沼隈郷土文化研究友の会

広島県東部に位置する沼隈町は古代より瀬戸内海の中央(ヘソ)に当たり、
その郷土からの情報発信です。

府中市上下町で「陣屋跡」の発掘調査現地説明会がありました。

2009年09月08日 | 発掘調査現地説明会
府中市上下町では、昨年に引き続き「上下代官所跡(陣屋)」の発掘調査が

進められています。

その現地説明会が開催されました。

日時:平成21<2009>年9月6日(日)13:00~

場所:旧上下町舎跡(府中市上下町陣屋)

調査主体:府中市教育委員会



        (道路標識)



     (旧上下町舎跡)


      (旧上下町舎跡  石垣東列北側部分)


      (旧上下町舎跡  石垣東列南側部分)


      (旧上下町舎跡  石垣北側列部分)


      (現地説明会風景)


       (現地説明会風景)

     [発掘調査状況]


    (第4トレンチ状況)


 (第4トレンチ西側基壇跡?)


          (第8トレンチ北側柱穴跡)


             (第8トレンチ南側溝A跡)

              [出土遺物]


            (硯 石製)


      (燈明皿・火打石)


           (瓦)


   (昨年度の調査状況:パネル)

           [旧上下町舎の変遷(パネル)]


             (明治末:小学校)


                 (明治36年:小学校)


                 (昭和5年 上下町役場)


             (昭和32年 上下町役場)

昭和16<1941>年に「天領上下代官所跡」として広島県史跡に指定。

代官所=陣屋(江戸中期から幕末まで)の石垣と石段が存在していたと

想定されていた。

陣屋跡の絵図では、石垣より石段の方が突き出ている点は、調査により

陣屋跡の石垣と石段は、明治時代(学校)の石段を確認した。

検出された石垣は、幕末頃のもので、石段はその後に築かれていることが

判明した。

その後、学校として利用していた頃には、この石垣のほとんどの石を外して

再利用しながら、石段の東端に合わせて現在の石垣まで敷地を拡張したと

思われる。

明治時代終わり頃に写された通称「天領松」の写真は、石段の位置が現在と

異なっており、後に移築されたことが解る。

現在、旧町舎が残っており、調査区域は制限があり、今後は旧町舎撤去後に

再度調査を行う予定があり、その後整備の後に公園との計画を考えている、

とのことでした。

(概略以上)

                                      (文責:鳳来)

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