随筆家、哲学者、詩人。直接お目にかかったことはなく著作に親しんできただけですが、勝手に私の「人生の師」と決め、仰ぎみていました。
幼い頃から本好きでさまざまなものを読み漁りながら育ちましたが、文体そのものがもつ魅力というものを知ったのは、串田先生のエッセイによってでした。
中学の図書館にあった学生向け随筆叢書の1巻として『串田孫一集』がありました。それまで名も知らなかった人の本を借りたのはどういう風の吹きまわしだったのか。たぶん、何か目先の変わったものを読んでみようという気まぐれだったのでしょう。何気なく手にしたその本を読み、私は「こんな文章が書ける人がいるのだ」と静かな驚きに打たれました。底知れない文体の魅力が私を捉えたのです。当時は明確に意識することはできなかったのですが、今から思うと、そういうことだったのです。
子どもの頃の思い出や、山の風景などを語る短い文章でしたが、それを読むと、私は細胞のすべてを澄んだ水で洗われるような何ともいえない心地よさを感じました。
その本は大のお気に入りとなり、何度も借りて読みました。高校生になっても読みたい時があり、わざわざ中学校の図書館へ出向いて借り出したこともありました。中高一貫だったので、そんなことも可能でした。
高校で山岳部に入り、山へ登るようになったのも先生の著書の影響でした。
『山のパンセ』を図書館に置いて欲しくて希望を出したところ、購入担当の先生が教室までいらして「出版社はどこだろう?」と尋ねられたこともありました。
恥ずかしいことに、私はその質問に答えられませんでした(実業之日本社だったようです)。結局、私が卒業するまでに、その本は図書館の書架には並びませんでした。
串田先生の文章は、フランス哲学から得たモラルと、芸術に対する造詣、自然への深い愛情、人間への興味と批判精神などが渾然となり、しかもそのすべてから自由なように思えます。先生の筆にかかると、世の中のあれこれが実にいとおしいものに感じられ、そのくせ変に熱がこもることはなく、風とおしの良い生き方、ものの見方ができるように思えてきます。
不謹慎なようですが、老いかた、亡くなりかたまでもがうらやましい。どこまでもお手本にしたい方でした。ご冥福をお祈りします。
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