☆農園ビギン☆~笑う門にはイモ来たる~

新潟小千谷市で野菜の直売とサツマイモお菓子を作る農園ビギンのつぶやきブログ☆

出産報告☆

2013年02月03日 | わたくしごとですが・・・


1978年2月3日

我が家に女の子が生まれ、新しい家族が加わりました。
これからも末永いお付き合いのほど、よろしくお願いします。





って

この子

愛しの
姪っ子ちゃんです


自分の子供も携帯の待受けにしたことなかったのに
今の私の待ちうけは姪っ子ちゃんです

え?
1978年って大昔過ぎて誰もだまされてないって??

今は21世紀だぞ?
時代設定を考えろ?

ハイハイ
ワタクシゴトですみません
今日は私の35歳の誕生日でございます。

ついにアラフォーに突入です

29歳のときは20代から30代になることに、すごくためらいがあったけど
今はね
すごく

楽しみ

35歳も40歳も、60歳も・・・

素敵に年を重ねて行きたいと思うのです

そんな風に思えることも
幸せだなあと思うのです

今もいろいろあるけどね
悩んだり、葛藤したり、迷ったりもするけどね
20代の時より
30代の今のほうが
自分らしくて好きです、よ。

いくぜ!!
アラフォー!!!

35歳の女性らしい女性
そして
さつまいもの香りのするいいオンナを目指して頑張ります!!!!





最後に
一年前のネタですが、私の生まれた日の物語

母がそのとおりだと大笑いしてくれたので。。。

お暇だったらご覧ください








東京都江戸川区のとある病院で、3600gもある大きな女の子が生まれた。


髪の毛は薄く、目だけがクリクリしていたその女の子は
ごくごく普通の小林家の次女として生まれた。

出産当日
父である精二は酒を飲みに行っていた。

長女の時もそうであったように・・・

気が小さい精二は、出産に立ち会うことは決してなかった。

生まれたとの連絡が来て、病院に駆け付ける頃にはすっかり出来上がっていた精二。

病院に並んだ自分の我が子を見て、一言つぶやいた。



「女か・・・」



自営業を営んでいた精二は跡取り息子が欲しかった。
息子ができれば会社も大きくしたいと思っていた。

しかし
男の子だと思い込んでいた赤ん坊は女の子だった・・・

病室で休んでいる母、順子のもとへいくと「お疲れ様」の言葉を言うより早く




「おめえ
和田アキコみたいなでっかい女の子を生みやがって」



いきなりの暴言。

順子は言葉を見失った・・・

母としては無事生まれてきてくれれば、男でも女でもどちらでも良かったし、自分自身も女の姉妹が多く、上の子に妹ができたことをとても喜んでいたからだ。

酔っ払っていた父・精二。

その後も労いの言葉はなく、「あんな赤ん坊、いらねえ」とまで言う始末。


挙句の果てに



「名前はろりこだな。うちで飼っている猫のロリロリから取ってつけてやろう」

いい出した。

母・順子は驚愕した。
長女の時もそうであったように、精二は言いだすと絶対に譲らない。

「道路の路、理科の理でいいじゃねえか」

漢字も適当につけようとしていた。
順子は泣いて「それだけはやめてくれ」と懇願した。

しかし
父の気持ちは変わらない。

男の子だったら「動」ってつけようと思ったのに・・・女の子の名前なんて考えてられるか!」
と・・・


やめて・・・
それだけはやめて・・

母・順子は生まれてきた次女の将来の悲観して、それだけは阻止せねばと思った。

そこで
唯一、精二が言うことを聞く精二の実母すずばあちゃんに頼んだ。

「お願いします。路理子だけはやめさせてください!!!!」

すずばあちゃんもさすがに黒猫ロリロリの名前と一緒ではかわいそうだと思ったのだろう。



「よしよし
じゃあ
りえこ、にしよう」


と。



ようやく正式に名前が決まった赤ん坊。

精二が役所に名前を書きに行ったら、心に決めていた漢字をど忘れしてしまった。

「オレが決めたんじゃねえし、なんでもいいか」


役所で適当につけたのが

「梨恵子」
であった。











あれから
35年。











「梨恵子」はグレルこともなく、果物では梨、イモ類ではさつまいもを愛し、さつまいもの恩恵を日本中の人に与えようと洗脳活動を頑張る女性へと成長した。


トウキョウからニイガタへ移り住んだ「梨恵子」はその後も楽しく平和に暮らしましたとさ。

終わり