ブログ、巨人軍。

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亀井義行~外野手・亀井、己のスタイルに立ち返る。

2012-12-24 23:55:37 | シーズンオフ。

ここ2シーズンほどの、亀井の選手登録に違和感を感じる。
内野手・亀井義行。
亀井はやはり、外野手である。
彼の外野での守備力の高さはジャイアンツの中にあって、松本哲也と並ぶ二枚看板と言っていい。
守備範囲の広さ、スローイングのスピード、正確さなど、チームの中でもトップレベルだろう。

亀井がブレイクした2009年。
142安打を放ち、打率.290、本塁打25、打点71、盗塁12、5番を任され優勝に大きく貢献した。
その後の彼の躍進を誰もが信じた。
そんなシーズンだった。

シーズン終了後、その活躍とユーティリティーな存在を買われ、亀井はその翌年のWBC代表に選出された。
そこで彼はその後の彼のプレイスタイルに大きな影響を及ぼしたであろう一人の偉大な選手と出会う。
マリナーズのイチローである。
当時、ソフトバンクの川崎にしても、ロッテの西岡にしても、
ほとんどの若手選手はイチローと同じチームで野球がやれる喜びを口にし、目を輝かせた。
代表チームの中で一番経験の浅い亀井も当然のようにイチローとやれる大きなチャンスに胸を弾ませたろう。
実際、亀井も川崎らが口を揃えるように、イチローのプレイを間近で学びたいと貪欲な姿勢を見せていた。

周知の通り、原代表監督率いるチーム・ジャパンは2大会連続で優勝、世界1を勝ち取った。
大会全体を通して不調だったイチローだったが、随所でその存在感を出し、
最後は自らが発した「持っている」の名言どおりの活躍で主役の座に収まった。

大会後、皆がイチローの存在感の大きさと、プレイそのものに大きな感銘を受けたことを口にした。
原監督もインタビューで何度もイチローの名前を口に出した。
おそらく亀井も例外ではなかったろう。
そしてその影響が、亀井のその後のプレイスタイルに大きな意味を持たせることになったと、
執筆人はそう感じている。

それはWBC後のシーズンで見せた亀井のバッティングフォームやバッティングスタイルから見て取れる。
それまで随所で見られた亀井のドッシリとしたスイングはやや影を潜め、どんな球でも、あるいはどんなに体勢を崩されても、
ボールを拾おうとする器用さばかりを意識したそのフォームは、まるでイチローそのもに見えた。

その器用さをうまく自分のものにした、たとえば川崎宗則などはうまくハマったタイプかもしれない。
しかし亀井はどうか。


執筆人が亀井を強くイメージする二つのプレイがある。
ひとつは、彼がブレイクした2009年の前年、2008年の開幕直後のドラゴンズ戦。
神宮での開幕カード、ヤクルト3連戦戦3連敗からドームに移り、ドラゴンズにも連敗して向かえた3戦目。
開幕から5連敗の流れを引きずり、川上をまったく打てないジャイアンツ。
試合は6回を終えて5対1、開幕6連敗が濃厚なムードだった。

しかし7回の裏、それまで打ちあぐねていた川上から二死一、二塁のチャンスをつくり、バッターは高橋由伸。
ここで由伸が起死回生のスリーランホームランをレフトスタンドに叩き込む。
点差は1点。
ツーアウトランナーなしでバッターは亀井。
1球目のワンバウンドになる変化球を空振りするも、2球目の真ん中に入ってきた変化球を臆せず強振、
完璧にとられた打球はライトスタンド中段に突き刺さる同点アーチとなった。
この流れが次の小笠原にびっくりするようなスイングをさせて、それがライトスタンドポール際への逆転アーチとなった。
亀井らしいきれいなフォームで、思い切りの良いスイングが印象に残っている。


もうひとつは、ブレイクした2009年。
開幕からひと月が経ったドラゴンズ戦。
亀井は開幕からスタメンレギュラーをつかむまでには至らない微妙な立場にいた。
試合は4対2でドラゴンズリードのまま9回を迎え、マウンドには守護神・岩瀬。
先頭のラミレス、次の谷が連続ヒットでノーアウト一、二塁。
ここで亀井が代打に送られる。
送りバントが濃厚な場面だったが、原監督の策は強行。
その期待に応えるように亀井は1球目の変化球を迷うことなく振りぬくと、
打球はセンターバックスクリーン横に飛び込む逆転サヨナラスリーランとなった。

ヒーローインタビューで亀井は1球目から積極的に振りにいったことを「それが自分のとりえですから」と言い切った。
この試合から、亀井はスタメン出場が増え、シーズン中盤から後半にかけて5番を任されるようになったのだ。
この打席も、来た球をフルスイングする、迷いのない亀井の思い切りの良さ象徴する打席だった。
強い振りと、強い当たり。
前年からこの年にかけての亀井のバッティングには、この言葉がピッタリとハマった。


たとえば天才・イチローの一方で、またヨシノブも天才と称される。
しかしこのふたりは明らかにタイプが違う。
どう違うかを専門的に述べるのは素人には難しいが、たとえばどんな球でもヒットにするのがイチローとするならば、
ヨシノブは打てる球を逃さずきっちりと逃さず捉え、ヒットあるいはホームランにする、そういうタイプだろうか。
どちらかといえば、亀井は後者の、ヨシノブタイプのバッターではないか。
どんな球でも手を出してうまく捌くイチローのようなタイプのバッターではない気がする。
イチローはそんなタイプの選手の中にあってズバ抜けた才能を持っている。
まさにそこを目指す川崎宗則は頷ける。
イチローを目の当たりに体験し、攻守にわたり吸収するものは多かったろう。
しかしそれが、亀井が持っていた本来の質を見失わせる原因になったのではないかと、勝手に訝っていたのだ。
その翌年から始まった内野手への挑戦も、ある意味、ポテンシャルの高い亀井だからこそだろうが、
それすら迷宮への一旦に思えてもどかしかった。


来季から登録を外野手に戻す亀井。
もちろんチーム事情で内野を守る機会もあるだろう。
しかし本人のコメントからも伺えるように、外野手として初心に立ち返る決意は強い。

先日のスポーツ報知で、こんな記事を見つけた。
<亀井、来季テーマは「無心」人の意見より「自分の感性」>
内容は、岡崎2軍監督からの亀井に対する痛烈なアドバイス「いろんな人の話を聞き過ぎる」。
亀井本人も、首脳陣や他の選手からの助言を聞き入れるあまり、
試合ごとに打撃フォームが変わることがあったことを告白。
その性格を見直し、「まずは自分の感性を大事にしたい。何も考えない、無の状態で野球をやりたい」と語っている。
本来の亀井が外野に戻ってくると、ジャイアンツの外野争いは大変なことになる。


坂本勇人~その驚くべき成長。

2012-12-20 01:09:33 | シーズンオフ。

今季の坂本のバッティングの幅の広さを象徴する打席をクライマックスシリーズの中で見た。

3連敗して後がなくなった第4戦目。
相手は左投手の小林正人だった。
追い込まれてからの外角へのキレのあるストレート。
坂本はボールをいっぱいまで引き付けると、刀でボールを切るようなスイングでコンパクトに振り抜いた。
右中間への鋭い当たりは、今シーズンの坂本のバッティングで目を引いた右への打球。
最初から右を狙ったおっつけるバッティングではなく、来たボールに反応しての右打ちだ。
内角に来た球を懐の深いバッティングフォームで左へ引っ張る技術の高さは、
昨年までと同様に今季も健在だった。
反面、昨年まで圧倒的に少なかった右へのヒット性の当たり。
それが今シーズンから急に目立ち始めた。
1年でこんなに急に打てるようになるものなのかと、
シーズン後半、観ていて唸るような場面が度々あった。
それを象徴するようなヒットが、このクライマックスでのヒットだった。

そんな成長の手がかりを窺い知ることが出来たのが、
このオフに坂本が出演した報道ステーションでの長嶋一茂によるインタビューからだった。

シーズン当初、1番を任されていた坂本はなかなか結果が出せずにいた。
同じくシーズンはじめ3番を打っていた長野もなかなか成績が上がってこない。
見かねた原監督はこの1番3番を入れ替える。
そこから坂本はバッティングの調子を取り戻すのだが、
くしくもそのキッカケを長野のバッティングスタイルから見出す。

それは追い込まれるまでと追い込まれてからのボールの待ち方。
坂本いわく、通常、打者は追い込まれるとストレートに狙いをあわせながら変化球に対応する待ち方をする。
変化球待ちのタイミングで直球が来ると振り遅れて詰まらされる可能性が高くなるからだ。
それゆえに直球のタイミングで待って変化球に対応する。

しかし、長野は逆だと言う。
追い込まれると変化球にあわせてボールを待ち、速球に対応する。
それを以前から見ていて今季の中盤あたりから試してみたという。
変化球待ちのタイミングで速球に振り遅れないバットスイング。
それを坂本はシーズン中にモノにした。

今季、最後の最後で最多安打に並んだ坂本。
長野の最多安打に並んだ3本の固め打ちは、
原監督が彼を見込んで2年目から使い続けた根拠を見た気がした。
成長を信じた監督とそれに応え続ける選手。
シーズン前、ヤクルトの宮本との自主トレで、捕球、スローイングの精度に磨きをかけた。
そのかいあってか、昨年よりもエラーの数は減った。

毎年、目に見えて成長している坂本。
よくよく考えれば、今シーズンのセリーグ打率部門1位の阿部に続き2位は坂本だった。
昨年1位だった長野の打率よりも確か今季の坂本の打率のほうが高いはずである。



大田泰示~彼がやっとホームランを打ったので。

2012-12-17 23:49:53 | シーズンオフ。

彼がやっとホームランを打ったので、ブログを再開することにした。

今季、ようやく打った大田の初ホームランをテレビ中継で見ていた。

9月23日の東京ドーム、対ヤクルト戦。
山本投手のタマが上ずっていたのでチャンスはあるかと思っていた。
前の試合でちょと開きすぎてはいたもののレフト方向にかなりドデカい大ファールを放っていた。
投げたピッチャーもコースをついてファールを打たせることを狙ったボールだったから、
ピッチャーから見れば思惑通りのファールだったのだろうが、
あまりにも芯を食った物凄い当たりだったので、その後に期待と予感を持たせた大ファールだった。

高めに来ればありそうだなと思って見ていた矢先の高めの変化球だった。
ものの見事に左中間の深いところにもっていったホームランは流石にパワーがある。
大田の打球がフェンスを越えてスタンドに吸い込まれていくと、
カメラはベンチの原監督を捉えた。
原監督は隣にいた岡崎ヘッドコーチに驚いたような顔で「凄い当たりだな…」と語りかけていた。


さらに良かったのがこのホームランだけでは終わらなかったこと。
その試合、もう1本ヒットが出て、さらに次の広島戦でもバックスクリーンにホームランを叩き込んだ。
今後に期待が膨らむ待ちに待った瞬間だった。
今季、大田は21試合に出場して、2本塁打、16安打、7四球、3盗塁、打率.254、長打率.444。
長打率.444というのも頼もしいが、それ以上に注目したいのが今季は四球を7つ選んでいる点。
これまでのシーズンを振り返っても大田は四球がひとつもない。
ボール球に手を出さなくなったのも成長の証だろう。

シーズン前は、阿部らの自主トレに同行した。
今季は進退をかけて挑むと意気込んだが、結局、シーズンの大半をファームで過ごした。
来期はスタートから、今季後半のような活躍を見せなければいけない。

以前も書いたことだが、大田のフォロースルーの大きさとその美しさを見ると、
今季で引退したソフトバンクの小久保と重なる。
1軍にいるだけを目指すような選手になって欲しくない。
小久保のような、大田はそんな大きな選手を目指さなくてはダメだ。




高橋由伸~まだまだジャイアンツの中心でいて欲しい。

2012-12-16 16:47:44 | シーズンオフ。

昨年の9月10日付けスポーツ報知、巨人担当・楢崎豊記者の「楢崎は見た」より、記事を大まかに抜粋する。

ヨシノブ12号2ラン「この活躍をアノ人が見たらなんて言うだろうな」
そんなことを思いながら由伸のプレイを目で追っていた。
アノ人とはアスレチックスの松井秀喜だ。
そして「由伸が元気にプレイしていることを彼に伝えて欲しい」とMLB担当の後輩記者に託した。
以前、自分がMLBを担当していたとき、米国で松井はいつでも由伸を気にしていたからだ。
「オープン戦でも優勝争いのときでも巨人の4番という重圧は変わらないから大変だろう。でもケガだけはするなよな」。
松井から由伸へのメッセージである。

このコラムを読んでとてもうれしくなったと同時に、やはりまた、あの思いがよみがえってしまった。
松井がジャイアンツにとどまっていたらどんなチームになっていたろうか、と。

以前、何年か前に松井のメジャー行きに関する記事をこのブログでも何度か取り上げた。
松井は心の底から、メジャー行きを希望していたか、というような内容である。
執筆人の勝手な憶測による記事なので、まったく信憑性のない考察だったのだが、
やはり今でも、執筆人の中では、由伸、松井の二大看板は、新たなジャイアンツの幕開けを象徴する大看板だった。
当時、ジャイアンツは落合から清原に移行し、江藤、マルチネスなどFA補強の真っ只中にあった。
そんな中、1歳違いの若い生え抜きの二人がどんどん躍進し、そこに二岡、阿部も加わって、
もう他球団のFA選手なんてまったく必要のない、そんな期待に胸の躍るチームが出来上がりつつあった。


ケガでここ数年、まったく結果の出せていなかった由伸。
その間、FAで加わった小笠原、ヤクルトから移籍してきたラミレスが、
ガタガタに低迷していたチームを革新的にまとめ上げ、
あらたな若手の台頭もあってすっかり由伸も影を潜めた感は否めなかった。
去年、中盤から後半にかけてようやくケガを克服し、
今シーズンはどうにか1年を通し、本当に久しぶりに1年間、由伸のプレイを見ることができた。
ギリギリ規定打席には達しなかったものの、ここ数年の状態を考えればようやくの復活といっていいだろう。
38歳と言う年齢と、今季の成績、打率.239、打点56、本塁打8は決して説得力のある内容ではないが、
来期も彼のプレイが見れるという手形くらいにはなったのではないか。

数字には出てこない活躍も、今季の由伸には数多く見られた。
成績でやや上回った村田(打率.252/打点58/本塁打12)と比較しても、
ここぞの場面では圧倒的に由伸の方が結果を出した印象がある。
とくに交流戦の活躍は、今季交流戦優勝のキーパーソンであったといえよう。
シーズン終了後の彼のコメントなどを聞くと相変わらずクールなもので、
特にここ数年の低迷や今季の成績を基本にすると、そうそう強気な言葉も出てはこないだろうけれど、
ややチームの後ろから支える的な立場に収まっている彼の発言は、やはり寂しい。
やはり由伸には中心にいて欲しい。
クリーンナップを打たなくても、チームの核でいて欲しい。
阿部などの発言を聞いていると、やはり年上で生え抜きの先輩をしっかり立てる気遣いは感じられる。
精神的支柱も、もちろん悪くはないが、今季、ここぞと言う場面で結果を出した彼の存在感が、
年間通しての成績に反映されるような更なる活躍を、まだまだ期待をもって見ていたい。
ジャイアンツの中心が、もっとも似合う男である。

松井の去就も気になる。
何年か後、どんなカタチでも、ふたりの協演が見たい。



日ハム大谷君誕生のポイント。

2012-12-15 19:07:36 | シーズンオフ。

先日、花巻東、大谷くんの日本ハムファイターズ入りが決まった。
球団関係者はさぞやホッとしたことだろう。
昨年のドラフトでは東海大の菅野を強行指名して失敗。
ダルビッシュが抜け、斎藤祐の実力不足が露呈し、
チームとしては、将来、ファイターズを担ってくれる質の高い若い力が、
どうしても欲しかったことは想像に難くない。
とはいえ、二年連続でドラフト一位を逃すのはかなりの痛手である。
その年の一番いい選手を一位指名するのが球団の方針であると栗山監督も球団関係者も口を揃えてそう言うが、
ほんとうにそれだけの理由で勝算なく強行指名したのだろうかと、ドラフト直後にそう感じていた。

楽天の星野監督が今回のこの一連の事態にふれて、ドラフト制度のあり方に再度、異議を唱えているが、
そのコメントの中で「密約などはなかっただろうけど、それにしても…」といったことを述べている。
実は執筆人もドラフト直後、それについては僅かながらに頭をかすめてはいたものの、
ただそれ以上に執筆人が思いを巡らせたのは、「大谷くんがメジャーを選択したその思い」であった。

あえて「理由」ではなく「思い」と書くのは、「世界最高峰の舞台で」、
といった大々的な大見出しなどではなく、
その「思い」には、きっと18歳なりの繊細な「思い」が、
いくつも積み重なって生まれたものではいかという想像があったからだ。
そこには、幼さや、たわいもなさ、意地や見栄、あるいは真っ白な純粋さだったり、
意外なほどの野心が入り交じっているかもしれない。

今年の春の選抜。大谷くん率いる花巻東は一回戦で大谷くん同様大注目を集めていた藤浪くん率いる大阪桐蔭と激突。
結果は9対2で大阪桐蔭の圧勝だった。
大谷くんは故障明けだったらしいが、与四球7、与死球4と制球が定まらず、8回途中で降板。
奪三振11は奪三振12の藤浪くんに引けはとらないものの、9回を投げきっての完投勝利。
軍配は完全に藤浪くんに上がり、おまけに選抜優勝という栄光まで加わった。

そのあとふたりは、世間やマスコミから完全なライバルとして対比されるようになった。
そしてむかえた夏の甲子園。
誰もが両校の出場を信じてやまず、二人の対決を待ち望んでいた。
ところが大番狂わせがおこり、花巻東が地方予選で敗退。
準決勝で計測された160キロだけが大々的に取り上げられ、
それ以降、「160キロ右腕」が大谷くんの代名詞となった。

しかし、例え160キロを投げて注目度が上がったとしても、
彼の気持ちの中で、地方予選の決勝で敗れ、甲子園出場を逃し、
藤浪くんへのリベンジが叶わなかった現実は、決して拭いきれるものではなかったろう。
一方の藤浪くんは夏を制し、春夏連続優勝という栄光をつかんだ。

この屈辱を吹き飛ばしてくれるような道筋はなにか?
自分を納得させることの出来る道筋はなにか?

大谷くんが一体いつからメジャーを意識していたのかは分からないが、
今年の選抜敗退から夏の予選敗退にかけての悔しさが、この大きな野望を作り上げ、
あるいは雪辱へのシナリオを育て上げたと想像出来なくもない。
リベンジへの道筋はどうあるべきか。
大学へ進んでも、例えば田中将大と斎藤祐のように、
ライバルが先にプロ入りして実績を重ねてしまえばまたそこで話の次元は変わってしまう。
互いにドラフトで指名されてプロ入りしただけではより話は平坦だ。

それよりも大きな道筋。
彼の道筋に劣らない、それを上回るような、より大きな道筋はなにか。

楽天・星野監督に続き、野村克也・楽天名誉監督も今回の大谷くんの件に苦言を呈している。
もっともこの人の野球界に関する発言の殆どは苦言のようなものだが。
野村氏が言うように、この若僧はプロ野球界をナメきっているのかどうかはさて置いて、
大谷くんがファイターズ入りを表明した翌日、栗山監督ら日ハム球団関係者らが花巻東高校を訪れて、
一連の騒動を招いたことを謝罪した。
たしかに大谷くんはドラフト前にメジャー挑戦を表明し日本の球界入りはないと言い切っていた。
しかし、日本のプロ球団が大谷君を指名できないというルールはない。
早々にメジャー希望を表明していたし、メジャー球団もいくつかのチームが興味を示し、
アプローチすることを公言していた。

大谷君指名を早々に断念したチームをよそに、日ハムだけが指名に踏み切った。
そこには「その年の一番いい選手を一位指名するのが球団の方針」というスローガンだけがあったとは思えない。
2年連続でドラフト1位を逸するなどあってはならない失態である。
とすると日ハム側は大谷君の気持ちを崩す勝機ありと捕らえていたのだろうか。
もちろん大谷君の両親は日本球界入りを望んでいるという報道はドラフト前から公になっていたから、
そのあたりも攻めのポイントであったに違いない。
しかし両親を始め、学校側も、彼の気持ちを尊重するというのが基本的なスタンスだった。
だからといえ、ただ単に誠意をもって口説きにかかる、ということだけだったとはやはり思えない。
日ハム側が彼の心の隙を埋めるような何かをつかんでいたのではないだろうか、と想像してしまう。
決して、崩すことの出来ない壁ではないと、そうそうに彼の心の内をキャッチしていた、と想像してしまう。

と、滞っていたこのブログを再開するにあたり、まず大谷君のことを書き始めようとしていた矢先、
13日に日ハムが入団交渉で大谷君側に提示した球団資料「夢への道しるべ」を公式ホームページで公表し話題になった。
アクセスが殺到し接続できないほどの注目度だったらしい。
執筆人も一度だけアクセスしてみたが、結局つながらなかった。
その膨大な資料の中身については、高校を出てすぐにメジャーに挑戦するリスクや、
まず国内のプロリーグで力をつけ、その後メジャーに挑戦するほうがより成功への近道になる、
といったさまざまな具体例による検証が事細かに書かれているようである。

「日本球界入りゼロ」と言い切った彼の気持ちを柔軟にさせたのが、
その日ハムの資料であることに間違いはないのだろうが、
それがその資料の細かな内容によるところなのか、
あるいは内容以前に、それだけのものが書かれた資料を用意してくれたという、
「入団することを決断させてくれた貴重な資料」というカタチ(既成事実)に充分な意味があったのか。
決断するキッカケになりうる大きなカタチ、既成事実、それが大きな道筋になりえたのではないか。
自分の強い決意を、大きな決意を変えるくらいのお膳立てを用意してくれた、
そこまでしてくれたという、自分の意思という言葉の中に見え隠れするやや他力本願的な意思。

絶対にやってはいけないこと、と苦言を呈した星野監督。
プロ野球をナメている、と吐き捨てた野村さん。
いくら今回の騒動で学校側に迷惑をかけたとはいえ、
入団発表翌日にあらためて花巻東高校へ謝罪に出向いた栗山監督と日ハム球団。
そんな栗山監督をも野村さんは批判しているが、
その短かなコメントからだけでは真意がどこにあるのかは判断できない。
それでも少々、大谷君側に球団側なのかプロ野球界なのかあるいは世間なのかわからないが気を遣い過ぎではないか、
が率直な感想だ。
今の日本の、すべてに及び腰な風潮を象徴しているかのようである。

ついでに言うと、大谷君が入団表明したときのコメントで、
「北海道日本ハムファイターズに入団させていただくことを、球団に伝えさせていただきました」という、
昨今巷で使われているへんな丁寧語で締めくくられたのもなんとも象徴的だった。

彼が日本球界を選んだことはプロ野球ファンとしては喜ばしいことだが、
星野監督や野村さんの怒りや憤りを、また違う意味で執筆人も感じる、今回の騒動である。