今日、4月21日はイエス・キリストの復活を祝う復活祭です。
「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝うことになっているので、
毎年日付が変わります。
カトリック・プロテスタントを含む西方教会ではグレゴリオ暦が、
東方正教会ではユリウス暦が使われているため、東方教会では4月28日になります。
復活に関するカトリックの神父様のお話をお聞きください。
カトリックの教え(16) - キリストのご復活とご昇天
喜びと平和のうちに(21) - イエスの復活
ハヤット神父様も松村神父様も、次の言葉に注目しています。
視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり
(文語訳聖書 マタイ伝28章20節)
イエスは十字架にかけられ、死して葬られ、三日目に死者のうちから復活し、
世の終わりまで私たちと共におられることを約束されました。
目には見えなくても、復活したイエスが私たちとともにおられること。
それが救いであり希望なのです。
イエスの復活こそが、キリスト教成立のカギであり、信仰の要です。
ムハンマドをアッラーの使徒と認めるかがイスラームの要であるように。
イエスの復活については、マルコ伝の記述が好きです。
マルコ伝でのイエスはヨルダン川に忽然と現れ、墓から忽然と消えます。
安息日終りし時、マグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ及びサロメ、
往きてイエスに抹らんとて香料を買ひ、一週の首の日、
日の出でたる頃いと早く墓にゆく。
誰か我らの爲に墓の入口より石を轉すべきと語り合ひしに、
目を擧ぐれば、石の既に轉しあるを見る。この石は甚だ大なりき。
墓に入り、右の方に白き衣を著たる若者の坐するを見て甚く驚く。
若者いふ『おどろくな、汝らは十字架につけられ給ひしナザレのイエスを尋ぬれど、
既に甦へりて、此處に在さず。視よ、納めし處は此處なり。
されど往きて弟子たちとペテロとに告げよ「汝らに先だちてガリラヤに往き給ふ、
彼處にて謁ゆるを得ん、曾て汝らに言ひ給ひしが如し」』
女たち甚く驚きをののき、墓より逃げ出でしが、懼れたれば一言をも人に語らざりき。
(文語訳聖書 マルコ伝16節1節~8節)
イエスの墓が空であることを目にした女たちは、驚きのあまり逃げ出してしまいます。
マルコ伝は、ここで終わっているというのが有力な学説です。
「復活したイエスを目にしても触れてもいない」という点で、
墓を訪れた女たちと現代に生きる私たちは同じ状況にあると言えるでしょう。
イエスは逮捕前に弟子たちにこう言い残しました。
されど我よみがへりて後、なんぢらに先だちてガリラヤに往かん
(文語訳聖書 マルコ伝 14章28節)
復活するというイエスの言葉があり、墓は空っぽだった。
さて、イエスの復活を信じますか?
マルコ伝は、そう問いかけているような気がします。
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