goo blog サービス終了のお知らせ 

縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

縄文納豆の可能性とアジアマイノリティのおふくろの味・・・高橋秀行著「謎のアジア納豆」

2025年04月16日 06時58分44秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
アジアの納豆というと、固形のテンペが健康食として日本のスーパーでも売られてるようになったが、わたしはカンボジアの市場で糸をひく納豆を食ったし、沢庵・竹輪・ラッキョウも売られていて驚いたことがある。
カンボジアのトンレサップの市場にて。左が沢庵で右が納豆だが、納豆は糸引きがすくなくサラサラしていた。
竹輪やガンモドキもあった。海藻を食うのは日本だけという民族優位思想wがあるが、朝鮮料理にはワカメスープを忘れちゃ困るし、メコン川流域には川海苔の板海苔だってある。
左がラッキョウで右が沢庵?
 
ところがドキュメンタリー作家の高野秀行さんは驚くだけに終わらせず、国内海外の納豆を徹底調査して、歯切れのいい文章で解説したのが本書。
509ページもある大書なのに驚きの連続で面白いのなんの。高野さんは学術的な検証をする一方、文章は軽快で「納豆は人を童心にもどす」「納豆好きに悪い人はいない」「納豆は人の輪にはいると輝く」と随所で笑わせてくれる。
 
納豆菌(枯草菌)は藁だけでなく、ホウバ・笹・ススキ・イチジク・シダ・バナナの葉っぱにもいて、むしろ藁より労力は少なく主流というのも意外。
 
最も素朴なつくりかたは、茹でた大豆を葉っぱに包んで囲炉裏の火棚にのせて発酵させただけの、東インドアッサム州の山岳民族ナガ族の納豆だとか。うちの爺さんがいたインパール戦の激戦地付近だ・・・。
 
そこで閃いた。
5,000年前の山梨の縄文遺跡では、在来原種のツルマメから大豆を栽培していたそうだから、縄文時代に納豆があった可能性があるではないか!すなわち縄文納豆だ。
 
しかも秋田をはじめとしたアジア各国の納豆文化圏では、短期熟成ものは生で食べ、長期熟成ものは味噌のような調味料的につかわれ、こちらを出汁にした納豆汁も日常食だそうだから、次回の縄文キャンプではテンペを調味料にした縄文鍋をつくってみることにした。
あったまるそうだ。
 
納豆嫌いの大阪人は多いが、堺の千利休は懐石で納豆汁をだしていたそうだから、幕末に味噌や出汁が普及しはじめる以前の関西でも、納豆は万能調味料だったことが伺われる。
 
ただし明治の鉄道開通を契機にした水戸で、お土産用に藁苞納豆が大量生産されるようになる以前と、現在も秋田南部の横手市で手作りされている納豆は、わたしがカンボジアで食った納豆と同じく、糸があまりひかない納豆だそうだ。
 
しかしなぜ納豆が関西で食われなくなったのかは不明だそうだが、納豆汁がソウルフードの秋田南部には、県外にでてはじめて出汁の存在を知った人もいるくらい濃厚な味わいであるらしい。
 
味噌・醤油は、納豆から派生した発酵食品ではないかとする考察に膝をうつ。
ただし記録上は平安時代に源義家が秋田南部に攻め入った時に食った納豆が最古で、当時の軍用馬は茹でた大豆に藁をまぜたエサを食わせていたので、本書は馬に背負わせた時の体温で熟成されて納豆ができる条件はそろっていると考察している。深い!
 
謎が謎をよぶアジア納豆・・・急にテンペが食いたくなり「業務スーパー」に行ったら長期欠品だそう。
インドネシアの出稼ぎ労働者がいるから、糸魚川のような田舎でも売っているのですネ。
 
軍事政権に弾圧され、欧米に亡命したミャンマー少数民族コミュニティ、傭兵として世界中で戦っているネパールのグルカ族コミュニティでは、納豆が望郷の味として売っているそうだ。
海外で暮らすアジアのマイノリティのお袋の味、納豆が世界に広がっている。シンミリともさせる名著。
 
 
 
 
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。