ⅱ 現在の「差別」の実態を調べる -17- ⅱ-2 在留韓国・朝鮮人はどう思っているのか?
ⅱ-2-2 ある在留韓国人(特別永住者:3世/関西学院大学社会学部教授)のブログから見えること -9-
以下の記事はすべて、<「金明秀の公式ブログ」:Whoso is not expressly included>の内容に基づいている。※引用は「青字」で示す。
<2> 金氏のブログからみる「在留韓国・朝鮮人差別」 -3-
~ブログ内のいろんな記事からの「一部引用」になるので、原則として<各記事へのリンク>はしない~
■前回264の小まとめ再掲(※根拠は金氏ブログ記事だけではない)
1970年代までは、「民間企業における非常に厳しい就職差別」があり、他方一部には《新聞・テレビ業界などにおける優遇採用もあった。しかし、その後は、在留韓国・朝鮮人が起業した企業が増え続けていることもあり、現在では、日本人の失業率と比べた在留韓国・朝鮮人の失業率は、《いくらか高め》ぐらいになっている。しかも、年間平均所得は在留韓国・朝鮮人の方が多くなっている。したがって、最近の40年間ほどは、在留韓国・朝鮮人に対する《全体的な就職差別》はほとんどない、と言える。(後略)
■地域の「在日コリアン」と日本人との関係について -1-
~引用記事ごとに※コメントし、最後に小まとめをする~
・「移民の増加に伴って外国人に対する偏見が強まるという現象が世界的に観測されている。日本でも、外国人の多い地域ほど、外国人に対する偏見が強いことが複数の調査により明らかになっている。ただし、ひとつだけ例外があって、韓国・朝鮮籍者が多い地域ほどニューカマーを含む民族的マイノリティへの排外主義が弱いという現象が見られるのである。
在日コリアンは、差別や不平等を自力で克服することにより、長年にわたって健全な市民生活を営んできた。その共生実践そのものが、日本社会に多様性への耐性を提供してきたのだと解釈できよう。」
~上記の根拠(ソース資料)が不明だが、とりあえず事実として読解を進める。(上記引用は<リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題>より)~
※1 上記言説は、
A:「差別や不平等を自力で克服することにより、長年にわたって健全な市民生活を営んできた。」 だから、B:「韓国・朝鮮籍者が多い地域ほどニューカマーを含む民族的マイノリティへの排外主義が弱い。」
という、《 A:原因 ⇒ B:結果 》 の論理構造になっていると読み取れる。
● Aへの疑問・・・《地域の日本人から「差別や不平等(な扱い)」を受けてきたが、「自力で克服」した」》 と書いているが、「差別や不平等」が被差別者の「自力」だけで「克服」=解決できるのか?
結果を書いたB文には、日本人の「排外主義が弱」くなったと書いてあるので、「克服」とは「排外主義が弱くなったこと」だと読み取れる。
排外主義を弱めたのは日本人だ(としか読めない)。
だから、たとえその原因・きっかけが ”在日コリアンの存在と働きかけ” であったとしても、
《原因~変化過程~結果》 の間に山ほどあるたくさんの「変化過程」では、原理的に(絶対に)日本人の人格(≒意思、感情、精神文化…)が主体的に活動しつづけなければ、変化は起きない。
したがって、「自力で克服」はまちがいなく誤認識だ。(誤認ではないというなら、「嘘」ということになるが…?)
少なくとも、A文は、「在日コリアンは、差別や不平等を地域の日本人とともに克服することにより・・・」 とすべきだろう。 それが ”原理的に正しく、合理的な” 認識・表現だろう。
(※ここには具体的なできごとが書いてないので、実際の状況がどう変化していったのかは不明だが。)
という読解がまちがっていないならば、これ以後、金氏の言説を全面的に信用することは、論理的にできなくなることになる。
※2 「長年にわたって健全な市民生活を営んできた」について
「長年」とは少なくとも1980年代からだろうし、「健全な」とは《「差別や不平等」行為が(ほぼ?)ない》 という意味だろう。
したがって、少なくとも金氏周辺では、「現在ではもう在日コリアン差別は(ほぼ?)ない。」ということになる。
~つづく~
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