沼隈郷土文化研究友の会

広島県東部に位置する沼隈町は古代より瀬戸内海の中央(ヘソ)に当たり、
その郷土からの情報発信です。

「弥生時代の吉備」講演会の聴講

2010年12月14日 | 報告

「備陽史探訪の会」設立50周年記念に合わせて
歴史講演会が開催された。
演題は、「弥生時代の吉備」と題して、
元岡山県古代吉備文化財センターの職員であった
井上弘さんの講演を拝聴した。
井上さんは、「百間川遺跡」の調査から弥生時代の
水田遺跡が出土し、その水田耕作状況から当時の
社会状況や稲作耕作技術の変遷などを考察し、
「吉備国」の成立状況などを解説されました。
特に興味を引いたのは、「楯築遺跡」の成立する
背景とその共同体の政治勢力に関しての考察に
大変興味を引きました。


 (講演中の井上さん)

更に、吉備出土の土器の範囲の限定に興味を
覚えました。
これは、個人的な考えですが、
吉備国の中部にある上東遺跡の土器は、
その後に発生する「特殊器台」に続くものと考えている
からです。
私にとっては、興味深い講演会でした。
(講演会日時)平成22年12月11日(土)
       14:00~16:00
(場所)広島県立歴史博物館 講堂
(主催)備陽史探訪の会
(後援)広島県立歴史博物館
(報告・文責)鳳来

[後日談]
講演終了後に井上さんと話す機会があり、「上東遺跡から
出土した土器が講演中に話された吉備独自の土器と考えられ、
それが特殊器台へ続くものと考えていますが、如何でしょうか?」
とお訪ね致しました。
「上東遺跡の土器と特殊器台の土器への継続的なものは
考えられない。特殊器台を作った人々は、特殊な集団と考えられ、
出雲出土の特殊器台と御調、楯築遺跡出土の土器の土は同じものです。
従って土器を作成しその土器が運ばれていることが考えられます。」
とのお話を伺いました。
その結果、私個人が考えていた事は、
もっと研究の余地があると考えられます。


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