どうしても書きたくて、記事にすることにした。
16日の京セラドーム大阪で行われたオリックス対ヤクルトの交流戦で、
7年前にジャイアンツからオリックスにトレードで移籍した鴨志田投手が、プロ12年目にして初勝利を挙げた。
2005年のシーズン開幕後に立ち上げた同ブログ。
スタート当初は 「がんばれ! キヨハラ!」 というタイトルだった。
大好きなプロ野球の象徴として、清原和博の名前をタイトルに掲げた。
1979年から80年代にかけて人気を呼んだ、漫画家”いしいひさいち”作の4コマ漫画 『がんばれ!! タブチくん!!』 。
そのタイトルをちょっぴりイメージしてつけた。
プロ野球のファンという広義な立場を自称する執筆人だが、根っからの巨人贔屓。
ブログをはじめたきっかけは、当時のジャイアンツのチーム編成に不満が募っていたからで、
10年経っていたFA制度も毎年のようにやって来る大物選手の影響で、
期待していた若手選手をなかなか1軍で見ることが出来ないフラストレーションは、当時爆発寸前だった。
その期待していた若手選手の中に、鴨志田がいた。
彼がジャイアンツから3位指名を受けたのは2001年のドラフト会議。
この年のドラフトは、比較的、高校生に注目の選手が多かったように記憶している。
そんな中で一番の目玉だったのが宮崎・日南学園の寺原隼人。
その年の夏の甲子園は寺原の記録した154キロに話題が集中した。
寺原は4球団(ダイエー・中日・巨人・横浜)から1位指名を受け、抽選でダイエーが交渉権を獲得した。
そのときのジャイアンツのハズレ1位は姫路工業高校の真田裕貴。
そして3位指名(2位指名は選択権なし)が水戸短期大学附属高の鴨志田貴司だった。
ちなみにこのときのダイエーの3巡目(2位指名は選択権なし)は杉内(三菱重工長崎/現・ジャイアンツ投手)だった。
真田、鴨志田と高校生投手を上位で指名したジャイアンツは、全指名選手6人のうち5人が投手。
そのうち4人が高校生で、その中に市立船橋高校の林昌範もいた。
林はこのブログでかなりの回数、取り上げた。林には相当期待を寄せていた。
ブログ開設当初、若手でとくに押していた選手を思い起こすと、2001年入団の真田、鴨志田、林の3投手をはじめ、
2002年入団の長田昌浩(東海大学付属望洋高/内野手)、矢野謙次(國學院大學/外野手)、
2003年入団の西村健太朗(広陵高/投手)平岡政樹(徳島商業高 /投手)、
2004年入団の亀井義行(中央大学/外野手)、
このあたりを頻繁に押していたように記憶している。
とくに投手では林、鴨志田、西村、野手では長田、亀井への思い入れが強かった。
それゆえ、2006年の長田、鴨志田のふたりのトレードには愕然とした。
オリックス・谷佳知との1対2のトレードだった。
鴨志田貴司は甲子園出場こそ果たせなかったものの、
最速152km/hの速球で 「東の鴨志田、西の寺原」 と全国にその名をとどろかせる注目選手だった。
ルーキーイヤーの2002年、シーズン後半に1軍デビューを果たし、
初セーブまで挙げた。それを受け、2003年以降は1軍戦力として常に期待されるもなかなか1軍定着には至らず。
ファームでは重い速球を武器に抑えの切り札として三振の山を築くが、制球難という課題が常につきまとっていた。
コントロールは投手の生命線とはいえ、あのがっしりとした体型から繰り出される重たい速球は魅力的だった。
ジャイアンツ時代の1軍での成績を見ると、投球回数に対して奪三振の多さが目立つ一方、
やはり同じくらいフォアボールの数が多い。
そしてイメージ以上に被安打数も多かった。
オリックスに移籍してからも2年ほどは苦労していたようだが、
3年前の2010年から徐々に成績も上がってきており、
防御率などを見る限りでは制球難も克服しつつあるようだ。
昨年の1軍登板が少ないのは気になるが、ファームでは好成績を収めているらしい。
16日の試合では、6回に登板して打者ひとりを3球で打ち取り、直後に味方が大逆転、
本人も 「うれしいよりも、ちょっと恥ずかしい」 と照れ笑いだったようだが、
それが中継ぎ投手の仕事、どんなカタチであれ1勝を挙げたというのは大きな弾みになる。
今季も登板数は少ないようだからまだまだ立場は厳しいのだろう。
どうにか1軍でのいいポジションを確立して欲しい。
同い年の同期入団だった真田は昨年ジャイアンツに復帰したもののオフに戦力外を受け、
現在は台湾のプロチームに所属している。
林は昨年、日ハムからDeNAに移籍。
シーズン後半から1軍に定着し、今季も少ない登板ながら安定した成績を残している。
ブログを始めたきっかけでもある3投手だから、今後の活躍を心から祈りたい。
プロ12年目の29歳。彼らはまだ若い。