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多国籍俳優による多言語がサスペンスを生み出す「イングロリアス・バスターズ」

2009年11月30日 | 映画
「イングロリアス・バスターズ」(クエンティン・タランティーノ監督)は、多国籍の俳優が母国語で演技し、その言葉がドラマやサスペンスの鍵になる映画だ。

 封切翌日の土曜の初回だったが、わが街の映画館はみごとに空いていた。ブラピ惨敗か。だが、映画は滅茶苦茶面白い。

 冒頭、のどかな牧場風景に、干したシーツの向こう側からバイクの音が聞こえ、シーツが風になびくと、彼方からサードカーに乗ったナチスの兵隊が近づいてくる。ユダヤ・ハンターと恐れられるランダ大佐たちだ。大佐は慇懃なしぐさで家の中に入り、牛乳を所望し、巧みなフランス語で会話しながら、村にいたユダヤ人家族がどこに行ったかを尋ねる。家主はスペインに逃げたと応える。大佐はユダヤ人をネズミにたとえて、ネズミが家の下を這い回るのは習性だと、ユダヤ人家族がこの家の地下に隠れていることを暗示的に語り、やがてフランス語をドイツ語に切り替えて、家主を恫喝しながらユダヤ人たちに分からないよう白状させ、兵士を招き入れて容赦なく地下に銃弾を浴びせる。ここで、メラニー・ロラン演じるショシャナが家族で唯一生き残り脱出。ユダヤ人少女によるナチスへの復讐劇というこの映画の一つの流れが語られる。この第一章の緊張感はすばらしい。とりわけ、ランダ大佐役のクリストフ・ヴァルツが強烈な存在感を発揮する。ヴァルツはこの映画でドイツ語、英語、フランス語、さらにはイタリア語まで自在に操り、多言語が飛び交うこの映画の中で、ブラピの影を薄くさえしているのだ。

 第二章で主人公レイン中尉役のブラピが登場。ナチス・ハンターのユダヤ人特殊部隊の隊長役で、リー・マービンが生きていたら演じるのがふさわしかろう役どころなのだが、ブラピは、妙に鼻にかかった声でヤンキーヤンキーした英語をしゃべったり、相当つくっているところがおかしい。映画の後半、ナチスのプロパガンダ映画の試写会に進入するためイタリア人映画関係者になりすますのだが、イタリア語は分かるまいと高を括っていると、ランダ大佐はイタリア語も堪能であっさりと悟られてしまうというオチがある。

 ナチス・ハンターの特殊部隊といっても、集められたユダヤ人たちは、鼻が大きくどこかみんな弱々しい、アメリカ映画の典型的なユダヤ人イメージを踏襲しているところが笑わせる。こんな扱い方でいいのと思ってしまうのだが、極めつけは、「ユダヤの熊」と恐れられるイーライ・ロス演じるドノウィッツ軍曹の登場シーン。ためにためて、どんな凶暴な男が出てくるのかと思えば、毛深い大男とはいえ、ごくふつうの男が登場する。「ユダヤの熊」の登場と、さんざんドイツ兵を脅しておいて出てきたのが普通の男なので、たぶん拍子抜けしたドイツ兵は、余裕さえみせて自分の陣地の位置を頑なにしゃべらない。だが、ユダヤの熊が非情な身振りでドイツ兵をバットで撲殺すると、ほかの兵士は恐怖の余りあっさりとげろってしまう。ランダ大佐のイタリア語にしてもこういうオチのたたみかけ方がタランティーノはうまい。

 国籍を問わず全ての登場人物が英語をしゃべるアメリカ映画とは異なり、この映画は、アメリカ人やイギリス人は英語、ドイツ人はドイツ語、フランス人はフランス語をしゃべり、しかもそれぞれの国籍の俳優が演じている。複数の言語が飛び交うヨーロッパという舞台のサスペンスを言葉によってうまく演出していて、イギリス人の特殊部隊がドイツ人女優のレジスタンス、ダイアン・クルーガーと落ち合う酒場のシーンでは、ドイツ軍将校に変装したイギリス人のドイツ語の発音がおかしいと居合わせたゲシュタポが問い詰める。この場面の緊張感もなかなかで、長々としたカード遊びで緊張感を盛り上げ、その果てに、酒を注文する時の3本指の出し方がドイツ人と違うことで変装がばれて、壮絶な銃撃戦になるというのがオチだ。

 この映画の白眉は、ショシャナの映画館でヒトラー、ゲッベルスなどナチスの高官が集まってのプロパガンダ映画の上映シーンだが、爆薬代わりに映画館にあるフィルムを燃やしてナチス首脳部を皆殺しにするという計画が実行される。ナチス映画は、途中でショシャナが自ら撮影したフィルムに切り替わり、ナチスへの呪いのメッセージが劇場にこだまする。これを合図にフィルムに火が放たれ、劇場は一気に火炎に包まれ、スクリーンは焼け落ちるのだが、劇場を満たす煙にショシャナの映像が亡霊のように映し出されるという、ああ、タランティーノはこれがやりたかったのだなと思わず喝采を贈りたくなってしまったのだった。ちなみに、このシーンではヒトラーもゲッベルスもみんな死んでしまうという、歴史を無視した荒唐無稽さで観るものを楽しませる。

 ゲッベルスの情婦役で、日本でもおなじみのジュリー・ドレフュスが妖しい魅力をふりまいている。ショシャナがレストランでゲッベルスと会う場面では、会話と会話の間に、ショシャナの想像イメージとしてゲッベルスと情婦が後背位でまぐわうシーンが唐突に短く挿入される。確かにナチス高官のアモラルな私生活を想像させるショットではあるのだが、これ以外、ゲッベルスと情婦がいちゃいちゃするわけでもなし、サービスショットのつもりなのかどうか、いずれにしろいろいろ楽しめる映画なのだった。

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