳しくは渡部富栄(2012):「IOMレポート『看護の未来:変化をリードし医療を強化する』がアメリカの看護にもたらすもの」『インターナショナル・ナーシング・レビュー』日本看護協会(81-88)を参照頂きたい。俗にペン大の研究と言われている。

 Aikenの研究で有名なのは2002年のJAMA(アメリカ医学会雑誌)に掲載された論文である。インターネットからダウンロードできる。
Aiken et al (2002). Hospital Nurse Staffing, Patient Mortality. Nurse Burnout, and Job Satisfaction. Journal of the American Medical Association, 288(16), 1087-1993. http://jama.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=195438

 内容は、ペンシルベニア州168病院のナース1万人と退院患者23.2万人から導き出したナースの職員配置と患者へのリスクとの関係である。1人のナースが受け持つ患者が4人を超えると1人増えるごとに患者の死亡率が7%、ナースのバーンアウト率が23%、ナースの職務不満足度が15%上昇する、というものである。

 Aikenは、何年か前から、RN4CAST(アールエヌ・フォーキャスト)という国際共同研究を押し進めている。欧州委委員会から研究費を受けている。看護労働に関するパラメターと患者のアウトカムとの関係を考察して、保健医療政策への提言ためのエビデンスを出している。毎回のICNの大会でもセッションが設けられているし、地域ごとの看護労働関連の会議でも、当該地域の共同研究者が発表している。今年Lancetに発表された対象の国はベルギー、イギリス、フィンランド、アイルランド、オランダ、ノルウェー、スペイン、スウェーデン、スイスである。

 インタビューでのAikenの発言で、とても印象に残ったことがあった。それを以下に記しておく。

 「各国間の医療水準の格差はあるのだが、実はそれ以上に大きかったのは国内格差である。最新テクノロジーを駆使した機材を整備した病院とそうでない病院の差は歴然としたものだ。医療財政を抑えるためにナースの配置数をカットして労働量を含めた職場環境が悪化し、それが入院患者の死亡率を引き上げることになっている。国内の施設間の技術格差は埋めることができなくても、ナースの配置を増やして働きやすい、やりがいのある職場を整備する政策を展開することで、その国の医療の質は確実に上がる。近代病院の使命は、入院患者の状態を在宅でケアできる状態までに改善することだ。患者が入院するのは、そうした状態にまで回復できるような良い看護を受けるという目的のためである。一国の医療レベル全体を引き上げる一番効果的な方法は、看護とナースに手厚い配慮をすることであり、そのための政策の実現が求められる」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Can(能力) vs. May(裁量):Barbara J. Safrietの論文から

2012-04-18 11:42:00 | 本・論文の紹介(看護)
  引き続き、Barbara J. Safrietの論文、"Federal Options for Maximizing the Value of Advanced practice Nurses in Providing Quality, Cost-Effective Health Care"(質と費用対効果の高い医療を提供するための連邦政府の対策:高度実践ナース(APN)の価値を最大化するために)について、注目すべきところを紹介する。

 この論文は、2010年10月に発行されたアメリカIOMのThe Future of Nursing(看護の未来レポート)のバックグラウンドペーパーの一つで、骨子はIOMレポートに反映されている。

 筆者は法学者で、1990年代から医療全体の規制の中で看護の規制を分析している。このペーパーは、IOMのレポートの中で紹介されており、価値の高さを示している。

 アメリカでは医療職者は州ごとに規制されていることを前回述べたが、その結果、APNについては州ごとでやっていいことダメなことが異なり、APNが効果的に活用されていない問題が生じている。「安全で質の高い医療を保障していくためにすべての医療職者が教育を受けた能力を最大限活用されなければならない」と2001年のIOMのレポートCrossing the Quality Chasm A New Health System for the 21st Centuryにはっきりと示されていることなのだが、州別の規制では、それに反して、不当に能力が制限される。

 Safreitは 医師の業務独占のことを"everything is medicine"アプローチと表現し、次のように述べている(要約)。
(IOM (2010):The Future of Nursing, p453) http://www.amazon.co.jp/Future-Nursing-Advancing-Institute-Medicine/dp/0309158230/ref=sr_1_fkmr0_1?ie=UTF8&qid=1328408510&sr=8-1-fkmr0

 「どの州でも医師には実際、あらゆる種類の医学あるいは医療介入ができる権限が与えられている。医師という資格で、婦人科、がん、整形外科、小児科、網膜手術、あるいは精神科など、すべての実践ができる。法律上、同じ医師がそれらすべてを診療できるということだ。ただ、実際にそうしていないのは、法律で規制されているからではなく、業界規範、常識、倫理、専門職団体の資格認定などに基づき、自主的に各自が実践の範囲を制限しているからである。ということは、医師の規制については、「できること(can)」よりもはるかに大きな範囲で「してもよいこと(may)が認められている。能力以上の裁量権があたえられているのだ。
 それとは対照的なものがAPNである。(社会のマイノリティーのケアを確保しなければならないと1970年代から実践の範囲を広げてきたが)医師の裁量範囲を切り分けるように政治的な活動を通じて獲得してきた経緯があるので、規制が追いつかない。してもよい(may)の範囲のはるかに先のことができる(can)のに、認められる裁量権は常にその能力よりも小さい。これでは、せっかくの専門知識と技術を無駄にしてしまっている」

 Safreitの論文ではこの記述の前段階において、看護にまつわる問題として看護の特徴ではあるが裁量権等の議論の足かせになっているものであるので、注意を促している。それは以下のことである。

1.実践の場が幅広い。明らかに国民の健康増進への寄与はとても大きい
2.しかし、経済的に見える化できていない。ともすれば病院のコストセンターと考えられる(ということは、看護の貢献を測れる指標、その実行のためのエビデンスの蓄積が必要)
3.教育が、短大、大学といろいろある。短大卒が60%ぐらいなので、APNの話をしてもナース≒短大というイメージが強い。こういう場合も、世の中の印象は下のほうに収れんし、能力が過小評価される傾向がある。だから、看護教育は大学一本化すべきだ
4.Care vs. cure 日本でこの話になると日常生活の世話か診療の補助かという議論になるが、ここでは、careはコミュニティー、公衆衛生でのナースの役割のことを指している。cureは急性期ケアのことを言っており、今後は急性期からコミュニティケアへケアの重点がシフトする。APNの保健指導を始めとした力の発揮が期待される。ただ、現状として公衆衛生にしっかりした評価(経済的な評価)が与えられていないので問題だ。

 医師の裁量権については私もすっきりしないものを感じていたが、ここまで正面切って法律の立場から整理したこの論文には驚かされた。
 
 この論文にはまだまだいろいろな興味深い内容がある。APNの実践の制約がもたらす経済的損失、一般の認知不足もマイナス要因として大きいのでナースのプロフェショナルアドボカシーの重要性、法/制度整備を目指すも議員の支援が続かないこと(政治家は専門職団体間の争に巻き込まれることをおそれ、得るものよりも失うものが大きいと判断する)、APNの実践の範囲を制限しようとする医師の嫌がらせについては不正競争法の適用が可能であること(実際に公正取引委員会が動いている)など。
 
 看護の実践の範囲は固定したものではない。現在の医療の文脈では実践の範囲は拡大しオーバーラップする。その前提で変化する実践の範囲についてエビデンスを蓄積し、証明して定めていかなければならないという大きな役割が看護研究にあったのだと、私は感じている。そこがちょっとほかの分野と異なり、今見ていてとても興味深く面白い。そして他の分野にとってもその視点はとても参考になる。

 ICNの機関誌の日本語版インターナショナルレビュー誌の7月発行の号に、私が書いたIOMの看護レポートのトピックが掲載される。一昨日、編集長の村上さんに原稿を提出した。ここで書いたことを含め、詳しく分析したことを記載した。単なるレポートの総花的な紹介ではなく、日本のナースにとって、参考になる内容にしているので、ぜひ、読んでいただきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Race to the bottom

2012-04-15 22:32:00 | 本・論文の紹介(看護)
  'Race to the bottom' の意味は、「底辺への競争」。経済学で使われる。どんどん低水準に収れんしていく状態。グローバルな自由競争を加速させるために、減税や規制緩和などのインセンティブを与えるのだが、労働環境や自然、社会福祉などが、最低の水準に向けてどんどん低下していくことである。

 この言葉を看護の文献で見た。先日触れたが、IOMレポートThe Future of Nursingのバックグラウンドペーパーの一つで、法学研究者の立場から、看護、特に高度実践ナース(アメリカではAPRNという)の実践の範囲について述べた論文の中でである。筆者は、Barbara J. Safrietで、論文のタイトルは、"Federal Options for Maximizing the Value of Advanced practice Nurses in Providing Quality, Cost-Effective Health Care"である。

 医療職者の規制は、日本と異なりアメリカでは州ごとの規制だが、APNではそれが特に問題だとし、連邦レベルでの一括規制の必要性をこの論文は主張している。

 現在アメリカでは、APNの実践について「医師の指示や監督」を必要としない州は16州とワシントンDCになる。これらの州ではAPNは自分の裁量で実践できる。1970年代から徐々に数を増やしてきたAPNであっても、残りの州では医師の指示あるいは監督が必要である。

 問題は、実践の範囲が制限されていない州で実践していたAPN(NPなど)が隣の州に移動して仕事をしようとすると、前の州で許可されていたのに今度の州では医師の監督がなければできないことが起こることである。処方・紹介・出生/死亡証明はできるけど処方箋や診断書は医師の名前でしなければならなかったり、保険請求も医師の名前でないとできない等、多くのことをリストアップできる。そうした制限や禁止を理由に近隣の医師やその団体から開業を妨害されたりしているという。
 
 このように州ごとで一貫しない規制では、世の中の傾向としてrace to the bottom、つまり一番レベルの低い状況に合わせる方向に振れやすく、より厳しい規制や禁止に向かう。しっかりと教育を受け資格認定しても、その力が発揮されず能力が十分に使われることなく、その結果、一般社会はAPNのケアを享受できない。大きな経済的損失になる。さらに、そのような規制/法律ではAPNが不十分だというイメージを強化してしまう。

 それと全く対照的なのが医師である。医師は、別の州に移っても実践範囲は変わらない。医師には医療の業務独占が認められ、実践の範囲は包括的で、州が変わっても、禁止や制約はなく、いつでも同様にすべてのことが実践でき、医療職者への監督にまでその権限は及ぶ。

 長引いた風邪も治まり咳も出なくなった(まだ心配だが)。前に言っていたSafreitの論文紹介を続ける。
                                つづく  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『看護師の仕事につきたい!命を救う看護のプロフェッショナル』

2011-09-30 10:08:52 | 本・論文の紹介(看護)
 本をいただいた。

 坂本すが著『看護師の仕事につきたい!命を救う看護のプロフェッショナル』中経出版刊

 坂本氏は、日本看護協会の新会長。先日のストックホルムの出張の時の日本代表だった。帰国後、すぐに届けてくださった。


 「教えて、先輩!私の職業シリーズ」の1つで、中高生に進路としての看護を説明した本だ。看護の面白さ、可能性、カバーする領域は広く、チャレンジできる内容も幅広く、将来的に魅力のある分野だと、リズムのよい文章で綴られている。表紙はコミックなのだが、女性と男性の看護師が並んで、それぞれが上を向き、期待に胸を膨らませているという感じだ。

 対象を意識して、読みやすくはしてあるが、内容は濃い。今の医療で看護の置かれている状況から、処方権も含めた役割拡大の話まで、よくまとまっている。看護職に適切だと思う本だ。

 通常、こういった本の書き方では、「保健師助産師看護師法(保助看法)*では。。。」と看護の法律の定義から入って、「療養上の世話」と「診療の補助」の2つから始まることが多く、ちょっとうんざりするのだが、この本はそうではない。

 私が一番いいなと思った表現が次のものだ。
「患者さんに寄り添うとか、優しい対応をするとか、じっくり話を聞くとか、ナースにはいろいろな役割が期待されています。これについては、もちろん私も異論はありませんが、まず、患者さんの生命を救うということ。ここにしっかり立脚してほしいと思います。。。」

 この文章には、著者の看護の考え方が明確に出ている。その前段ではフィジカルアセスメントの能力を強調して、急性期ケアで看護が果たすべきことを明確にしている。とても共感できる。

 看護の本でよく使われる「です、ます」調なのだが、一つ一つの文章が短い。メリハリの利いた文章で、情報提示も階層化されており、著者の考えの優先順位がよく分かる。

 坂本氏の実際に話す日本語がそのとおりで、短く、論理的にまとまっている。張りのあるよく通る声の持ち主だ。読みながら、あたかも、先日の仕事の続きのように、まるで耳の中にその声が入ってきて、それを訳しているような錯覚に陥った。

 中高生だけでなく、看護職にも薦められる本だ。

 以上。
--------------------
   
 *上記の保助看法に関して補足したい。制度管理で医療法と看護法があることは、大変重要で、その国の人々を守るために不可欠なことだ。看護法すらない途上国からすると、統括法を手に入れるだけでも、ものすごい努力が要る。ただ、私個人の意見では、看護を説明するときは、自分の考えを自分の言葉で語ることが必要だ。その自分の考えは、思いや情緒的なものではなく、今の世の中のニーズを踏まえた判断をベースにしたものであるべきだ。

 人々が必要とする看護は、時代とともに変わってくる。必然的に実践の範囲は変化する。そのときは、看護の本質的なものを踏まえた上で、将来展望を明確にして、変えて行く必要がある。「療養上の世話」と「診療の補助」は今の看護に適切な言葉なのだろうか?現在現場でナースの役割で重要とされているものに、行動変容(behavior change)を求めた保健指導や、多職種チームでのコーディネートがある。

 法律は固定的なものではなく、変えることができる(実際にはこれは大変なことなのだが)ものだということを認識し、そのような力を持たないといけないということを考える必要がある ― 看護と政治の話なのだが、規制と専門職と労働問題という、重要な看護の3点セット(ICNの3つの柱だといわれている)に関わってくる大変重要なことで、国際的にも大きなimplicationがある。これらは、看護の国際会議では、議論されていることだ。
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする