社民党 京都府連合 野崎靖仁 副主席語録
社会民主党 中央規律委員 野崎靖仁、55歳。
日々の思いを綴ります。
 



BS11で毎週土曜日 よる9時00分~9時55分に放送中の
歴史番組「偉人・敗北からの教訓」。

YouTubeで期間限定の見逃し配信が行われています。

それでは、「第59回 細川ガラシャ・キリスト教に殉じた謀叛人の娘」の
見逃し配信をご覧ください。

豊臣家の滅亡を見届けた家老・片桐且元の敗北から
明日を生きるための教訓を探る。
1556年、近江国に生まれた且元は浅井長政に仕えた後、
羽柴秀吉の家臣となる。且元がその名を轟かせたのは賤ヶ岳の戦い。
加藤清正や福島正則らと共に賤ヶ岳の七本槍の一人に数えられる活躍をし、
秀吉の勝利に貢献したのだ。
その後、秀吉の天下統一事業を陰で支えた且元は、
関ヶ原の戦いの後、豊臣家の家老を任される。

1614年、徳川家康が方広寺の梵鐘に刻まれた文字に激怒し、
豊臣家と徳川家の間に亀裂が走る。
すると、且元は弁明のため、駿府を訪れる。
その後、大坂城に戻った且元は、
主君・豊臣秀頼に豊臣家を守るための三つの条件を提示した。
ところが、その条件は全て拒否され、且元は城を追われてしまう。
そして、大坂の陣が起こり、豊臣家は滅亡の道を歩んでしまう。
且元はなぜ豊臣家を救うことができなかったのか?

大坂城からの退去を余儀なくされた且元。
すると、家康は、徳川家との取次役を追放したのは
宣戦布告に等しいと判断し、諸大名に豊臣攻めの命を下す。
豊臣家を追われた且元は不本意ではあるが、
徳川軍の一員として大坂攻めに加わるしかなかった。
豊臣家の終焉を見届けた且元はその20日後、
病によって、この世を去った。
もし、且元が提示した条件を秀頼と淀殿が受け入れていたら、
どうなっていたのか?

(2024年9月21日放送の期間限定見逃し配信です。)


【BS11】偉人・敗北からの教訓
「第60回 片桐且元・豊臣家滅亡を見届けた家老」
2024年9月21日放送分見逃し配信


YouTube限定の「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」もご覧ください。

BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを
歴史作家の伊東潤さんに語っていただく
「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第71回目です。

今回は、本編の第60回「片桐且元 編」で話しきれなかった内容や
歴史に纏わるお話など、お題の中から選んで語り尽くします。

秀吉亡き後の豊臣家を支え続けた片桐且元。
豊臣家に忠節を尽くした且元が淀殿の信頼を失った理由とは?
もし、且元の役割を他の偉人に任せるとしたら?
必要な能力とは?…etc.

さらに、2024年9月27日(土)夜9時放送「太田道灌 編」の
予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!


豊臣家に忠節を尽くした片桐且元が淀殿の信頼を失った理由とは?
(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第71回)


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