私が勾玉の紐孔の内部をピカピカに磨くのは、貫通孔を開けることは特別な意味を持つと感じているから。
スピリチュアルな意味などではなく、孔を貫通させると「向こうと繋がった!」という次元を飛び超える感覚があるのだ。物理的に表と裏は連続した物体ではあるが、人為で貫通孔を開けた時の次元を飛び超える違いは確かにある・・・もしかしたらそう感じるのは私だけか?(笑)
それは物質のヒスイがモノになった瞬間で、松尾芭蕉が唱えた「造化」とはこういう感覚なんだろうな、と感じる。
孔を貫通させただけだと、孔内部は穿孔痕でザラザラしたまだだ。
芭蕉の造化・・・「在る自然から人を介して産み出された自然」と私は理解しているからこそ、生まれたての勾玉を成長させる意味で孔内部を研磨する。
勾玉のカタチをしたヒスイからヒスイで作った勾玉へと、糸魚川ヒスイ製であることに寄り掛かからず、内実ある勾玉への転換。
私が初心者の頃から稚拙なりに紐孔内部の研磨に励んでいたのはそんな理由から。
もっとも初期の頃は竹串に金剛砂を付けて磨くという非効率な方法だったが、試行錯誤の結果、現在はもっと効率がいい方法を見つけている。
所用で有名な勾玉名人を訪ねたら、見せたいものがあると自宅に招き入られ「30年来勾玉を作ってきたが、ついに勾玉の紐孔内部を研磨するようになった!」と見事に紐孔内部を研磨した勾玉を出された。
勾玉名人が紐孔内部の研磨を始めた理由は、あまた売られている勾玉との差別化なのだろうと思う。
そこは私と違うし、どんな方法で研磨しているのかも、お互いの企業ヒミツなので不明(笑)
しかし少しでも「佳い勾玉」を作ろうとする飽くなき欲求は共通しており、こういう大御所の存在は励みになるから有難い。
ヒトとヒスイの物語、勾玉の物語も人それぞれ。
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