Naoの誰でもわかる!英語の話

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Rioの話 #2

2020-05-28 | Rioの話
Rioの話#2

小さい頃のRioは、おかっぱの髪で女の子のようにかわいく、活発な子供でした。主に母親の教育方針から、ピアノ、水泳、数学、テコンドーを習い、中学校になると、音楽教育が必修だったこともあり、バイオリン、トランペットも習うことになりました。また、アメリカ生まれで、アメリカの国籍はあるものの、日本人であることには変わりないとの考えから、1週間に一度、土曜日にに車で一時間半もかかるイリノイ州立大学内にあった日本人学校に通わせました。しかし、Rioは時間の経過とともに、その多くのことを拒否し始め、日本語学校は4年生頃には行かないと言い出し、また、ピアノやテコンドーもやらなくなりました。ビアノは買っていたので、無駄になりました(笑)。

彼にとってはアメリカ人の友人との関係が最も重要となり、日本人学校にいたっては、日本人でもない自分がなぜわざわざ土曜日という貴重な休みに遠くまで行って日本の教育を受ける必要があるのか、と何度も言い、けんかしたことを覚えています。私はRioに「おまえは日本人なのだから日本語を習得する必要があるし、日本の勉強もする必要がある。鏡を見てみろ。おまえは日本人なんだ!」と、よく言ったことを鮮明に覚えています。今考えると、酷なことを押しつけたなと思っています。日本人としてのアイデンティティーを持たせることが重要だと思って言ったことでしたが、結局、Rioはアメリカ人として育ち、そして、アメリカ人として死んでいったと思います。そして、今はそれはそれでよかったと思っています。アイデンティティーは押しつけるものではなく、個々の人間が自然に育むものだと今は思っています。皆さんはいかがお考えでしょうか。

親ばかだとは思いますが、Rioは大変頭のいい子でした。そしてそれは教育のせいではなかったかと思います。幼稚園はモンテッソーリ幼稚園に行かせました。私はその存在すら知らなかったのですが、母親がそのことを知り、まだ子供がお腹にいるときに申込をしました。それほど人気があり、入るのは難しいのです。モンテッソーリの教育理念は全世界に波及して、今も世界中に多くの教育施設があります。モンテッソーリの教育理念は、簡単にいうと、子供(人間)の発達に沿って、自然に、自発的に子供自身が認知能力やコミュニケーション能力、社会性を身につけさせるための施設、道具、教育的環境を与えることにあります。私もアメリカの戻った時は、毎日Rioをモンテッソーリ幼稚園に送って行き、その教育の一環を見ました。毎朝、子供たちは順番にShow and Tellという、自分が持ってきたものを他の子供たちに見せ、その説明(presentation)をするという活動を行います。Rioも自分の順番が来る時には、何について話すか、いろいろ考えていました。終わったら、どうだっかかよく聞いていました。知育のための道具が多くあり、子供たちはそれらを楽しんで使っていました。また、よく外で遊んでいたことも覚えています。子供たちは間違ったことをしても、決して怒られることはなく、ただ、反省のため、2、3分、白い壁に向かって黙って座らされていました。子供たちが騒いでいる様子は見たことがありませんでした。モンテッソーリ幼稚園の教育とそこでの体験は、Rioのベースを作ったように思います。(End of #2)