[書評] 福田真監修「日出づる国と共に」2007年
この本は古い日本の末日聖徒にとって、とにかく懐かしく興味を
覚える本である。自分もその場にいたからであり、知っている人た
ちが大勢登場するからである。全日本にまたがる内容で貴重な日本
の教会史資料として大変意義深い刊行物と言える。
出版の目的を監修者福田真は、1 ハワイ神殿訪問が実現される
に至った経緯と歴史を残す、2 訪問を受け入れたハワイの教会員
に感謝の気持ちを表す、3 犠牲を払い、強い信仰を示してハワイ
神殿を訪問した教会員の証しを残す の三つであると記している。
この主旨が、これまで出版された類書、「日本末日聖徒史 1850-
1980年」1996年、「世紀を越えて -- 末日聖徒イエス・キリスト教
会伝道100年のあゆみ」2002年と異なる点である。副題に「日本伝
道史、末日聖徒神殿参入の証詞」が添えられている。
監修者の福田真は、伝えられるところによれば子宝に恵まれなか
った代わりにこの書籍刊行に私財を投じることを思い立ったという。
編集は津田政廣が担当し、他に編集協力者、英文資料の翻訳者多数
の協力を得ている。主な資料としては、ドゥエン・アンダーセン元
伝道部長、柳田聡子、森駒枝などによるものが目にとまる。全体で
766ページに及ぶ分厚い本である。これまでになかった資料として
は藤原武夫関連のものが写真を含めて数ページ掲載されている。
貴重な書籍が一冊加わったわけであるが、注文をつけるとすれば、
執筆者の地の文章と引用文の区分がわかりにくく、今読んでいるの
は誰によるものなのか見失い勝ちになることである。また、脚注も
たどりにくく捜すのにひと苦労した。
ともあれ楽しい逸話が多く載せられ、日本人としての誇りを喚起
する内容に満ちている。日本人がこの記録を書物に著したことの意
義は大きい。(発行 株式会社フリーマン)。
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今日本の教会歴史という題目で特別講座がインスティチュートで開かれています。歴史の生き証人の兄弟姉妹から大変意義深い講座がもたれているようで・・・出席できないのが残念です。
私ごとですが私もハワイ神殿で両親と結び固められました。セピア色の記念写真が家に何枚も残っています。
私たち夫婦は第二回のハワイ神殿訪問に参加しました。(ぜひ、この本を入手したいと思っていますが、まだ持っていません。)
wasatch_15 さんは関東(しかも都市圏)にお住まいとお見受けしました。できればoff でお会いしたいと希望しています。3月下旬上京します。よろしかったら e-mail ください。
j _ n u m a n o @ h o t m a i l . c o m
第1回 1/18 津田政廣 歴代大管長及び十二使徒の日本人に対する予言及び啓示
第2回 1/25 柳田聡子 戦前の改宗者たち高木富五郎の改宗伝道部閉鎖時代
第3回 2/01 柳田聡子 賛美歌の編集/日本扶助協会史/422部隊/戦後日本伝道部再開
第4回 2/08 今井一男 日本人初の宣教師とその時代
第5回 2/15 渡邉驩 アンダーセン伝道部会長の顧問時代/ハワイ神殿団体参入に至るまで
第6回 2/22 田中健治 ハワイ団体参入
第7回 2/29 鈴木正三 1970年大阪万博/モルモンパビリオン
第8回 3/07 坂井圭モルモン経の翻訳
第9回 3/14 福田真 東京神殿とハワイの聖徒たち「日出づる国と共に」の出版によせて
第10回 3/21 未定 まとめ
見てのとおり書籍「日出づる国と共に」の出版を記念した講演になっています。温故知新。未来を展望するためには過去を知る必要があると思います。
「わたしに聞け、
正しさを求める人
主を尋ね求める人よ。
あなたたちが切り出されてきた元の岩
掘り出された岩穴に目を注げ。 」
イザヤ書 51:1 (新共同訳)
ご紹介ありがとうございました。
例えば、ジョン・P・ホフマン「日本の聖徒 -- 日の出ずる国に
おけるモルモン教徒 -- 」2007に出ていました。これはモルモンフォーラム誌の記事(邦文)を引用していて驚きでした。
また、名古屋の末日聖徒史(尾張の初め)に少し言及がありました。
(あるいは、伝道について1章、あるいは一日割くことがあれば触れられてよい-- 触れられるべき事柄であると思います。)
ご教示いただければ幸いです。
A4117ページの立派な冊子です。モルモンフォーラム14号で紹介。
拙速バプテスマについて、58, 60ページに言及が見られます。
「狂乱バプテスマ」は一例ですが、教会組織が自らの失敗や過ちに目を向け、反省と改善を行えるようでないと、この教会の発展はもうこれ以上ないでしょう。
風化させること無く、後世に語り告げれなければならない事件だと私は思います。
一方、野心と虚偽に満ちった、栄光の影にどれだけの犠牲と過ちがあったか、まったく省みない姿勢は恥ずかしさと感じる。前述したコメントにイザヤ書の聖句の引用があるが、その意味は歴史的な、客観的な事実に基づく、徹底した「悔い改め」の作業であるまいか。
「それはあなたと神の関係でしょう」と一蹴する隣人愛を欠いた態度、排他性、組織としての硬直した、一方で節操のない日和見的な一貫性のなさと、不完全さとその虚偽的な対応、数(あるいは什分の一)のみに執着する教会は決して、日の栄光に掲げられることはないと思われる。あるモルモンの家族の長がこう嘆き、断言した。「もし、裁きの日に訪れたなら、主は真っ先にこの教会を滅ぼすであろう」と。
確かに自己礼賛の気配はあるかもしれませんが、記念刊行物はどこでもそのような傾向があるのではないでしょうか。客観的で批判的な記録や論説は、研究者の論文に委ねるべきだと思います。
「メイドインジャパンのキリスト教」を著したマリンズや日本の宗教学会の研究者がいずれ日本のモルモン教会について研究を発表することでしょう。
それをするのに、一番適当は人材は、NJさんだと私は思うのですが?(笑)
もし、今から50年後に日本のモルモン史が出版されたなら、NJさんの名前はどのように残るのでしょうか?興味がありますね(笑)
日本モルモン外伝・・・でも書いてみますか?
今もあることは充分承知しています。
しかし私にとって父親である世代がお互いに赦しあえず
(たとえ相手が間違っていたとしても)
教会で感じた喜びまでも否定することは悲しく思います。
アルマさんが求めるような歴史は今の教会にとって何の益にもならないと思います。教会の先輩方が、今も回復された福音を信じているならば自分(他人のではなく)の失敗と成功を次世代に語って欲しいです。しかもそれは大切なものであればあるほど個人的な関係で語られるのでしょう。
ありがとうございます。もし、退職後も元気が残っていれば宗教学会で何か発表できればと希望しています。しかし、外部からキリスト教や宗教学の方面から優れた専門家が取り上げるときがくると思います。
> 今から50年後に日本のモルモン史が出版されたなら、NJさんの名前はどのように残るのでしょうか
もう何の痕跡もない?!でしょう。研究書にはあるいは1,2行言及されることがあるかもしれませんが・・
>私にとって父親である世代がお互いに赦しあえず
(たとえ相手が間違っていたとしても)
教会で感じた喜びまでも否定することは悲しく思います。(wasatchさん)
そのとおりですね。私の場合はそろそろ気にならないで穏やかに、あるいは懐かしい思いで接することができ始めているように感じています。時間と距離の隔たりが、昔の記憶が多少不快なものであっても懐かしいものに変えてくれるようです。英語の諺に 「人の不在は記憶を懐かしいものにする」という意味のものがありますが、それが当てはまるのかもしれません。(ただ、多額の金銭がからんでいたり、骨肉食むほどの軋轢があった場合は簡単ではないかもしれません。)