昨日は江戸川区瑞江駅近くの大雲寺へ。
このお寺は歌舞伎役者のお墓が多いことから別名役者寺といわれています。
画像で見るといい雰囲気の寺なんですが、まわりはなぜが住宅分譲中。
お墓でも整理して宅地として売り出し開始したばかりという状況で、この鬱蒼とした参道の雰囲気が嘘のよう。
本堂も立派ですがちょっと新しめ。
もともと江戸初期に蔵前に創建されて、昭和6年にここに移ってくる前は、墨田区業平にあった寺です。
役者さんたちの墓は本堂裏手にひとかたまりになってあります。
門前の説明書によると市村羽左衛門累代墓(初代より17代合葬、13代は五代尾上菊三郎)、坂東彦三郎累代墓(初代より七代合葬)、三代坂東彦三郎家墓、初代尾上菊五郎供養碑、寺島家門弟一同建立碑、寺島家門弟代々墓、瀬川菊之丞累代墓(初代より六代合葬)(歌舞伎狂言作者、初代瀬川如皐を合葬)、中村勘三郎累代墓(初代より十三代合葬)、三代中村勘三郎墓、福地家墓、坂東彦三郎墓(初代より二代合葬)とあるのですが、お墓のところに説明書きがなく、お墓も古いので文字がよく読めずに非常にわかりにくかったです。
また江戸時代の役者さんは、名前も色々と変わったので違う名前でふたりの役者が書かれていたりとワケがわかりません。
また、ご存知のように中村勘三郎という名前はもともと役者の名前ではなく、座元の名前だったというようなこともあるので、ますます複雑です。(もちろん、市村羽左衛門も座元の名前。)
市村家の墓
菊五郎家や勘三郎家の墓
瀬川家の墓
まぁ、江戸時代の古い墓がたくさんあったという感覚でした。
ただ、瀬川菊之丞の墓には六代目瀬川菊之丞も合葬されているということで、六代目の菊之丞さんは前進座に在籍されていた方でしたので、手を合わせてきました。
ただし、ご存命の時にはまざ私は在籍していなかったので、お目にかかったことはありませんでしたが。
子供心に大河ドラマ「勝海舟」のお役が印象に残っています。
このお寺は歌舞伎役者のお墓が多いことから別名役者寺といわれています。
画像で見るといい雰囲気の寺なんですが、まわりはなぜが住宅分譲中。
お墓でも整理して宅地として売り出し開始したばかりという状況で、この鬱蒼とした参道の雰囲気が嘘のよう。
本堂も立派ですがちょっと新しめ。
もともと江戸初期に蔵前に創建されて、昭和6年にここに移ってくる前は、墨田区業平にあった寺です。
役者さんたちの墓は本堂裏手にひとかたまりになってあります。
門前の説明書によると市村羽左衛門累代墓(初代より17代合葬、13代は五代尾上菊三郎)、坂東彦三郎累代墓(初代より七代合葬)、三代坂東彦三郎家墓、初代尾上菊五郎供養碑、寺島家門弟一同建立碑、寺島家門弟代々墓、瀬川菊之丞累代墓(初代より六代合葬)(歌舞伎狂言作者、初代瀬川如皐を合葬)、中村勘三郎累代墓(初代より十三代合葬)、三代中村勘三郎墓、福地家墓、坂東彦三郎墓(初代より二代合葬)とあるのですが、お墓のところに説明書きがなく、お墓も古いので文字がよく読めずに非常にわかりにくかったです。
また江戸時代の役者さんは、名前も色々と変わったので違う名前でふたりの役者が書かれていたりとワケがわかりません。
また、ご存知のように中村勘三郎という名前はもともと役者の名前ではなく、座元の名前だったというようなこともあるので、ますます複雑です。(もちろん、市村羽左衛門も座元の名前。)
市村家の墓
菊五郎家や勘三郎家の墓
瀬川家の墓
まぁ、江戸時代の古い墓がたくさんあったという感覚でした。
ただ、瀬川菊之丞の墓には六代目瀬川菊之丞も合葬されているということで、六代目の菊之丞さんは前進座に在籍されていた方でしたので、手を合わせてきました。
ただし、ご存命の時にはまざ私は在籍していなかったので、お目にかかったことはありませんでしたが。
子供心に大河ドラマ「勝海舟」のお役が印象に残っています。
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