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縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

アイヌの教え「心の正しい人」・・・勾玉リメイクで思うこと(その2)

2025年06月05日 07時34分06秒 | ぬなかわヒスイ工房
傷だらけの勾玉を研磨し直してほしいとの依頼(アフター編)
 
依頼された勾玉は、凸凹な形と深い傷のみならず、頭部と尾部がねじれていたり、紐孔の位置が裏表でずれてもいたので、新作と同じくらいの時間がかかった。
ピカピカに艶がついていても鉛筆でなでると真っ黒になる粗製乱造品の典型。紐孔の内部がザラザラだけでなく、不定形に歪んだ上に斜めに貫通していた
 
一体どういう料簡の人がつくったのか、仕事を舐めているとしか思えないつくりに、呆れを通りこして怒りすら覚え、哀れな「勾玉のカタチをしたヒスイの塊り」から、「ヒスイでつくった勾玉」として再生させる作業だ。
 
旅先で見せられる「霊能者から買った特別なパワーをもつ勾玉」「芸術家と評価される天才職人の勾玉」「霊能力のあるヒスイ工芸家の作品」なるものはこの手が多く、ヒスイでないモドキも多い。
それらが法外な値段で売買されているのが、ヒスイバブル期の今の日本。
 
ろくな研磨もせず、バレル研磨機で艶だけつけた、歪でキズだらけのヒスイ勾玉の製作過程に祈りはあるのか?お守りになるのか?
下手は下手なりに一生懸命にリメイクした勾玉を、弥生時代中期のヒスイ職人は果たして褒めてくれるだろうか?ヒミコやヌナカワ姫が身につけたがるだろうか?「勾玉のカタチをしたヒスイの塊り」から「ヒスイでつくった勾玉」に再生できただろうか?が、わたしの視点。
 
丁寧に研磨するとキャンディのような質感の淡い黄緑の水面から、みな底の藻が透けてみえるような景色になる極上ヒスイでも、活かすのも殺すのも作者の誠実さ。
アイヌ民族の伝統的なモノの評価は、「心の正しい人がつくった」か否かだそうだ。つくりての料簡を見透かされるようで怖いw
 
落語界初の人間国宝になった六代目の柳家小さんは、「こころ邪なるもの落語を演ずべからず」と弟子を戒めたそうだ。これらをわたしなりに解釈すると、ヒスイ加工にも作者の誠実さが問われている、ということになる。
求める側にもスピリチュアルな宣伝文句に惑わされず、モノの良し悪しを見極める教養と審美眼は必要。
 
本を読んで教養をつみ、博物館や美術館でホンモノを観て修行するしかないネ。