眠れない・・・のではなく。
なんとなく寝そびれた・・・って感じ。
夜中だから、いいかな。
ちょっと、愚痴ります。
←書き終わってから言うけど、ちょっと、じゃなかったので、それでもって方だけ続きへどうぞ。
追記に吐き出して、気持ちの解決はついてないけど、
なんだかんだと明日も頑張ってる自分がいると思うと、
少しだけ、少しだけ、
それでもいいや、って気になりました。
寝れるかな、おやすみなさい。
あれは、いつのことだったかなぁ。
義母の言動が少しキツくなりはじめた頃だったかしら。
少し・・・って書いたけど、もともと他所から聞く嫁姑あるあるに比べたら、
うちのはおかしさでは群を抜いてたりもしたんだけど。
あまりのあたりのキツさに、夫に愚痴をこぼしたんだと思うんです。
夫から返ってきた言葉に、
すぐに愚痴ったことを後悔しました。
「母と妻だったら、僕は母を取るからね」
・・・・・・・・・。
分かってます。
父親が早くに亡くなって。
女手ひとつで農家を守りながら、育ててもらったわけですから。
単身赴任が決まった時だって、まだ幼かった子供のことより、
「母を頼むね」って、そう言った人ですから。
でも、それは、あんまりじゃないの?
選ばれなかった私は、この家で、どうしたらいいの?
この家で、私は誰を頼りにするの?
衝撃のあまり、泣きも出来なかったな。
心のどこかで、何かが壊れる瞬間てあるんだね。
小学校にあがって、他人様よりだいぶ気が小さくて、厄介事ばかり起こる長男と。
「家」から「集団」へ馴染むのに時間のかかる三つ子と。
それだけで私には手一杯だったのに。
自律神経の不調からそううつ状態を繰り返していた義母に振り回される日々は、
思い出したくもないし、
そこから始まった義母のあれこれを、認知症だからの一言で片づけたくないし、
必死すぎて細かいことは覚えてもいないんだけど。
それでも。
どうにか私が立っていられたのは。
「夫」は分かってくれてるはず。と思うことだったのに。
結局のところ、根っこのところで理解してはくれないままだったってことを、
あの一言で思い知らされたんだよね。
あれから、たぶんもう20年くらいがたっていて、
良くも悪くも、頑張っちゃう自分がいて。
いまだに単身赴任(任地はあれこれ変わったけど)の夫は、
毎夜の電話で「今日はどうだった?」って私に聞くけれど。
いざ、私が母との「大変だったこと」のカケラでも言葉の雰囲気に出せば、
あきらかに機嫌が変わるのが声でわかるし、
話題を変えようとするし、
早々に電話を切ったりもするから、肝心なことは何一つ言い出せやしない。
「言わないのが悪い」「伝えないのが悪い」のは分かってる。
「今日の夫のご機嫌」を犠牲にしても、
「明日の私の精神安定」のために、やっておかなくちゃいけないことがあるのも、分かってる。
どうにか楽しいことを見つけたくて、
ライブや舞台に足を運ぶけれど。
夜行バスで帰ってくるのも、なかなかしんどくなってきたし。
「そうまでして行きたいか?」って苦言を呈されるけれど。
そうまでしないと出かけられないってことは、分かってくれない。
「出掛けられるんだから、幸せじゃん。
よその奥さんはそんなにライブとか行かないよ?」
言外に。
「黙って行かせてる夫も他にはいないよ、偉いだろ」って匂わせてるのが、分かるから。
「ありがとう」って私は微笑うけど。
確かに、「ありがとう」と「ごめんね」は私の心にいつもあるけど。
なんだかな。
そう思ってる私も、いるんだよね。
『姑小姑賢くこなせ たやすいはずだ、愛すればいい』
私の根っこにある、あの歌は。
それが出来ない私をうちのめす。
回りまわって。
それが出来ないから愛されない、と。
自己否定の沼に入り込んで行く自分がいる。
それは。
「お姉ちゃんだから、いい子にしてなさい」と言われた子供の頃と同じ。
私的には頑張ってたつもりでも、
「お前は我が儘だねぇ」の親の一言で全部が無になる、あの頃と同じ。
溜まってるな・・・笑
これ、どうしようかな。
「惚れたが負け」って、こういうことだと思いたくないんだけどな(笑)
気持ちの捨て場所が、ここしかなかったので書いちゃったけど。
今夜、寝れるかな。
なんとなく寝そびれた・・・って感じ。
夜中だから、いいかな。
ちょっと、愚痴ります。
←書き終わってから言うけど、ちょっと、じゃなかったので、それでもって方だけ続きへどうぞ。
追記に吐き出して、気持ちの解決はついてないけど、
なんだかんだと明日も頑張ってる自分がいると思うと、
少しだけ、少しだけ、
それでもいいや、って気になりました。
寝れるかな、おやすみなさい。
あれは、いつのことだったかなぁ。
義母の言動が少しキツくなりはじめた頃だったかしら。
少し・・・って書いたけど、もともと他所から聞く嫁姑あるあるに比べたら、
うちのはおかしさでは群を抜いてたりもしたんだけど。
あまりのあたりのキツさに、夫に愚痴をこぼしたんだと思うんです。
夫から返ってきた言葉に、
すぐに愚痴ったことを後悔しました。
「母と妻だったら、僕は母を取るからね」
・・・・・・・・・。
分かってます。
父親が早くに亡くなって。
女手ひとつで農家を守りながら、育ててもらったわけですから。
単身赴任が決まった時だって、まだ幼かった子供のことより、
「母を頼むね」って、そう言った人ですから。
でも、それは、あんまりじゃないの?
選ばれなかった私は、この家で、どうしたらいいの?
この家で、私は誰を頼りにするの?
衝撃のあまり、泣きも出来なかったな。
心のどこかで、何かが壊れる瞬間てあるんだね。
小学校にあがって、他人様よりだいぶ気が小さくて、厄介事ばかり起こる長男と。
「家」から「集団」へ馴染むのに時間のかかる三つ子と。
それだけで私には手一杯だったのに。
自律神経の不調からそううつ状態を繰り返していた義母に振り回される日々は、
思い出したくもないし、
そこから始まった義母のあれこれを、認知症だからの一言で片づけたくないし、
必死すぎて細かいことは覚えてもいないんだけど。
それでも。
どうにか私が立っていられたのは。
「夫」は分かってくれてるはず。と思うことだったのに。
結局のところ、根っこのところで理解してはくれないままだったってことを、
あの一言で思い知らされたんだよね。
あれから、たぶんもう20年くらいがたっていて、
良くも悪くも、頑張っちゃう自分がいて。
いまだに単身赴任(任地はあれこれ変わったけど)の夫は、
毎夜の電話で「今日はどうだった?」って私に聞くけれど。
いざ、私が母との「大変だったこと」のカケラでも言葉の雰囲気に出せば、
あきらかに機嫌が変わるのが声でわかるし、
話題を変えようとするし、
早々に電話を切ったりもするから、肝心なことは何一つ言い出せやしない。
「言わないのが悪い」「伝えないのが悪い」のは分かってる。
「今日の夫のご機嫌」を犠牲にしても、
「明日の私の精神安定」のために、やっておかなくちゃいけないことがあるのも、分かってる。
どうにか楽しいことを見つけたくて、
ライブや舞台に足を運ぶけれど。
夜行バスで帰ってくるのも、なかなかしんどくなってきたし。
「そうまでして行きたいか?」って苦言を呈されるけれど。
そうまでしないと出かけられないってことは、分かってくれない。
「出掛けられるんだから、幸せじゃん。
よその奥さんはそんなにライブとか行かないよ?」
言外に。
「黙って行かせてる夫も他にはいないよ、偉いだろ」って匂わせてるのが、分かるから。
「ありがとう」って私は微笑うけど。
確かに、「ありがとう」と「ごめんね」は私の心にいつもあるけど。
なんだかな。
そう思ってる私も、いるんだよね。
『姑小姑賢くこなせ たやすいはずだ、愛すればいい』
私の根っこにある、あの歌は。
それが出来ない私をうちのめす。
回りまわって。
それが出来ないから愛されない、と。
自己否定の沼に入り込んで行く自分がいる。
それは。
「お姉ちゃんだから、いい子にしてなさい」と言われた子供の頃と同じ。
私的には頑張ってたつもりでも、
「お前は我が儘だねぇ」の親の一言で全部が無になる、あの頃と同じ。
溜まってるな・・・笑
これ、どうしようかな。
「惚れたが負け」って、こういうことだと思いたくないんだけどな(笑)
気持ちの捨て場所が、ここしかなかったので書いちゃったけど。
今夜、寝れるかな。