今日は昨日のブログを投稿していたので、本当は横須賀方面に
行こうかと思っていたのが、出るのが遅れてしまい、少なくなっ
た近場に。武蔵小金井から中央線で三鷹下車。
12時半。1,053歩でスタート。
南口を出て直ぐ左に。玉川上水に沿って”風の散歩道”と呼ばれて
いる通りを井の頭方面に。玉川上水の両側は、時期なのであまり花は
見れないが、それでも冬桜・白梅・紅梅がポツポツと、珍しく小学生
の運動会の時に、足が軽く感じられるので近くの林から取ってきたオ
レンジ色した”カラスウリ”が殆どは枯れてしまっていたが何個も蔓
にぶら下がっていた。(他でも見た)
途中には、1948年6月に39歳で近くの玉川上水で亡くなった
太宰治の碑が写真入で。その先に「三鷹市山本有三記念館」が有り、
(入館料:300円)”近代西洋の様々な建築様式が見事に調和した
本格的な洋風建築で、大正末期に建てられたものを購入し、昭和11
年から10年間この家で暮らし、代表作「路傍の石」もここの部屋で
書かれた”そうです。(2階は歩くたんびにギシギシ)
「ピクチャレスクの家」(絵の様な家・絵画に適した家)と呼ばれて
おリ、外の庭には、かなりの方が絵筆を揮っておりました。
橋の下を覘くと、細くて浅い流れに背びれを出しながら鯉が泳いで。
井の頭公園西園に入り、ジブリ美術館の裏を廻って吉祥寺通りに出、
2週間前に通った時に”今度入ってみよう”と思っていた城壁造りの
”三州うどん”という店に入る。食べてみたかったのは、八丁味噌の
”味噌煮込みうどん”。以前の仕事で年に何回も名古屋へ行っていた
時に、そこの社長と専務の行きつけのうどん屋で毎回食べていたので
期待して入ったが、味は八丁味噌を使っているので同じ様な気もする
が、”うどん”が全く違う。ここの店のうどんは東京の普通のうどん。
名古屋の味噌煮込みうどんのうどんは”ガッツリ”した感じで、食べ
応えのあるうどんなのでガッカリ。
そのまま吉祥寺通りを真直ぐ歩き、新川局が今日の一局目で14時
近くになっており、寄り道し過ぎ?。三鷹局・上連雀局・深大寺局か
ら東八道路の大沢局と廻り、15時28分。12,926歩。5件。
その後、ここまで来たら近藤勇の生家跡が近くにあるので廻ってみ
る。東八から人見街道に入り、野川を越えると、近藤家の菩提寺?の
”龍源寺”が有り、入口前左に六地蔵と並んで近藤勇の坐像が有り、
本堂の真裏にある墓地に入った直ぐ右に近藤家の墓が有りました。
そこからチョッと歩いた都立野川公園の入口の処の小さな三角地に”
近藤勇生家跡”の表示。1834年10月9日宮川久次郎の三男とし
て誕生。有志が寄贈した”近藤神社”に”産湯の井戸”などがある。
野川公園の脇を抜けて行くと、”アメリカンスクール”日本校が。
西武多摩川線を越えた造園業の家の角に”チャボヒバ”(府中の名木
百選)という変った木が目を引いた。
チョッと行くと多磨霊園にぶつかり、右に11ヶ月前に妻を焼いた
多磨葬斎場が有り、自然に窯に頭を下げていた。まだ梅の花は咲いて
いない。
多磨霊園に入って、高橋是清・東郷平八郎、並んで山本五十六・北
原白秋・菊池寛のお墓を見て廻る。この霊園の墓地は、最低でも5坪
以上有りそうで、ゆったりした墓地造りがなされている。家の墓地は
都心なので、隣の兄の墓に土台がくっつく位で、”狭い”なんていう
ものではないが、妻の実家の墓地が青山墓地の中に有り、ゆったりし
た墓地だと感じていたが、それ以上。
新しく募集している貸出し墓地は1坪位で小さい。
そのまま武蔵小金井まで歩いたが、高架工事に合わせた南口の開発
が激しく、どんな形になるのか?。南口の商店街や北口の店が落ち込
みそう。北口で、旧チェーン店で店名変更した店に何年振りかで寄る。
二人の息子さんと話していたら、オーナーも顔を出してくれ、少し話
して戻る。19時10分帰着。21,275歩。
行こうかと思っていたのが、出るのが遅れてしまい、少なくなっ
た近場に。武蔵小金井から中央線で三鷹下車。
12時半。1,053歩でスタート。
南口を出て直ぐ左に。玉川上水に沿って”風の散歩道”と呼ばれて
いる通りを井の頭方面に。玉川上水の両側は、時期なのであまり花は
見れないが、それでも冬桜・白梅・紅梅がポツポツと、珍しく小学生
の運動会の時に、足が軽く感じられるので近くの林から取ってきたオ
レンジ色した”カラスウリ”が殆どは枯れてしまっていたが何個も蔓
にぶら下がっていた。(他でも見た)
途中には、1948年6月に39歳で近くの玉川上水で亡くなった
太宰治の碑が写真入で。その先に「三鷹市山本有三記念館」が有り、
(入館料:300円)”近代西洋の様々な建築様式が見事に調和した
本格的な洋風建築で、大正末期に建てられたものを購入し、昭和11
年から10年間この家で暮らし、代表作「路傍の石」もここの部屋で
書かれた”そうです。(2階は歩くたんびにギシギシ)
「ピクチャレスクの家」(絵の様な家・絵画に適した家)と呼ばれて
おリ、外の庭には、かなりの方が絵筆を揮っておりました。
橋の下を覘くと、細くて浅い流れに背びれを出しながら鯉が泳いで。
井の頭公園西園に入り、ジブリ美術館の裏を廻って吉祥寺通りに出、
2週間前に通った時に”今度入ってみよう”と思っていた城壁造りの
”三州うどん”という店に入る。食べてみたかったのは、八丁味噌の
”味噌煮込みうどん”。以前の仕事で年に何回も名古屋へ行っていた
時に、そこの社長と専務の行きつけのうどん屋で毎回食べていたので
期待して入ったが、味は八丁味噌を使っているので同じ様な気もする
が、”うどん”が全く違う。ここの店のうどんは東京の普通のうどん。
名古屋の味噌煮込みうどんのうどんは”ガッツリ”した感じで、食べ
応えのあるうどんなのでガッカリ。
そのまま吉祥寺通りを真直ぐ歩き、新川局が今日の一局目で14時
近くになっており、寄り道し過ぎ?。三鷹局・上連雀局・深大寺局か
ら東八道路の大沢局と廻り、15時28分。12,926歩。5件。
その後、ここまで来たら近藤勇の生家跡が近くにあるので廻ってみ
る。東八から人見街道に入り、野川を越えると、近藤家の菩提寺?の
”龍源寺”が有り、入口前左に六地蔵と並んで近藤勇の坐像が有り、
本堂の真裏にある墓地に入った直ぐ右に近藤家の墓が有りました。
そこからチョッと歩いた都立野川公園の入口の処の小さな三角地に”
近藤勇生家跡”の表示。1834年10月9日宮川久次郎の三男とし
て誕生。有志が寄贈した”近藤神社”に”産湯の井戸”などがある。
野川公園の脇を抜けて行くと、”アメリカンスクール”日本校が。
西武多摩川線を越えた造園業の家の角に”チャボヒバ”(府中の名木
百選)という変った木が目を引いた。
チョッと行くと多磨霊園にぶつかり、右に11ヶ月前に妻を焼いた
多磨葬斎場が有り、自然に窯に頭を下げていた。まだ梅の花は咲いて
いない。
多磨霊園に入って、高橋是清・東郷平八郎、並んで山本五十六・北
原白秋・菊池寛のお墓を見て廻る。この霊園の墓地は、最低でも5坪
以上有りそうで、ゆったりした墓地造りがなされている。家の墓地は
都心なので、隣の兄の墓に土台がくっつく位で、”狭い”なんていう
ものではないが、妻の実家の墓地が青山墓地の中に有り、ゆったりし
た墓地だと感じていたが、それ以上。
新しく募集している貸出し墓地は1坪位で小さい。
そのまま武蔵小金井まで歩いたが、高架工事に合わせた南口の開発
が激しく、どんな形になるのか?。南口の商店街や北口の店が落ち込
みそう。北口で、旧チェーン店で店名変更した店に何年振りかで寄る。
二人の息子さんと話していたら、オーナーも顔を出してくれ、少し話
して戻る。19時10分帰着。21,275歩。