ここ数日、必ずどこかで小笠原の記事を目にした。
大筋で中日への移籍が主流と報じられた。
それがどういうカタチで行われるか。
いくつかの記事は、功労者・小笠原に対するジャイアンツの配慮と、
選択肢が広がることや条件面などを含めた小笠原本人の待遇などを考慮すれば、
小笠原がFA宣言することが双方にとって一番円満だと指摘した。
10日にジャイアンツ球場で会見を開いた小笠原の口から出た言葉は "FA宣言" だった。
9月の段階で、もうすでに球団との話し合いを始めていたとを明かした小笠原は、
自ら自由契約を求めるなど、ここまでのイキサツを記者団に語り、
慣れた環境でやるという方法も選択肢にあったことも含め、
最終的には出場機会を求める道を選んだと説明した。
来季も、ここ1、2年と同じような状況で終わってしまうのはやはり寂しい。
ならば他球団へ移って活躍する姿を応援したい。
そう判っていてもなかなか割り切れない。
小笠原には多大な感謝がある。
彼の野球に取り組む姿勢がジャイアンツ若手選手らに大きな影響を与えたことは、
選手らの証言によって明らかだ。
そして何よりも忘れてはならないのが、現在の強いジャイアンツの礎を築いてくれた功績だ。
何度も書いていることだが、原監督もそう認めて発言しているとおり、
今のジャイアンツの基盤は小笠原とラミレスの力によるところが大きい。
日本のプロ野球にFA制度が導入されてから、いっ時FAバブルのような状態に陥っていたジャイアンツは、
その間、偏ったチーム編成にバランスを欠き、なかなか上昇ムードに乗り切れないでいた。
それを救ったのが2007年からジャイアンツに移籍した小笠原と2008年からの移籍のラミレスだった。
小笠原は移籍後、4年連続で3割を越える打率を残し、
本塁打も4年連続で30本以上、打点も常に100前後と打線の中心を担い続けた。
ジャイアンツのFA移籍選手史上、最も成績を残し勝利に貢献したのが小笠原道大だったことは疑いようもない。
そして何より、小笠原、ラミレスは試合に出続けた。
ケガをしない(実際にまったくなかったわけではないだろうが)、
心身ともに強い選手は原監督が常々口にしていた理想であり、それをこの二人が見事に体現して見せた。
この二人が常にクリーンナップに座り続けていたからこそ、
ケガがちだったヨシノブや捕手・阿部の負担も軽減され、
坂本を筆頭とする生え抜き若手選手の起用にも原監督は積極的に打って出れた。
今季はファームの試合で真っ黒に日焼けした小笠原の姿を何度も目にした。
今、それを思い起こすと、少し寂しい気持ちになる。
10日の会見後、スポーツ報知が捉えたドームでの小笠原の表情を写した写真は、
なにか重くのしかかっていたものが抜けたような晴れやかで清清しい笑顔に包まれていた。
ファンとしては少し救われた気になる。
先はまだ未定と記者の質問に応えていたが、
大方の予想では落合がGMに就任した中日が獲得に名乗りを上げるとの見方が有力である。
このところ若手の育成には定評のあるジャイアンツだが、
40代を前にした選手がなかなかそこから先の壁を越えられない気風が存在するようで、それも少し寂しい。
こうなればジャイアンツでそこを打ち破るのはヨシノブという筋書きで、もはや異存はない。
小笠原の退団は残念で仕方がないけれど、
来季は小笠原道大の野球をする姿がより多く見られるであろうという喜びを以って、
この件に決着をつけることにしようと思う。
6月5日、日ハム戦で打ったあのサヨナラ本塁打が今でも鮮明によみがえり、胸が震える。
7年間、ありがとう小笠原選手。