貴田庄・著「原節子 あるがままに生きて」(朝日文庫)を読む。原節子は、本名会田昌江、1920年(大正9年)生まれ、今年90歳ということになる。その消息は不明だが、死亡したとの記事も見られないから、まだ、元気だと思いたい。亡くなった僕の父は大正8年生まれなので、一つ違い。だから、生きる世界は違ってもほぼ同じような時代を生きてきた人としてその歩みは何となくイメージしやすい。この本は、42歳で銀幕を去り引退した伝説の女優の人生を、関わった人たちの証言や本人の言葉を紡いで再構成しようという試み。何しろ引退して半世紀近く、一切人を避けて暮らしているのだから、最近の証言を集めるわけにもいかないのだろう。週刊誌の「あの人はいま」的な盆暮の企画にときどき噂が散見されるが、その後の消息がさっぱり分からないのが伝説の女優たる所以といえば所以だが。
さて、この伝説の女優の引退作品が「忠臣蔵」(1962年・稲垣浩監督)の大石の妻役というのはいささか寂しいものがある。とりわけ1950年代(1949年の「晩春」から始まるが)の、すなわち30代の原節子は、小津映画のヒロインとして出色だっただけに、もっといろいろな役を見たかった。個人的には「東京暮色」の暗さと、喪服姿が好きだけれど、今回この本を読むと、「晩春」「麦秋」「東京物語」の紀子3部作の紀子役が本人に最も近いのではないかと想像してみたのだった。映画は見ていても女優本人の人となりについては、あまり知らなかった。実際、その日本人離れした顔立ちから北欧系の血が入ったハーフだか、クウォーターらしいと言った母の言葉をずっと信じていたくらいなので、そういう事実はないということも含め、ビールと読書が好きだという原節子の入門として面白く読めたのだった。
さて、この伝説の女優の引退作品が「忠臣蔵」(1962年・稲垣浩監督)の大石の妻役というのはいささか寂しいものがある。とりわけ1950年代(1949年の「晩春」から始まるが)の、すなわち30代の原節子は、小津映画のヒロインとして出色だっただけに、もっといろいろな役を見たかった。個人的には「東京暮色」の暗さと、喪服姿が好きだけれど、今回この本を読むと、「晩春」「麦秋」「東京物語」の紀子3部作の紀子役が本人に最も近いのではないかと想像してみたのだった。映画は見ていても女優本人の人となりについては、あまり知らなかった。実際、その日本人離れした顔立ちから北欧系の血が入ったハーフだか、クウォーターらしいと言った母の言葉をずっと信じていたくらいなので、そういう事実はないということも含め、ビールと読書が好きだという原節子の入門として面白く読めたのだった。