8月27日(土曜日)
ブログを描くのを暫く出来ず、申し訳有りませんでした。
先週の12日から15日まで、中国地方の5県を歩き、走り廻ってきました。近々に見聞きして来た事を描かせてもらおうと思っていますので、ご期待ください。
今日は「鎌倉・寺社巡り第三弾」として、今までに書かれていない場所を、仲の良い友人と回ってきました。今日は、東京駅から東海道線に乗り、大船で下車。先日大船を回った時に知ったモノレールで江の島まで行ってみる事に。先日は一駅だけ乗ってみたのですが、今日は終点の湘南江の島駅まで。JRを下り、改札を出て”湘南モノレールの駅まで歩き、終点まで300円。
大船駅に入線 乗車 片瀬山駅ですれ違い 湘南江の島駅着
上から吊るされたモノレールは、これで二回目だが、かなり揺れるので、一番前で写真を撮っていてもどこかを握っていないと危なくてしょうがない。それなりに乗降もある様で、生活路線になっている。
終点で下りると、5階建ての駅ビルの5階がホームで、4階が切符売場と改札。ビルを出て、少し歩くと、江ノ電”江ノ島駅が有り、ここから江ノ電に乗り、極楽寺駅に向かう。
江ノ電”江ノ島駅” 江ノ電の入線 稲村ケ崎駅 極楽寺駅
極楽寺駅着。ここは駅舎の反対側にお寺が有り、駅を一回りしないといけない。この駅は「閑東の駅百選」に選ばれ、”認定書”が貼り出されていました。
江ノ電”極楽寺”駅舎 駅前の川 【極楽洞】
≪江ノ島電鉄が所有する煉瓦造りの坑門で、右手の桜橋からみる事が出来ます。アーチの頂部に2箇所の要石を備えたデザインは、全国的にも珍しいもので、今なお建設当時の原形を留めています。江ノ電が極極楽寺を走り抜ける景観は、古都鎌倉に近代の息吹を伝えた電気鉄道の歴史を偲ばせます。≫
極楽寺山門 極楽寺境内(サルスベリ) 極楽寺参道
駅を半分回り込むと【極楽寺】参道から境内の掃除を毎日なさっているのだろうが、これから落ち葉の時期になると、無くなるまで毎日同じ事の繰り返しになり、大変な事だ。”境内撮影禁止”の標示が有り、”少し”遠慮する。境内真中に有る大きな”サルスベリ”は見ものだが、少し勢いが落ちてきていた。朱印を頂き参拝。
≪真言律宗 霊鷲山感応院 極楽率寺。開山は良観坊忍性。奈良西大寺叡専門下で戒律を学ぶ。弘長二年(1262)に北条業時に招かれて、多宝寺住持となり、その後文永四年(1267)に極楽寺に開山として迎えられました。正元元年(1259)に深沢に創建され、後に開基となる北条重時が現在地に移転したといわれています。元寇に際しては、調停の命により、国家安泰を祈る祈願所としての寺格を保ちました。かつての寺域は広大で、中心の七堂伽藍を囲む様に多くの子院、そして寮・病院などの病院施設もあった事が、当寺に伝わる絵図からわかります≫
極楽寺を出てきたら、丁度極楽洞から江ノ電が出てきたのを撮れ、切通しを下りていくと、左の急階段を登った先の”虚空蔵堂”の上り口に【星の井】。
「御霊堂」 極楽洞から江ノ電が 極楽寺坂切通し 星の井
≪鎌倉十井の一つで、”星月夜の井””星月の井”とも呼ばれています。昔、この井戸の中に、昼間も星の影が見えた事からこの名が付いたと云われています。奈良時代の名僧・行基は井戸から出てきた光り輝く石を、虚空蔵菩薩の化身と思い、御堂を建てて、虚空蔵菩薩を祀ったという伝説もあります。井戸の水は、清らかで美味だったので、昭和初期まで旅人に、飲料水として売られていたそうです。≫
急階段を登って虚空蔵堂に参拝し、御霊神社へ曲がる角に「老舗 力餅家」が有り、そのまま進むと江ノ電の踏切越しに【御霊神社】が見える。
虚空蔵堂への階段 虚空蔵堂 老舗「力餅家」 江ノ電越しに御霊神社
≪御霊とは、”強く尊い祖先の御霊”の意で、神社の創建は、平安時代後期と伝えられています。桓武天皇の子孫で、「鎌倉武士団」を率いた鎌倉権五郎景昌を祀っています。景昌は、「後三年の役(1083)に十六歳で出陣して有名をはせ、その後現在の鎌倉・湘南地域を開発した領主です。地元では、「権五郎さま」と呼ばれ、親しまれています。毎年九月に行われる「面掛行列」は、伎楽や舞楽・田楽の古い面をつけた面掛衆が練り歩く、珍しい祭事です。≫
御霊神社 境内から鳥居前を通る江ノ電 椨(タブ)の木
境内は雰囲気が良く、朱印を頂く間に参拝。境内には、権五郎が御料地を見まわる際に、弓を立てかけられたと伝えられる「引立の松」や、”かながわの名木100選(市天然記念物)”に選ばれている、樹齢約350年の”坂の下の御霊神社「椨(タブ)の木」”等で良い雰囲気を醸し出しており、丁度鳥居前を江ノ電が通貨。(極楽洞から出てきた瞬間が、人気の撮影スポット)
まだまだ長くなりそうなので、一度ここで切らせて頂きます。
ブログを描くのを暫く出来ず、申し訳有りませんでした。
先週の12日から15日まで、中国地方の5県を歩き、走り廻ってきました。近々に見聞きして来た事を描かせてもらおうと思っていますので、ご期待ください。
今日は「鎌倉・寺社巡り第三弾」として、今までに書かれていない場所を、仲の良い友人と回ってきました。今日は、東京駅から東海道線に乗り、大船で下車。先日大船を回った時に知ったモノレールで江の島まで行ってみる事に。先日は一駅だけ乗ってみたのですが、今日は終点の湘南江の島駅まで。JRを下り、改札を出て”湘南モノレールの駅まで歩き、終点まで300円。
大船駅に入線 乗車 片瀬山駅ですれ違い 湘南江の島駅着
上から吊るされたモノレールは、これで二回目だが、かなり揺れるので、一番前で写真を撮っていてもどこかを握っていないと危なくてしょうがない。それなりに乗降もある様で、生活路線になっている。
終点で下りると、5階建ての駅ビルの5階がホームで、4階が切符売場と改札。ビルを出て、少し歩くと、江ノ電”江ノ島駅が有り、ここから江ノ電に乗り、極楽寺駅に向かう。
江ノ電”江ノ島駅” 江ノ電の入線 稲村ケ崎駅 極楽寺駅
極楽寺駅着。ここは駅舎の反対側にお寺が有り、駅を一回りしないといけない。この駅は「閑東の駅百選」に選ばれ、”認定書”が貼り出されていました。
江ノ電”極楽寺”駅舎 駅前の川 【極楽洞】
≪江ノ島電鉄が所有する煉瓦造りの坑門で、右手の桜橋からみる事が出来ます。アーチの頂部に2箇所の要石を備えたデザインは、全国的にも珍しいもので、今なお建設当時の原形を留めています。江ノ電が極極楽寺を走り抜ける景観は、古都鎌倉に近代の息吹を伝えた電気鉄道の歴史を偲ばせます。≫
極楽寺山門 極楽寺境内(サルスベリ) 極楽寺参道
駅を半分回り込むと【極楽寺】参道から境内の掃除を毎日なさっているのだろうが、これから落ち葉の時期になると、無くなるまで毎日同じ事の繰り返しになり、大変な事だ。”境内撮影禁止”の標示が有り、”少し”遠慮する。境内真中に有る大きな”サルスベリ”は見ものだが、少し勢いが落ちてきていた。朱印を頂き参拝。
≪真言律宗 霊鷲山感応院 極楽率寺。開山は良観坊忍性。奈良西大寺叡専門下で戒律を学ぶ。弘長二年(1262)に北条業時に招かれて、多宝寺住持となり、その後文永四年(1267)に極楽寺に開山として迎えられました。正元元年(1259)に深沢に創建され、後に開基となる北条重時が現在地に移転したといわれています。元寇に際しては、調停の命により、国家安泰を祈る祈願所としての寺格を保ちました。かつての寺域は広大で、中心の七堂伽藍を囲む様に多くの子院、そして寮・病院などの病院施設もあった事が、当寺に伝わる絵図からわかります≫
極楽寺を出てきたら、丁度極楽洞から江ノ電が出てきたのを撮れ、切通しを下りていくと、左の急階段を登った先の”虚空蔵堂”の上り口に【星の井】。
「御霊堂」 極楽洞から江ノ電が 極楽寺坂切通し 星の井
≪鎌倉十井の一つで、”星月夜の井””星月の井”とも呼ばれています。昔、この井戸の中に、昼間も星の影が見えた事からこの名が付いたと云われています。奈良時代の名僧・行基は井戸から出てきた光り輝く石を、虚空蔵菩薩の化身と思い、御堂を建てて、虚空蔵菩薩を祀ったという伝説もあります。井戸の水は、清らかで美味だったので、昭和初期まで旅人に、飲料水として売られていたそうです。≫
急階段を登って虚空蔵堂に参拝し、御霊神社へ曲がる角に「老舗 力餅家」が有り、そのまま進むと江ノ電の踏切越しに【御霊神社】が見える。
虚空蔵堂への階段 虚空蔵堂 老舗「力餅家」 江ノ電越しに御霊神社
≪御霊とは、”強く尊い祖先の御霊”の意で、神社の創建は、平安時代後期と伝えられています。桓武天皇の子孫で、「鎌倉武士団」を率いた鎌倉権五郎景昌を祀っています。景昌は、「後三年の役(1083)に十六歳で出陣して有名をはせ、その後現在の鎌倉・湘南地域を開発した領主です。地元では、「権五郎さま」と呼ばれ、親しまれています。毎年九月に行われる「面掛行列」は、伎楽や舞楽・田楽の古い面をつけた面掛衆が練り歩く、珍しい祭事です。≫
御霊神社 境内から鳥居前を通る江ノ電 椨(タブ)の木
境内は雰囲気が良く、朱印を頂く間に参拝。境内には、権五郎が御料地を見まわる際に、弓を立てかけられたと伝えられる「引立の松」や、”かながわの名木100選(市天然記念物)”に選ばれている、樹齢約350年の”坂の下の御霊神社「椨(タブ)の木」”等で良い雰囲気を醸し出しており、丁度鳥居前を江ノ電が通貨。(極楽洞から出てきた瞬間が、人気の撮影スポット)
まだまだ長くなりそうなので、一度ここで切らせて頂きます。