ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

グレート東郷ノーリターン

2006年08月31日 | 
『悪役レスラーは笑う-「卑劣なジャップ」グレート東郷』森達也著(岩波新書)は面白い。そしてどこか悲しい。そして私たちにとって国とは何か考える。

 グレート東郷、懐かしい名前だ。股引のようなタイツに下駄履きでニタニタしながら、両肩をクイックイッとあげるパフォーマンスは小学校でよく真似をした。この本にも書かれているようにアメリカのマット界では襲撃にあうほどのヒールだったわけだが、リアルタイムで見た日本での東郷はキモカワイイやられ役といった印象のほうが強い。確かにいつも額から血を流してニタニタしていたけれど、愛嬌のあるキャラクターだったのだ。

 テレビ放送とプロレスが始まった年に生まれた僕の家でも、金曜日夜8時は日本テレビのプロレス中継だった。少年マガジンやサンデーの記事にもキラー・コワルスキーやフリッツ・フォン・エリックの伝説的な物語が石原豪人などのイラストと共に幾度となく掲載され、プロレス熱をかきたてた。この本に書かれているユセフ・トルコの東郷襲撃事件は中学生のときだったはず。あのレフリーのトルコは意外に悪いやつなんだと思ったし、国際プロレス旗揚げでグレート草津がルー・テーズにあっさり敗れた試合にはがっかりしたけれど、ルー・テーズはなんでこんなに強いのだろうと思ったものだ。そう、ずいぶん年なのに。

 高校になるとプロレス八百長説が盛んに流布された。「赤旗」愛読者の同級生モリヤ君が、場外乱闘になるとみんな出血するのはリングの下に血袋が隠してあり、倒れた隙に額に血袋の血を塗るのだと訳知りに語り、グレート・アントニオみたいなプロレス者のアラキ君にヘッドロックや頭突きを食らって反撃されていた。力道山が朝鮮の生まれであることを知っても、日本人のヒーローであったことに変わりなかった。その後猪木の新日ブームがくるけれど、僕にとってのプロレスの幸福な時代は終わっていた。

 さて、この本は映像ドキュメンタリー作家がテレビで実現できなかったテーマを活字の場でまとめたプロレスラー・グレート東郷のドキュメントだ。アメリカのマット界で真珠湾攻撃を髣髴させる卑劣なジャップとしてのヒールぶりで絶大な人気と反感をかっていた日系2世のグレート東郷。“血笑鬼”といわれたヒールとして活躍する一方、力道山の片腕として日本のプロレスの発展に貢献した興行師としての側面を持つ。その東郷の母親が実は中国人で日系社会からも疎外された存在だったということから、力道山と東郷という2人の故郷喪失者によって日本に根付いたプロレスの表裏をサイドストーリーにしながら、われわれの中にあるナショナリズムに光をあてようというのが試みではあった。

 森達也のドキュメントの面白さは、発端から結末までの作家の心の揺れのドキュメントであるところだ。だからこの本でも、森が当初意図したようにことは進まない。東郷の母親が中国人であるならば、日本人と中国人の血が流れる在日2世のアメリカ人と、プロレスという舞台で在日1世という出自を終生隠しながら日本人として大和魂の復活を鼓舞し続けた力道山が盟友としてタッグを組んだこともうなずけよう。そこに複雑なナショナリズムの姿をあぶりだそうとしたのだが、取材を重ねていくうちに「東郷の母親は日本人」だとか、いや「コリア」だとか、最終的にはアメリカの出生届けによって父も母も日本人の名前であったとされ、結局真実は闇の中に沈んだままになった。東郷の実像に迫ろうとした当初の目論見は挫折した。あとがきで「血みどろになりながら笑い続けるグレート東郷は、僕よりはるかに役者が上だった。悔しいがここは負けを認めねばならない」と書く。それでも、この話は面白かった。できれば、映像にしてほしかったが。

 もとより今日の政治家たちが軽々しく口にする「国を愛する」だとか「美しい国」だとかの分かりやすそうな報国の言説ほど胡散臭いものはない。国に対する愛憎は奥深く曖昧で厄介だ。グレート東郷のあのニタニタした笑いのように。そのことが分かればこの本はそれでいいのだ。

 そして寺山修司の歌を思い出す。

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや

 
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回文俳句12 夜半の蝉

2006年08月30日 | 回文俳句

 晩夏になると道端に蝉の亡骸が落ちています。短いいのちに一句。

夜半の蝉 空しく死なむ 店の端よ

よはのせみ むなしくしなむ みせのはよ

 

明日も暑うなるぞ。 

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回文俳句11 祭り舟

2006年08月29日 | 回文俳句

 夏祭りももう終わり。蝉の声がうるさくなると晩夏を感じます。往く夏を惜しみつつ一句。

 

祭り舟 神輿で仕込み 舐り妻

まつりぶね みこしでしこみ ねぶりつま 

 

 こんな句でどんな情景が浮かびますかね。

帆掛け舟なんていう技はあるようですが、祭り舟というのはありませんよね。

まあ、いずれにしろ夏祭りの熱気は身も心も開放的にさせてくれます。

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スターリンの子どもはスターリンコリン?

2006年08月29日 | 
 大学時代の宴会芸で、「メリーさんの羊」の替え歌で、「スーパーマンの子ども、子ども、子ども、スーパーマンの子供はスーパーマン子」とか「ミスターチンの子ども、子ども~」なんてたわいもない唄を歌って騒いだことがある。スターリンだと「スターリンコリン」なんて、いまならなるんだろうか。

ところで、スターリンとヒトラーではどちらが悪党かとか、歴史上最悪の独裁者は誰かなどと問われることがしばしばあるが、粛清のスケールではスターリンに軍配が上がろう。第二次世界大戦の勝者であったがために、スターリンの粛清はナチスのユダヤ人虐殺のように敗者として裁かれることはなかったが、「一人の人間の死は悲劇だが、数百万人の人間の死は統計の数字だ」といった語録に象徴されるように、このグルジア人は相当な悪党であったことは間違いない。しかもその後の毛沢東、金日成、ポルポト、果ては連合赤軍まで赤い独裁者のモデルとなったという点でも罪深いし、スターリン化のメカニズムは国家に限らずどのような組織にもありうるという点が恐ろしいのだ。

なんといっても民族だとか主義、血縁など関係なしに、反革命(実に都合のいい言葉だ)やスパイ容疑をでっち上げて大量に(1,000万人ともいわれる)人民(ヴィ・ナロードでありながら)を粛清した。粛清の対象になった中には、ソ連を理想の国として夢見て亡命したり、国際共産主義運動に身を投じてソ連で活動していた日本人も100人近くいたといわれる。ソ連崩壊後、内部資料によって粛清の実態が次第に明らかになりつつあるが、そうしたなかで、スターリンと血を分けたその一族たちはどうこの時代を生きたのか。そんなわけで「スターリン 家族の肖像」福田ますみ著(文芸春秋社)を読んでみた。

本著は主にいまもロシアで暮らしている、スターリンの孫アレクサンドル・プルドンスキー、エフゲニー・ジュガシヴィリ、ガリーナのインタビューと娘スヴェトラーナの自伝、その他関係者の証言や資料をもとに、スターリンの一族という宿命に翻弄されながら人生を歩んできた人たちの苦悩や家族から見た独裁者像を描いている。無関心と溺愛、スターリンは、その家族にとっても尋常ならざる父や祖父であったようだ。スターリンには最初の妻にヤーコフ、2番目の妻に、ワシーリーとスヴェトラーナという3人の子供がいた。それにしてもこの独裁者にして子供が3人というのは少ない。肖像画に描かれる鋼鉄の男からは程遠く、この男はきっとセックスには淡白だったのではないかと思うのだ。

さて、スヴェトラーナは、ロシア革命50周年の年にアメリカに亡命、その後一時ソ連に帰国するが、再びイギリスへ脱出、そして最後はアメリカに移住した。この娘がスターリンには最も可愛がられたらしいが、結婚相手が強制収容所送りになったことで以来父親との確執は耐えなかった。長男ヤーコフはスターリングラード攻防戦でドイツ軍の捕虜となり、ドイツ軍将校との捕虜交換要員となったが、スターリンがそれを拒否、後に獄死している。次男ワシーリーは空軍パイロットだったが、スターリンの子供であることに耐えることができずアル中で廃人同様となって死亡。スターリンの死後、フルシチョフのスターリン批判によって、その大粛清の一部が明らかにされるのだが、そうした歴史の激動に、スターリンの孫たちも否応なく晒され、スターリンの姓であるジュガシヴィリ姓を捨てる孫もあれば、スターリン・ブロックなる政党を組織してスターリン時代の復古を夢見る孫もいる。どう生きようともいずれもがスターリンを背負い続け、そのくびきから逃れられずにいるのだった。

注意しよう。閉じられた組織は必ずスターリン化する。
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回文俳句10 冷やしラムネ

2006年08月24日 | 回文俳句

 夏の飲み物といえば冷やしたラムネだった。近所の駄菓子屋が夏になるとかき氷を始める。ぶっかいた氷を入れた桶やバケツに緑色のラムネの瓶が入っている。1本5円。栓抜きでビー玉を突いて、泡がこぼれないようにすぐ口をつけてすすると、ひんやりしたガラス瓶の感触と炭酸のはじける清涼感が口に広がる。

 ビー球が穴を塞がないよう瓶の窪みにうまく落として飲むのがコツだ。一息入れて縁台に瓶を立てるとカラカラとビー球が音をたてる。西の空は夕焼け。「明日もあつーなるぞ」と店の爺さんが、腰の手ぬぐいで首すじをぬぐう。走って家に帰る後ろに、またカラカラとビー球が鳴った。毎日がこんな夏だった。

冷やしラムネ 

   飲んで都電の 眠らしゃい(ひ)。 

ひやしらむね のんでとでんの ねむらしやひ

ちょいと無理があるけど、「眠らっしゃい」と読んでね。

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回文俳句9 血の戦

2006年08月23日 | 回文俳句

8月はやっぱり戦争について考える。

こんな句ができた。

薔薇いま咲くいのち 血の戦 my lover(マイラバー)

 ばらいま さくいのちちのいくさ まいらば

「花はどこへ行った」なんていう昔のフォークソングを思い出していただくといいかもしれない

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ダーティ・サリーとダーティーサリーの違いは?

2006年08月21日 | 
 エルロイ、パーカー絶賛の腰巻惹句、翻訳がトンプスンでおなじみ三川基好(音が氷川きよしとMHの違いのみという恵まれた名前)ときたので、きっと面白かろうと買ってしまったタイトルは「ダーティ・ハリー」でも「のっぽのサリー」でもない「ダーティ・サリー」。マイケル・サイモンという作家ののデビュー作。

 確か巨乳ポルノ女優シャロン・ケリーの映画で「ダーティーサリーのなんとか」みたいなのが昔あったと思い出したが、もちろん全く関係ない。ちなみにこちらの映画の男優は、ダーティ・ハリーならぬ巨砲男のハリー・リームズ。ケリーとハリーのガチンコ対決というすごい一品。

 さて、ダーティ・サリーとは身元不明のバラバラ死体のとりあえずの呼称なのだが、彼女は何者だったのかを探るうちに、テキサス州の街を牛耳る権力者や警察の巨悪が暴かれ、これと闘う主人公の刑事ダン・レリスの孤独な人生が交錯するというお話。まあ、すぐハリウッドがとびつきそうなストーリーではある。

 猟奇的殺人、汚職、人種差別、娼婦、ドラッグ、変態、家庭の崩壊と舞台装置はアメリカの暗部がてんこ盛りだ。首と四肢を切断され、内臓が見える人体標本状態で発見されるサリーという若い女は、なぜこんな状態で自分の人生を終えなければならなかったのかという問いが、ダンをこの捜査にのめりこませていくのだが、それはダン自らのバラバラになった心の再生物語でもあるのだった。

 だから、この小説の醍醐味は、犯人探しではない。容疑者や関係者が次々と謎の死やら殺されるやら、まさに、そして誰もいなくなった状態へと物語は進んでいく一方で、バラバラだったサリーの体と人格は形を成し明らかになっていく。その中で主人公ダンは、巨悪と戦いながらまるでサリーの体のように解体していた自らの心を再生しようと格闘する。そいう男の心の葛藤を読ませる小説なのだが、どうやらその物語はこの一篇だけでは終わらないようなのだった。
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強力!ペキンパー、トンプスン、マックィーン、クィンシー

2006年08月16日 | 映画
 サム・ペキンパー監督「ゲッタウェイ」(1972年)は、原作ジム・トンプスン、脚本ウォーター・ヒル、音楽クィンシー・ジョーンズ(ハーモニカ:トゥーツ・シールマンス)、という強力なスタッフ、スティーヴ・マックィーン(ドク・マッコイ)、アリ・マッグロウ(キャロル)、アル・レッティエリ(ルディ)、ベン・ジョンソン(ジャック)という布陣でできた快作だ。

 ジム・トンプスンの原作を読む機会には、まだ恵まれていないのだが、いずれも癖のあるキャストの好演によってトンプスン的世界が見事に描かれている。ドクを追いかけるルディ(「ゴッドファーザー」でおなじみのアル・レッティエリ)と獣医夫婦が車の中でポークチョップを投げあうシーン、死んだジャックの子分たちが飛びそうになるカーボーイハットを押さえながら窮屈そうにオープンカーで追走するシーン、コインロッカーで金の入った鞄を騙し取る詐欺野郎のエピソード、車内でドクが黒人の少年に水鉄砲で撃たれるシーンをみよ。この無意味な馬鹿さ加減こそトンプスンワールドの住人たちの持ち味なのだ。

 逃走劇が始まってからのペキンパーの演出は冴えわたる。ドクがポータブルラジオを買いに行った足でショットガンを買い、店を出るや銃をくるんだ包装紙を解きながら、パトカーに向かってショットガンをぶっ放し、車で逃走するシーンのペキンパーの見事な連続技。そしてマックィーンの歩き方がすばらしい。
 
 トゥーツ・シールマンスのハーモニカが奏でるテーマが美しい。とりわけ出所後の川のシーン。スローモーションはややもすると感情の水増しやメロドラマとの安易な妥協になることがある。出所したばかりのドクが妻のキャロルと川で水遊びをするスローモーションシーンが、緊張感を維持しながらなおかつ美しいのは、それが現実なのかドクの願望なのかがこのシーンだけでは明らかにされないからだ。濡れた服のままで2人が帰宅する次のシーンで、水のスローモーションシーンが離れ離れになっていた男女の愛の交歓シーンであったことが強調されることになる。この逃亡劇のなかで、再びドクとキャロルが愛を確かめ合うのは、夢の島のようなゴミ集積地であり、その後の2人はなんとコインランドリーで服も体も洗濯してしまうのだった。

 ノワール・ロードムービーとでもいうのだろうか。ラストは、ドクとキャロルが蜂の巣になって終わるという案もあったらしいが(トンプスン案らしい)、実際はメキシコ脱出に簡単に成功してしまう。やんちゃな男女を、俺も若い頃はわるさしたんだといった風情でメキシコへの逃亡を助ける爺さんも、謝礼金を吊り上げるあたりのこずるさがあったりで、このラストは秀逸だと思うのだった。
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回文俳句8 西瓜食う

2006年08月15日 | 回文俳句

 えー、ひさびさの回文俳句です。  

 西瓜食う 簾暮れだす 浮く返す。

 すいかくう すだれくれだす うくかいす

 簾ごしの夏の庭が夕焼け色に染まると蝉の声も大きくなる。盥に冷水を流して浮かべた西瓜が涼を呼ぶ。縁側には蚊取り線香。あー夏休み

 

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8月15日はライオン銀座7丁目店でビールを飲もう

2006年08月15日 | アフター・アワーズ
 ライオン銀座7丁目店のビヤホールは昭和9年(1934年)創建の店舗がそのまま残されていて、壁面のモザイク画とともに昭和初期のレトロな雰囲気に浸れる。

 ホールいっぱいの客とウエイター、ウエイトレスのきびきびした振る舞いがかもしだすビヤホールならではの活気にひたっていると、ミュンヘンあたりのビヤホールにいるような気分になる。老夫婦が2人でジョッキを傾けている。柱の影の席でひとり蝶ネクタイの紳士がパイプをくゆらせていたる。客も老若男女幅広い。つまみもアイスバインから冷奴まで多彩。ちょっと昼下がりに一杯のつもりがついジョッキが進んでしまう。
 
 70年以上前の戦前の建物がそのまま残され使用されているのは、もはや東京では数少ないが、それだけにメニューに記されていた老婦人のエピソードを読んで、ウルウルッとさせられた。

 老婦人は少女時代、戦地に赴く前の父親にこの店に連れてきてもらったのだという。父親はジョッキを、少女はリボンオレンジを注文してひと時をすごした。その後父は帰らぬ人となった。もう一度この店を訪ねる気になったのは60年以上もたってからだった。ビヤホールはあの時と何も変わっていなかった。あの日に連れ戻してくれたことに感動して、店の方に感謝の言葉を述べたのだという。
 
 僕はこういう話に弱い。メニューにさりげなく書かれていたこのエピソードを読みながら、少女は、きっと強くてやさしい父親が大好きだったのだろう、少女の胸にはこの日の父親の笑顔が永遠に刻まれていたのだろう、その思いが伝わってきて目頭が思わず熱くなった。
 
 今日は8月15日だ。あの鳥居をくぐるより、この少女の気持ちになってライオン銀座7丁目店でビールを飲んでみよう。
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