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節分のお勉強

2008-02-01 11:11:13 | Weblog

↑ 豆まき 今日は節分に関するお話です。

 

豆まきでは年男(その年のえとの生まれの人:今年12,24,36,48,60,72,84,96,108,120歳になる男性)あるいは一家の主人が「福は内、鬼は外」といいながら煎った大豆をまき、みんな自分の年の数だけ豆を食べるとこれから1年病気にならないと言われています。また妊婦のいる家庭ではこの豆を安産のお守りにもします。もともと宮中の行事が一般家庭に普及したものとされますが、最近は大きな神社などで芸能人やスポーツ選手などを招いて豆まき大会をやっているケースも多いようです。

さて、この大豆ですが、硬いですね(^^) 硬いものというのは「木火土金水」の五行では「金」に属します。この大豆は最初煎ることによって火気にあてられ「火剋金」の原理で剋された上に、「鬼は外」といって外にまかれて捨てられたり、「福は内」といってまかれてから人々に食べられたりして、要するに豆はみんな「やっつけられてしまいます」。

古来疫病や災厄というのも金気に属するものと考えられていました。ですから豆というのは実は鬼をやっつける道具でありながら実は鬼そのものでもあるわけで、豆まきというのは邪気を祓うとともに、「金」の気を剋することで「金剋木」で金気に剋されるはずの「木」の気、つまり春の気を助ける行事、つまり春を呼ぶ行事でもあるのです。

豆まきの豆について

豆まきの豆について、重要なことのひとつは煎り豆を使うということです。万一生豆を使って、拾い忘れたものから芽が出るとよくないことがある、と言われています。

また近年、「下に落ちた豆を食べるなんてきたない」といって、大豆ではなくピーナッツを使う人たちが増えています。この風習は新潟地方から広まったようです。

なお、家庭によっては豆だけでなく、チョコレートやキャンディ、またお金を包んだものをまいたりもするようです。

鬼は外ではない?

一般的な豆まきの口上は「鬼は外、福は内」で、少なくとも室町時代にはこの口上ができていたらしいのですが、そう言わないところも数多くあります。これは豆まきの風習が全国に普及していくなかで出来ていったバリエーションではなかろうかと思われます。

例えば起源がはっきりしているものとして、福島県の二本松地方では「鬼は外」とは言わないか、あるいは「鬼外」と「ワ」の音を抜かします。これは二本松藩の殿様は丹羽氏なので、「鬼は外」と言うと「お丹羽様外」になってしまうからだといいます。

恐れ入谷の鬼子母神
東京都台東区の鬼子母神(仏立山真源寺)では「福は内、悪魔外」で「鬼は外」とは言わない。
川崎市の千蔵寺
ここも本尊が厄神鬼王(やくじんきおう)という鬼面の神様なので「鬼は内」と鬼を暗くした堂内に呼び込み、住職が鬼たち説教をして、悪い鬼は改心させ社会復帰させるという。
愛知の大須観音は「福は内」だけ
鬼の面が寺宝なので、「鬼は外」は唱えない。
埼玉県の武蔵嵐山の鬼鎮神社(きじんじんじゃ)
平安末期に畠山重忠の館・菅谷館の鬼門を守るために作られた神社で、鬼が御祭神であり、鬼が邪気から人々を守ってくれるということになっており、江戸時代ころから鬼が豆をまいて厄払いをするようになった。口上は「鬼は内、福も内、悪魔外」。
奈良市中院町の元興寺
元興寺には、元興神(がごぜ)という鬼がいて悪者を退治すると言い伝えがあることから「鬼は内、福は内」。
奈良県の天河神社
ここも「鬼は内、福は内」です。鬼を接待します。
新宿歌舞伎町の鬼王神社(きおうじんじゃ)
やはり鬼が御祭神なので。「鬼は内、福は内」。
つくば市の鬼ヶ窪地区
鬼が地名につくことから「鬼は内」というところも家庭によって残っているそうです。
群馬県鬼石町
昔鬼が投げた石でできた町と言われており、鬼は町の守り神になっている。そこで近年では、全国から追い出された鬼の安住の地をうたっており、「福は内、鬼は内」という。
佐渡両津の山本家
昔田植えが暴風雨に遭った時、鬼が助けてくれたという伝説があるため「福は内、鬼も内」という。
宮城県村田町では「鬼は内、福も内」
渡辺綱がこの地で伯母に化けた鬼に腕を取り返され、鬼が逃げてしまったので、鬼が逃げないように「鬼は内」になった。
熊野本宮宮司の九鬼(くがみ)家
九鬼一族の本拠地ですが、「鬼」という字はもともと「神」の意味なので、ここでは「福は内、カミは内」と唱える。
綾部の大本教本部
ここも「鬼は内、福は内」。綾部九鬼家と関わっているからか?あるいは王仁三郎さんのところだからか?

その他豆まき文句のバリエーション

豆まきの時のセリフのバリエーションについても民俗学で研究がおこなわれているようです。

基本的な話として「鬼は外」と「福は内」のどちらを先に言うか、とか、それぞれを何回言うか、というのが地方によって異なっていたようです。ただし最近ではこの付近の風習はどんどん曖昧になってきているようです。

今そういう習慣が残っているかどうかは分かりませんが、「富は内」というのが加わるところもあったようですし、「大荷(おおに)は内」などというのが入るところもあったようです。また、「鬼の目玉ぶっつぶせ」というのが加わるところ、かけ声?で「ごもっともさま」というのが入るところなども文献上は記録されていますが、今でもこういうのをやっているかどうかは分かりません。