縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

数寄屋大工シゲさんから習った鉛筆の削りかた・・・ぬなかわヒスイ工房改装プロジェクト

2022年06月29日 07時01分55秒 | ぬなかわヒスイ工房
藤沢在住時代に、数寄屋大工のシゲさんから教えてもらった鉛筆の削り方。
鉛筆の片側だけひろく削って平べったくすると、鋭い芯で細い線が描け、かつ芯が折れにくい工夫がされている。
 
当時60代のシゲさんは、中卒で親方の家に住込みで弟子入りして、年季があけてからは「渡り大工」の修行した経験のある大工さんで、大学の研究機関から文化財の修復を頼まれるような名工だった。
 
すでに死語になったが、「渡り大工」とは道具箱と着替えのはいったボストンバッグだけ持って電車に乗り、城下町で降りては材木屋を訪ね、修行先になりそうな現場を教えてもらっては、飛び込みで仕事をさせてもうらうのだそうだ。宿泊先は、親方からアパートを紹介してもらったりなどして、仕事期間は現場が終わるまで。
 
渡りをすることで、親方ごとの仕事振りや、その地域の建築様式が学べるのだが、シゲさんの渡り修行は恐らく70~80年代くらいで、その頃までそんな習慣が残っていたことに驚いた。
 
ずいぶん経ってから、テレビでドイツに残る渡り大工の特集をやっていて、かの地では黒づくめのシャツとラッパズボン、フェルトのハットという古風な姿が、渡り大工のコスチューム。寝袋をはすっかいに担いぐ姿で旅をして、野宿したりもするそうだから、まるでスナフキンのよう。
 
で、その番組を観る少し前に、シドニーの雑踏でドイツの渡り大工そのまんまの姿の若い男を観たことがある。
 
真夏の南半球で黒づくめの異様な姿が目立っていたが、その姿がドイツの渡り大工だとは知らず、ヘンタイさん?としか思わなかった。声をかければよかったと悔やんでいる。
 
 
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿