1分にも満たない、その映像を、何度も何度も見続けています。
あの日以来、私たちの前からぱったりとその姿を隠していた渋谷すばるが、
確かに、そこに居ました。
「渋谷すばるです」
偽物かどうかなんて、疑わなかった。
「愛してます。」
その文字だけで十分だった。
生存確認を伝えようとしてくれるだけで、
伝えなきゃと思っていてくれただけで、
それが分かっただけで、
ただただ嬉しかった。
不器用に笑った笑顔じゃなくて、
映像が自撮りじゃなくて、ちゃんと「誰か」に撮ってもらえていること、
それを伝える術を、すばるに持たせてくれた人がいること。
独りじゃなくて、
すばるの周りに、ちゃんとした誰かがいるということ。
伝えられてくるのは「連絡がとれない」って事実ばかりだったから、
自分を追い込みすぎてやしないかって心配だったのに。
安心したんだ。
あの、わずかな映像だけで。
知らない異国で、
流れる景色見つめてる瞳も、
ぼそぼそっと一言二言話す声も、
細い腕も、
薄い肩も、
小さな背中も、
そこに映るすばるのすべてが、いとしくてたまらない。
「生きてる」確認を、まさにしている瞬間の彼がそこにいるのが嬉しい。
「渋谷すばる」というフィルターを通って、言葉が生まれ、
たくさんの積み重なった瞬間から音が生まれ出て、
私たちに届くまでには、まだ時間がかかるんだろう。
でも、それを「待てる」ことは確信出来たよ。
ありがとう。