勝てない相手ではなかった気がするし、
打てない投手ではなかった気もする。
世界を勝ち上がってきた強豪チームとの対戦だから、
東京ドームでのオランダ戦のように余裕の試合運びとは当然いかないにしても、
少しチグハグな、ギコチナイ、なんとなく硬さが目だった侍ジャパンだった。
表情も、動きも、皆、見ていて硬く感じた。
もちろんそれは相手のプエルトリコにも言えることなのかもしれない。
敗戦後のインタビュー記事の中に東尾投手総合コーチのこんなコメントがあった。
試合開始のメンバー表の交換をホームベース上で行う主審を交えた監督同士のやり取りに、
ルール説明なども加わって3分以上の時間がかかり、
その間、ピッチャーはキャッチャー相手に投げることが許されておらず、
マウンド横に立つ前田健太はあの寒さの中でしきりに身体を動かし、
野手陣とキャッチボールをしてしのいでいた、というのである。
そう、決勝ラウンドの会場となったAT&Tパーク、
米サンフランシスコは夜には10℃以下に冷え込む寒さ。
それまでは気温30℃以上のアリゾナで強化試合を含む合宿に望んでいた日本チーム。
文字通り身体が硬くなるのも無理はない。
東尾投手総合コーチが言うように、選手のコンディショニングが難しかった、は正直な感想だろう。
それがすべてではないし、言い訳になるようなことではないが、
短い期間で長距離を移動しなければならない国際試合の難しさだろう。
それにしてもこの気温差、分かっていただろうに。
なぜアリゾナで強化合宿だったのだろう。
どうせ強化試合を組むのならサンフランシスコのチームというわけにはいかなかったのか。
アリゾナが暖かく、サンフランシスコが寒いから、合宿はアリゾナで、ということなのだろうか。
誰が決めたスケジュールなのだろう。気になる。
試合後、すぐさま、あちこちで敗因の検証が行われており、
その多くは8回裏の例のダブルスチール失敗を取り上げていて、
2塁ランナーの井端、1塁ランナーの内川、ベンチの采配と、ミスの所在を探っている。
翌日の新聞でもこの場面を取り上げる記事が多く、
その中で紙面に多く躍っていた”グリーン・ライト”という言葉。
ベンチが盗塁を各自の判断に任せ「行けたら行っていい」という“グリーンライト”というサイン。
試合の前半から、おそらく日本は”ワンチャンス”だろう、と思って見ていた。
結果的には、相手のプエルトリコのセンターを守る選手が二度もプレゼントをくれて、
しかもバッターは4番の阿部という絶好の機会がツーチャンスはあったのだが、
この日、阿部は3度のチャンスでことごとく打てなかった。
4番が打てなければ勝てない。4番が打てなければ仕方ない。
そんな言い方をよくするがまさにその通りの結果に終わったわけである。
チャンスで打てなかった阿部にしても、
ダブルスチールのグリーンライトで”ミス扱い”の矢面に立たされた内川や井端にしても、
緊張感の中でどうにかしようとする闘争本能の中から起こる結果である。
ミスをより多くしたほうが負け、は、どのスポーツにもいえること。
ただ、あの場面、そういうどちらともつかないようなあいまいな指示ともとれるサインを出したのは、
まぎれもなくベンチである。
8回裏3点差で、相手にもらったミスから1点追い上げ、
さらにヒットが続いて押せ押せの場面。
ワンアウトランナー1、2塁でバッターは4番打者の場面。
負けたら終わりのトーナメント準決勝、なかなか点の取れない国際試合の大詰めでのあの場面。
1次ラウンドの台湾戦でのやはり大詰め、待ったなしの局面での鳥谷の盗塁。
あの成功はその後の日本チームの勢いの源流になったことは間違いないだろう。
しかし、あの状況とは、明らかにおかれた状況が違う。
データに基づいた行為、であることをその試合後、
鳥谷と1塁ベース上で会話を交わしていた緒方走塁コーチが明かしている。
橋上戦略コーチは、プエルトリコ戦での8回裏のあの場面を次のように振り返った。
「投手はロメロ。投げ始めから捕手に球が届くまで1・8~1・9秒というデータがあった。
三盗の目安は1・6秒。100%走れる。まず1球見て、タイムもモーションも確認できた」
――結果は失敗だった。
「強化試合のときに重盗の注意事項を確認した。一塁走者は、スタートが遅れたら付いていかない。
二塁走者はスタートの偽装をしない。それが徹底できなかった」
こういった国際試合が開催される場合、
野球でよく言われるのが代表チームの選手選定と召集の時期についてだ。
サッカーと違い、国際試合がそう頻繁に行われるわけではないし、
プロによる国際試合自体、歴史が浅いから、適切な段取り自体が確立されていないままでいる。
いくらプロの集団とはいえ、団体競技である。
不慣れなチームで、さらに高度な戦略をこなさなければならないとなれば、
やはりそれなりの心構えと準備が必要であることは以前から言われていることだ。
大会前、何かのスポーツニュース番組で、江本猛氏が今大会を分析しながら、
優勝候補筆頭は日本に決っている、2連覇しているのだ、
日本のレベルは世界でもトップレベル、と力説していた。
別に異存はない。
そう、日本野球は世界のトップレベル。
でも、その世界のトップレベルの数チームが勝ち上がり闘うのが世界大会の決勝ラウンド。
そう、だから勝敗は、紙一重、なのだ。
ミスを多くしたほうが負ける、ミスの少ないほうが勝つ、と、よく言う所以であろう。
あの8回裏の場面、もしもあのダブルスチールが決っていたら、
あの台湾戦のときのように、その後に大きなドラマが待っていたかもしれない。
それもよく言う”たら・れば”であるからあまり意味のない考察ではある。
ただ、見る側の感想として、あの場面、国際大会、WBC準決勝、3対1、プエルトリコのリード、
8回裏の大詰め、日本が1点とって、なおもワンアウト1,2塁のチャンスでバッターは4番阿部。
そこはやはり、そこまで打ちあぐねていた阿部であったとしても、イチかバチかの大勝負ではなしに、
もっと、どっしりと構えて、さあ来い!勝負!といった名場面をお膳立てして欲しかった。
その結果がダメであっても、誰もが納得のいく、勝負の醍醐味を味わえるような、
そんな大きな場面だったような気がする。
なかなか打てずに点が取れていないから何か策を興ずるのはベンチとしては当然の采配であろうが、
あそこは、あの局面は、ドッシリと落ち着き払った4番打者、が見たかった。
投手対打者、一対一の大勝負に酔いたかった。そんな演出を期待していた。
慌てふためくことなく、静かに、そっと刀を抜くように…、
”侍”と称するならば、まさにあのシーンこそが、それにふさわしい場面ではなかった。
「刀を置く」とコメントした阿部の言葉が象徴的だった。
成功していれば、データに基づいた頭脳的戦略、今回のこの結果であれば、やはりあの場面、
少々、山師的な采配ととられても仕方ないか。
そして、何度か書いた投手のコントロールについて。
それまで安定した投球を保ち続けていた能見が、
最後の最後にコントロールが甘くなった。
回をまたいで制球がやや定まらなくなった能見。
高めにいった速球をヒットされ、
次の打者へは高めに浮いた変化球をドンピッシャリでレフトスタンドまで持っていかれた。
主審によるストライクゾーンのバラつきはもう国際大会では仕方のないこと。
ただ甘い球は甘い球。高めにいけば力のある外国人選手は軽々とスタンドまで運ぶ。
持ち味である攻守にわたる緻密さ。これを欠いては優位な立場を築けないだろう。
代表監督の選定やコーチ陣、代表選手の候補絞りなど、さまざまな意見が言われた今大会。
メジャー組がひとりも参加しないことを不安視する意見も多かったが、それには少し異論がある。
確かにイチローの存在は大きいだろう。
ただ前大会、そのイチローをもってしても後半の後半までまったく機能せず、
苦しむ彼の姿は苦戦続きの前大会の象徴とも言えた。
それが国際大会なのだろうということを我々はイチローの苦悩の表情から実感した。
ダルビッシュ、松坂、中島、川崎など、存在感のある選手の不在は残念であることに違いはないが、
だからといってそれら選手より国内組みの選手らの力が劣っているのかといえば、
決してそんなことはないと言いたい。
あたかも国内選手のトップレベルから順にメジャーへ行くような風評があるように感じるが、
当然、そうではないことは言うまでもない。
年齢やタイミング、契約や価値観など、選手の立場や志向は当然、さまざまである。
国内組みだけでも、前回、前々回に劣らない力は充分にあるはずだ。
ただ、戦前、稲葉がインタビューで語っていた前回までのチーム内におけるイチローの存在感と、
彼の野球に対するモチベーション。
そのイチローが敬う王・前々監督。
「原監督は野球界でも数少ない尊敬すべき人」とイチローが敬意を表する原・前監督の野球に対する真摯な態度。
CS放送で解説をしていた仁志氏が指摘した前回までいた川崎のようなムードメーカーの不在。
各選手のチームに対する忠誠。
もちろん、今大会の選手たちだって結束は固かったろうし、まとまりもあったはずだと想像する。
山本監督をはじめとする首脳陣にだけ問題があったとは言わない。
帰国後の共同記者会見で例の場面なども含め「まったく悔いはない」と清清しく語る山本監督。
とはいってもこれだけの大きな大会である。何の検証もなしに潔く終結という訳にもいかない。
いずれにしても、代表チーム、国際大会は難しく、気をつかって準備を進めてゆく必要がある、それは間違いない。
やや、ふわっとしたまま終わってしまった準決勝。やられた感も薄い。
決勝戦を闘えなかったのは見ている側としても残念だった。