釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

中野と桃

2013年03月23日 18時04分45秒 | お散歩日記/東京地名の話
昨日行った中野。

北口の中野通りは桜並木でしたが、南口には花桃が植えられています。

南口のロータリーにもモモが植えられています。

まだそんなに大きくはなっていませんが、赤や白が植えられていて美しいです。


中野通りの街路樹の桃

そういえば中野の南には桃園川という暗渠になった川があります。

今の中野3丁目は住居表示までは桃園町といっていたいいますし、他にも中野区には桃園小学校、桃園第二小学校、桃花小学校など桃の名前が多く見られます。

中野といえば、徳川綱吉の時代に生類憐れみの令で保護された犬を飼育する「お囲い屋敷」があった場所で、その広さ三十万坪もあったそうです。

現在、JRの線路の北側、中野4丁目が旧町名、中野囲町(かこいちょう)であるのはそれによっています。

八代将軍吉宗が江戸の四方に桜を植えたのは有名な話です。

北は飛鳥山、東は墨堤(隅田川の堤)、南は御殿山、そして東がこの囲い屋敷の後だったのです。

しかし植えたのは桜ではなくて桃だったのです。

桃は、中国では霊力がある植物として珍重され、西王母の伝説でも知られるようにその実は不老不死の薬ということです。

中華料理の桃マンや中華街の桃の絵などよく見られているのではないでしょうか。

吉宗は、犬屋敷を不浄のものと考えて、それを桃の霊力で浄化しようとして桃を植えたという話をある先生から聞いたことがあります。

また農村地帯であった中野には桃の実という副産物ももちろん発想の中にはあったのではないでしょうか。

でも、中野の桃って聞いたことないけど・・・・。

そんなわけで、中野の桃園は江戸郊外の行楽地になったのです。

そして桃園は消えて、名前が残ったわけです。

そんな桃の中野の復活、楽しみですね。




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