ブログ、巨人軍。

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中里篤史、マウンドに立つ。

2010-07-18 23:59:47 | 2010年シーズン
5年前、このブログではじめて中里の記事を書いた

2000年(平成12年)のドラフトでドラゴンズからの1位指名を受けプロ入りした中里篤史(埼玉・春日部共栄高)。
ルーキーイヤーには150キロのノビのあるストレートでプロの打者の度肝を抜いた。しかしその年のオフに肩を大けがしてしまう。
中里のプロ野球人生はそこからのケガとの長い闘いに集約される。

復帰、ケガの再発。ここ数年はなかなか彼の実情を知る事が出来なかった。それくらい彼の名前を聞く事がなくなっていた。ここ1、2年、公式戦で数試合は登板していたようだが、以前の力は出なかったのだろうか、昨年のオフ、ついにドラゴンズから戦力外通告を受けた。

「中里、戦力外」
そんな見出しに目を疑った。
えぇ!やっぱりダメだったのかぁ!
だが次の瞬間には「ジャイアンツ中里誕生!」を勝手にアタマに中で練り上げていた。
これはチャンス!
そしてすぐにそのことをブログで記事にした。
「ジャイアンツは中里をすぐに調査すべし!」

それから数日後、ジャイアンツが中里の調査に乗り出していることを知った。そしてその何日か後に、執筆人にとっては夢のような記事がスポーツ紙の片隅に掲載された「ジャイアンツ、元ドラゴンズ中里獲得!」。

その後、ファームの試合で登板している中里を何度か見た。
最初は4月の半ば頃だったろうか。
リリーフでの登板だったが、そのとき出ていたスピードは130キロの半ばから後半くらい。
どちらかといえばキレ良く落ちていたフォークの方が目立っていた。
その次はゴールデンウイーク明け頃。そのときのストレートは140台前半まで戻っていた。以前のストレートには程遠いにしろ、ピッとノビる球質はデビュー当時のままだ。

そして昨日、ついにジャイアンツ移籍後初の1軍登板を果たした。
1軍に上がっていたのをまったく知らなかった。
横浜2点リードで向かえた5回裏のマウンド。テレビのコマーシャル明け、マウンドでピッチング練習をする見慣れない背番号。
「おおぉ!」思わず声を出してしまった。
やや緊張した面持ちの63番。

球速は140キロ台の前半だが、小気味良いストレートが阿部のキャッチャーミットに吸い込まれてゆく。中里がドラゴンズに1位指名された2000年のドラフトで、ジャイアンツが1位指名したのは阿部だった。そして中里復帰後、最初の対戦相手となったバッター内川も、やはり2000年のドラフトでベイスターズが1位指名した選手である。
さらにこの試合で7回裏にマウンドに上がった坂元弥太郎(登録名は弥太郎)。彼は中里の高校時代、甲子園出場が最有力といわれていた中里率いる春日部共栄を決勝で破り甲子園出場を果たした浦和学園でエースを務めていた。そしてその坂元もやはり2000年のドラフトでヤクルトに4位指名され入団、ヤクルト、日ハムと渡り歩き、今季からベイスターズの中継ぎとして中里同様、10年目のシーズンを向かえている。

140キロ台前半のストレートに、キレのあるフォークを織り交ぜ、低目、低目に丁寧に投げていた。顔は緊張でこわばっているように見えた。
解説の牛島氏が言っていたように、スピードガン以上にノビてくるのが中里のストレートの特徴である。打者の手元でホップするという例えがまさにそれだろう。
フォアボールと内野安打で満塁までいったがどうにか0点で1イニングを投げきった。

以前の様な超のつくストレートはもう投げられないのかもしれない。
あれほど伸び上がるストレートを見たのは、後にも先にも藤川球児くらいだろうか。
それを彼は高卒ルーキーの年に投げていたのである。

中里篤史、10年目、28歳。
我々に、もう一度、あのストレートを見せて欲しい。
今季、少しでも多く彼の投げる姿を見たい。



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