社民党 京都府連合 野崎靖仁 副主席語録
社会民主党 中央規律委員 野崎靖仁、55歳。
日々の思いを綴ります。
 



垣根涼介『信長の原理』(角川書店)を読む。



織田信長は蟻の動きを見て、ある「原理」を発見する。

懸命な二割、なんとなく働いている六割、やる気のない二割に分かれることを。
それは蟻も人間も同じ。手勢の中でも懸命に働くのは二割。

今川義元が二万五千の大軍で尾張を攻めたとき、
信長は一万の味方のうち戦意旺盛な二千で今川本陣を攻撃して勝利を得る。

この「二・六・二」あるいは「一・三・一」の事象は、
神仏を信じない信長でさえ受け入れざるを得ない法則であった。

この「蟻の法則」をマネジメントに活用した信長は、
柴田勝家、明智光秀、羽柴秀吉、滝川一益、丹羽長秀、
そして徳川家康の六人のうちから「駄目蟻」が出ることを懸念する。

六人のうち、丹羽長秀は方面軍司令官から外れ、残るは五人。
方面軍司令官が四人になれば「一・三・一」にはならない。

そう考えた信長は、ある重臣に密命を下すのであった…

いわゆる「パレートの法則」を信長の生涯を貫く「原理」としたストーリーです。

これが実際の信長の行動原理だったかは別にして、
それが信長の勝利と破滅を導くものになった、という解釈は
これまでの信長モノにはない視点です。

信長は「賢明でない八割」「二割の駄目蟻」の存在に苦悩しますが、
それに対する明快な答えを書いた本を発見しました。

兵頭二十八『兵頭二十八の農業安保論』(草思社)です。



農業政策の提言が本題なので、それとは離れますが、
兵頭氏は蟻を例に出してこう説明しています。

穴を掘るアリは、最も穴掘りが得意な一割の選ばれたアリです。
他のアリが、その一割といっしょになってトンネルの切り端にとりつこうとしても、
効率的なトンネル延長作業の邪魔になるだけ。
ある種の業務は、みんなでやるよりは、少数に任せてしまった方が、
効率が上がるのです。だから、所在なくほんやりと怠けているようにも見えるが、
九割の残りのアリは、実はしっかりと貢献をしている。
「一割の邪魔をしない」という立派な仕事を、意識的に分担しているのです。
日本のニートはまさにこれなんですよ。

もし、一割の最優秀のアリが、事故や病気で戦列外になったらどうなるでしょう?
さっきも申しましたが、ただちに、九割の中から、
そのアリのポジションを交代するアリが出て、欠員を埋めます。
九割集団は、つねに有事のバッファーであって、
「一割」を充足し続ける補欠のプールでもあるのです。

(29~30頁)

卓見です。

続いて兵頭氏は、こう述べています。

日本社会の生産的一割層の大活躍は、
生活や創造のための活動に全身全霊で集中することをゆるしてくれる、
安全で快適な日本社会のおかげです。
言い換えると、九割の人々による無言の社会貢献に支えられているのです。

ゆえにこそ、彼ら一割の稼ぎ頭は、残り九割層が、
老後に貧窮して不幸になったりしないように、多額の税金を国庫に納め、
この社会を持続させていく責務があるのではないですか?

(31~32頁)

『信長の原理』で藤吉郎は信長にこう言います。

「さすれば、その者どもがそもそも何故奮わぬかを考えあそばすより、
その弱き者たちがより楽しく陽気に働けるようにと、
この藤吉郎めは日々懸命に考えておる次第でござりまする。
この一事こそ、寛容かと存じます」

(182頁)

「お赦しくださいませ、お助けくださりませっ。
ですが、二割しか懸命に働かない事実は変えようがございませぬ。
二・八でござりまする。
人々が輪になれば、どうやってもそのような割合になりまする。
仕方がありませぬ」

(183頁)

信長が「一・三・一」、秀吉が「二・八」と分けたのは、
信長が緻密で秀吉が雑だから、というわけではありません。

二割の「駄目蟻」を目の敵とした信長と、
二割の働き者以外が「より楽しく陽気に働けるよう」考える秀吉の違いです。

続編(があるのかはわかりませんが)の『秀吉の公理』(こうなるかも)では、
「人間は欲得で動くもの」を公理とする秀吉の物語になるのかもしれません。

秀吉のサクセスストーリーと晩年の狂気を
「公理」と「功利」のダブルミーニングで解明してほしいものです。

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