グレート東郷、懐かしい名前だ。股引のようなタイツに下駄履きでニタニタしながら、両肩をクイックイッとあげるパフォーマンスは小学校でよく真似をした。この本にも書かれているようにアメリカのマット界では襲撃にあうほどのヒールだったわけだが、リアルタイムで見た日本での東郷はキモカワイイやられ役といった印象のほうが強い。確かにいつも額から血を流してニタニタしていたけれど、愛嬌のあるキャラクターだったのだ。
テレビ放送とプロレスが始まった年に生まれた僕の家でも、金曜日夜8時は日本テレビのプロレス中継だった。少年マガジンやサンデーの記事にもキラー・コワルスキーやフリッツ・フォン・エリックの伝説的な物語が石原豪人などのイラストと共に幾度となく掲載され、プロレス熱をかきたてた。この本に書かれているユセフ・トルコの東郷襲撃事件は中学生のときだったはず。あのレフリーのトルコは意外に悪いやつなんだと思ったし、国際プロレス旗揚げでグレート草津がルー・テーズにあっさり敗れた試合にはがっかりしたけれど、ルー・テーズはなんでこんなに強いのだろうと思ったものだ。そう、ずいぶん年なのに。
高校になるとプロレス八百長説が盛んに流布された。「赤旗」愛読者の同級生モリヤ君が、場外乱闘になるとみんな出血するのはリングの下に血袋が隠してあり、倒れた隙に額に血袋の血を塗るのだと訳知りに語り、グレート・アントニオみたいなプロレス者のアラキ君にヘッドロックや頭突きを食らって反撃されていた。力道山が朝鮮の生まれであることを知っても、日本人のヒーローであったことに変わりなかった。その後猪木の新日ブームがくるけれど、僕にとってのプロレスの幸福な時代は終わっていた。
さて、この本は映像ドキュメンタリー作家がテレビで実現できなかったテーマを活字の場でまとめたプロレスラー・グレート東郷のドキュメントだ。アメリカのマット界で真珠湾攻撃を髣髴させる卑劣なジャップとしてのヒールぶりで絶大な人気と反感をかっていた日系2世のグレート東郷。“血笑鬼”といわれたヒールとして活躍する一方、力道山の片腕として日本のプロレスの発展に貢献した興行師としての側面を持つ。その東郷の母親が実は中国人で日系社会からも疎外された存在だったということから、力道山と東郷という2人の故郷喪失者によって日本に根付いたプロレスの表裏をサイドストーリーにしながら、われわれの中にあるナショナリズムに光をあてようというのが試みではあった。
森達也のドキュメントの面白さは、発端から結末までの作家の心の揺れのドキュメントであるところだ。だからこの本でも、森が当初意図したようにことは進まない。東郷の母親が中国人であるならば、日本人と中国人の血が流れる在日2世のアメリカ人と、プロレスという舞台で在日1世という出自を終生隠しながら日本人として大和魂の復活を鼓舞し続けた力道山が盟友としてタッグを組んだこともうなずけよう。そこに複雑なナショナリズムの姿をあぶりだそうとしたのだが、取材を重ねていくうちに「東郷の母親は日本人」だとか、いや「コリア」だとか、最終的にはアメリカの出生届けによって父も母も日本人の名前であったとされ、結局真実は闇の中に沈んだままになった。東郷の実像に迫ろうとした当初の目論見は挫折した。あとがきで「血みどろになりながら笑い続けるグレート東郷は、僕よりはるかに役者が上だった。悔しいがここは負けを認めねばならない」と書く。それでも、この話は面白かった。できれば、映像にしてほしかったが。
もとより今日の政治家たちが軽々しく口にする「国を愛する」だとか「美しい国」だとかの分かりやすそうな報国の言説ほど胡散臭いものはない。国に対する愛憎は奥深く曖昧で厄介だ。グレート東郷のあのニタニタした笑いのように。そのことが分かればこの本はそれでいいのだ。
そして寺山修司の歌を思い出す。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや