「出雲型の勾玉」をつくってほしいと依頼。
しかしながら「出雲型の勾玉」とは、出雲市の業者さんがつくっている現代の勾玉のことで、考古学的な勾玉の系譜にはないタイプ。

出雲市の業者さんからお借りした赤と緑のメノウの「出雲型勾玉」・・・勾玉の形は職人の美意識を反映した看板のようなものだから、わたしが真似してつくる訳にはいかず、出雲の業者さんに相談したほうがいい。
依頼者が出雲付近の遺跡から出土した勾玉のことを「出雲型勾玉」と誤認しているなら、考古学的には弥生時代後期~古墳時代中期くらいの幅の「山陰系の勾玉」のことになる。
たまに同じような依頼があり紛らわしいのだが、「出雲型」と「山陰系」は全然ちがうのですネ。
どちらなのか確認したら、出雲大社境内出土の古墳時代前期らしき赤メノウ勾玉と、弥生時代後期らしき眞名井遺跡出土のヒスイ勾玉の写真が送られてきたので、「山陰系」ということで注文を受けることになった。

現代は流通している赤メノウの大半は染めたブラジル産なのだが、色を染めてない生の赤メノウがスバラシイ。ちなみに「ぬなかわヒスイ工房」の赤メノウ勾玉は染めてない国産の生の赤メノウ製。
古墳時代中期の「山陰系勾玉」は、コの字形の勾玉が粗製乱造されるようになり、複製する意欲が湧かないのだが、前期までは丁寧にいい形に仕上げている。

ごぞんじ勾玉の歴史の中で最高傑作のひとつ眞名井遺跡出土のヒスイ勾玉。ただし出雲ではヒスイ加工遺跡の出土例がなく、どこでつくられたかは不明。
別のお客さんから「ネット検索したら、最新の研究では三種の神器の八尺瓊勾玉は、赤のメノウの勾玉と判明したんですよね!」と言われたこともあるが、知らん知らん。
八尺瓊勾玉の瓊という漢字は赤いという意味もあることから誕生した説だろうが、玉という意味もあるので学術的には「おおきいヒスイの勾玉」と解釈されている。
出土例をみても連珠(れんしゅ・首飾りのこと)の中央はヒスイ勾玉で、その他の石材は添え物的な扱いをうけているから、八尺瓊勾玉赤メノウ説の蓋然性は低い。
勾玉のことを調べたかったら、考古学の専門書を読みましょうねぇ。
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