郵貯スタンプ・じい散歩

日毎に選んだ街を散歩しながら、郵便局の窓口で貯金をし、局名のスタンプを押してもらう。歩く街の感じた事を紹介。

「香取神宮」から佐原を歩いて来ました。

2012-04-10 23:24:33 | Weblog
 3月21日(水曜日)
 今日は、一緒に行ってくれる友人を誘って茨城県との境の「香取神宮」へ。首都高速から東関東自動車道を走り、成田を過ぎて佐原香取ICで下り、県道55号線を走って【香取神宮】へ。確か45年前の20歳位の時に来た事が有ったと思うが、それ以来になると思う。ここも茨城に近いので昨年の震災の影響があっちこっちで見る事が出来る。
≪下総国一宮で、旧社格は官幣社。日本全国にある香取神社の総本社である。創建は、紀元前643年と伝えられる。『常陸国風土記』によると、神代の時代に肥後国造の一族だった多氏が上総国に上陸し、開拓を行いながら常陸国に勢力を伸ばした。この際に出雲国の拓殖氏族によって農耕神として祀られたのが「香取神宮」の起源とされている。創建年が古過ぎるとの異論もある。鹿島神宮と共に、蝦夷に対する大和朝廷の前線基地であり、重要視された。平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、『延喜式神名帳』によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけで有った。本殿から鹿島神宮本殿は約13㎞、ほぼ正確な北東にある(ずれは15分未満)。鹿島神宮とともに東国三社と称された息栖神社本殿は約8㎞、ほぼ正確な東にある(ずれは10分未満、緯度の違いは1秒未満)。中世に於いては、香取海での「浦、海夫、関」の支配権を握っていた。≫
 参道に入ると、1年前の震災の影響と思われる灯篭が何か所も倒れたらしく、取り除かれていた。平日なので参拝客も少なく、ゆっくり歩けた。
    朱塗りの大鳥居            「要石」              大鳥居              総門             修復中の本殿         
 本殿と楼門は、元禄十三年(1700)に徳川幕府の手により造営され、本殿は黒漆塗りで、黒を基調とした特徴的な外観に。
≪要石は、古伝によればその昔、香取・鹿島の二柱の大神は天照大神の大命を受け、葦原の中つ国を平定し、香取が浦付近に至った。しかし、この地方はなお漂える国であり、地震が頻発し、人々はいたく恐れていた。これは、地中に大きな鯰が墨付き、荒れさわいでいるといわれていた。大神達は地中に深く石棒を差し込み、鯰の頭尾を抑え、地震を鎮めたと伝わっている。≫
      神楽殿            ご神木          三本杉
  
 香取神宮を出て、駐車場の前の香取郵便局へ寄り、佐原市内に入ると佐原上仲町郵便局に寄ってスタンプを頂き、佐原市内観光の事を尋ねたら、「すぐ先に”佐原町並み交流館”へ行ってみて下さい。」と教えて貰って、旧三菱館の観光案内所で、見る場所を聞き、地図を貰ってまず駐車場に向かうと、駐車場が「伊能忠敬記念館」の真後ろの無料駐車場へ。市内の古い住居もかなり崩れていたり、危なかったりで、あっちこっちでブルーシートが見れる。伊能忠敬旧宅も。
  伊能忠敬記念館入り口       記念館正面        記念館裏の駐車場から  伊能忠敬旧宅前の木造の樋橋  旧宅の母屋の修築
    
   裏庭で発掘調査中        庭の土蔵(史跡)       伊能忠敬像      「この一歩から」の碑
   
  旧宅前の乗船場   樋橋からの水落し    旧宅前の「古い町並」     忠敬橋から樋橋を見る  忠敬橋の欄干も測量機
    
   大友レコード         虎屋         紀の国屋          「清宮家」門           「清宮家」庭        「清宮家」黒塀
     
   「馬場本店」酒造       焼酎の蒸留機       酒造道具の展示        以前映画の撮影が        煙突   
    
町並み交流館に飾られた”お雛様”  佐原大祭の山車の模型      紙張子
     
 ゆっくり時間を取って、見て歩きたい町だったけれど、時間が足りなかった。帰りに「馬場本店」で”カストリ焼酎”を買い、道の駅で野菜を買って帰る。次は「鹿島銀宮」に行ってみなければ。