青い空が大好きな゛bluesky531゛の徒然日記

日常の出来事を日記風に徒然なるままに書いています。

宮城県山元町震災遺構中浜小学校見学その③

2021-08-29 06:29:00 | レビュー/感想

■2階から見た多目的ホールの瓦礫の堆積

■2階の廊下・理科室

■3年生から6年生の教室

■教室から見える海・田んぼ

■中浜小学校の模型

■中浜地区・磯地区の模型

■校舎内の2階から1階へ通じる階段・中庭

■図書室(展示室)

■6年生が創作したレリーフ

 8月19日、宮城県山元町のヒマワリ畑の直ぐ近くにあった宮城県山元町震災遺構中浜小学校を見学してきました。

【自由に見学】
 ガイドのご案内で児童たちが避難した屋上の屋根裏倉庫を見学した後は、自由に校舎内を見学することができました。
 今日のblogは、2階の被災状況を書き込みたいと思います。
 DVDを見た音楽室(視聴覚室)から左手の廊下を歩いていくと、1階の吹き抜け多目的ホールを見ることができました。階下を見ると
多方向から襲来した津波が運んできた瓦礫の山がそのまま残っていました。
 そこを通り過ぎると理科室がありました。理科室の前の廊下のタイルは、津波ではがされた爪痕を見ることができました。
 向かい側には、3年生から6年生までの教室があり、防火壁なのでしょうかコンクリートのような壁以外は、めくり上がった天井をなど津波の被害がそのまま残っていました。
 2階のステンドグラスの窓はそのまま、良くも割れずに残ったものと思いながら見学してきました。
 教室から見える外の景色は、直ぐ近くに海が見える場所でした。
 児童たちは、毎日、海の匂いと海の風を感じながら勉強していただろうにと思いながら見学してきました。

【中浜小学校・中浜地区・磯地区の模型
 図書室は、映像でみる地図や震災前の中浜地区、磯地区の模型を見ることができました。更に震災前の中浜小学校の模型を見ることができました。
 これを見ると津波の全体が想像できるような気がしました。
 屋上の屋根裏倉庫に避難した児童のことを考えたり、津波は、どの方向からきたのか、体育館がどんな役割を果たした
のか、かさ上げされて建てられた校舎がどうだったのか、校庭に瓦礫が何故なかったのかなど色々とヒントがあるような模型と思いました。

【震災遺構中浜小学校見学その④】
 明日の私のblogは、宮城県山元町震災遺構中浜小学校見学その④として、校舎内の見学コース1階の被災模様を書き込みたいと思います。
 1階には、中庭、多目的ホール、校長室、職員室、1年生から2年生の教室、給食室がありました。
 1階の窓ガラスや窓枠が破壊されたり曲がったり、瓦礫が堆積したり、金属製の窓枠などの曲がり具合をみると津波がどの方向からきてどう流れていったのか、恐ろしい程の津波の破壊力を見ることができました。
 津波被害の大きな教訓が残されているような気がした震災遺構中浜小学校でした。


男の料理~ごま油香るなすと豚バラのつけうどん~

2021-08-28 06:30:00 | グルメ・クッキング

■ごま油香るなすと豚バラのつけうどん

 2020年4月13日から我が家の昼ごはんのまかないは、一念発起して私が担当することにしました。
 今まで、何かと予定を立てては出かけていましたが、午前か午後からの予定が多く、昼ごはんは、食べてから出かけたり、帰ってから食べるというパターンで殆ど家内が作っていました。
 2021年は、昨年に引き続き、私が担当することにしレパートリーを広めて精進したいと思っています。

【ごま油香るなすと豚バラのつけうどん】
 8月26日の昼ご飯は、ごま油香るなすと豚バラのつけうどんでした。
 材料は、うどん(冷凍)、水(ゆで用)、ナス、豚バラ肉、水、めんつゆ、砂糖、ごま油、ネギ、七味唐辛子でした。
 ナスはヘタを切り落とし、いちょう切りにし、豚バラ肉は一口大に切り、鍋にごま油を入れて熱し、豚バラ肉を入れて炒め、ナスを入れて炒め、水、めんつゆ、砂糖を入れて煮て火を止め、うどんを茹でて、流水にさらし、つけ汁とうどんを器に盛り、ネギと七味唐辛子をかけて完成でした。
 もちもち感のある冷凍うどん、なすと豚肉のつけ汁は、最高の味で美味しくご馳走になりました。
 友人から沢山のなすをいただいたことによる昼ご飯でしたが、なすといえば、田楽、焼きなす、なすのホイル焼き、味噌汁が定番でしたが、こういう食べ方もあると勉強させていただいたごま油香るなすと豚バラのつけうどんでした。
 
【8月27日は、冷やし中華】
 8月27日の昼ご飯は、冷やし中華でした。
 残暑厳しい折、冷やし中華はの昼ごはんは格別でした。


宮城県山元町震災遺構中浜小学校見学その②

2021-08-28 06:29:00 | レビュー/感想

■敷地全体2mのかさ上げと3つの外階段(地域住民の避難・防災対策として設計)

■音楽室・「ありがとう」(閉校の横断幕)・津波の被害の木琴

■児童たちが避難した屋上への階段

■児童たちが避難した屋上・屋根裏倉庫

 8月19日、宮城県山元町のヒマワリ畑の直ぐ近くにあった宮城県山元町震災遺構中浜小学校を見学してきました。

【震災のDVDを視聴】
 見学その②として、ガイドのご案内で校舎2階の音楽室で震災のDVDを視聴し、その後、児童や職員、保護者が避難して一夜を明かした屋上の屋根裏倉庫を見学してきました。
 津波が来るまでの約10分間、校長先生の校舎を離れて避難すべきか、屋上へ避難すべきかの決断は、相当な覚悟と重圧を感じたのではと思いました。
 DVDは、平成23年(2011年)3月11日の大津波の映像が放映され、改めて津波の恐ろしさを思い出しました。
 DVDを視聴した後の見学は、リアルなものでした。

【屋上への階段は、急で狭く】
 当時、屋上には、児童たちが殆ど行くことがなく、屋上に通じる階段がある資料室は小さい部屋で、階段は急で狭く、手すりのない階段なことから児童たちは、切羽詰まった環境の中でどんなにか大変な思いをして避難したのかと思いながら見学してきました。

【一夜を過ごした屋根裏倉庫】
 児童(52人)、教職員、保護者を含めて90人が避難した屋根裏倉庫は、天井が低く、学校で使った運動会の用具などが所狭しと置かれていたようで、見学コースには、沢山の残骸が散乱していました。
 校内の写真撮影は、殆ど許可が下りていましたが、唯一、児童たちが避難した屋根裏倉庫は撮影禁止になっていました。それだけ、児童たちの恐怖の一夜が物語っているような気がしました。
 津波は、屋上へ近いところまで到達していました。
 児童たちが屋根裏倉庫へ避難した後は、そこから一歩も出ることはなく、津波の様子を見ていないのではと思いましたが、津波が押し寄せている轟音は、きっと耳に入っていたのではと思うと想像を絶するものがありました。

【覚悟を決めた大人たち・児童たちも無事で】
 校舎より高い第3波や第4波が沖合に見えた時は、大人たちは、「もうだめか」と覚悟を決めたそうですが、幸運にもそれらは引き波とぶつかったことで低くなり最悪の事態は回避され、更に校舎の横に別棟として建っていた体育館が、引き波の防波堤となって校舎を守ってくれたという立地の良さなど色々な条件が重なり大事な児童たちを守ってくれたと言う当時の様子を知り鬼気迫るものがありました。
 その時の職員や保護者の方々は、どんな心境だったのか、せめて、児童たちだけでもどうにか助かって欲しい、助けなければと願っていたのかもしれないと思いました。全員が、
無事だったと聞いた時は、良かったと胸を撫で下ろしました。

【震災遺構中浜小学校見学その③】
 明日の私のblogは、宮城県山元町震災遺構中浜小学校見学その③として、校舎内の見学コース2階から1階の被災模様を書き込みたいと思います。
 大津波の痕跡をたどりながら、災害に対する備え、意識の大切さを改めて感じる震災遺構見学になりました。


男の料理~塩らーめんとじゃがいものガレット~

2021-08-27 06:30:00 | グルメ・クッキング

■サッポロ塩らーめん

■塩らーめんとじゃがいものガレット

■野菜スープ

 2020年4月13日から我が家の昼ごはんのまかないは、一念発起して私が担当することにしました。
 今まで、何かと予定を立てては出かけていましたが、午前か午後からの予定が多く、昼ごはんは、食べてから出かけたり、帰ってから食べるというパターンで殆ど家内が作っていました。
 2021年は、昨年に引き続き、私が担当することにしレパートリーを広めて精進したいと思っています。

【塩らーめんとじゃがいものガレット】
 8月25日の昼ご飯は、塩らーめんとじゃがいものガレットでした。
 材料は、サッポロ一番塩らーめん、じゃがいも、とろけるチーズ、オリーブオイル、乾燥パセリ、にんじん、レタス、玉ねぎ、添付の切りごまでした。
 麺は、茹でて、水気を切り、包丁で大まかに切り、添付のスープを混ぜておきました。
 じゃがいもは皮をむいて細切りにし、とろけるチーズと一緒に混ぜておきました。
 フライパンにオリーブオイルを入れて熱し、じゃがいもを広げ、木べらで押しつぶしながら焼き、裏返ししてオリーブオイルを加え、木べらで押しつぶしながら焼き、器に盛り、パセリをちらして完成でした。
 塩らーめんの添付の残りのスープを使い、にんじん、レタス、玉ねぎを入れて野菜スープを作り、添付の切りごまを入れて完成でした。
 今回は、友人からじゃがいもをいただいたのでじゃがいもを使った昼ご飯のレシピをネットで調べました。
 塩らーめんとじゃがいもの取り合わせは、想像もしていませんでしたが、じゃがいも大好きな私にとっては最高の昼ご飯になりました。
 野菜スープも作りましたが、これもまた、ガレットにあって美味しくご馳走になりました。
 
【8月26日は、ごま油香るなすと豚バラのつけうどん】
 8月26日の昼ご飯は、ごま油香るなすと豚バラのつけうどんでした。
 友人から沢山のなすをいただいたことから有効活用をしたいとネットで調べた料理でした。


宮城県山元町震災遺構中浜小学校見学その①

2021-08-27 06:29:00 | レビュー/感想

震災遺構中浜小学校ガイドブック

■震災遺構中浜小学校リーフレット

■震災遺構中浜小学校入館券

■震災遺構中浜小学校

 8月19日、宮城県山元町のヒマワリ畑の直ぐ近くにあった宮城県山元町震災遺構中浜小学校を見学してきました。
 中浜小学校は、昭和39年に開校、海から400mと近い校舎だったことから敷地全体を2m程度かさ上げして平成元年に建て替えられ、住民の避難を想定して外階段を3ヶ所設けるなど、津波や高潮への対策が事前に施された校舎でした。
 当日は、ガイドが同行し見学することができました。
 最初は、震災当時のDVDを視聴しての見学でした。
 震災遺構中浜小学校は、ガイドブックやリーフレットによると、平成23年(2011年)3月11日、大津波が迫る中、内陸の避難場所まで徒歩による移動は不可能との判断から、児童と教職員、保護者らた90人が校舎屋上に避難、余震が続く中、屋根裏倉庫で厳しい寒さに耐えながら一夜を過ごし、翌朝、無事に救助されたと言う、県内南部に残る唯一の被災建築物でした。
 校長先生がお話していましたが、大震災の二日前に発生した地震の時は、教職員が集まり、今後、大きな地震が発生した時の行動を事前に打ち合わせするなど職員間の意識合わせをしていたこともご紹介していました。
 校舎が、かさ上げして建て替えらていなかったらどうなっていただろうか、第3波、第4波が、ひき波と激しくぶつかり、波が低くなったことから最悪の事態を回避できたという2重、3重の幸運が90人の児童と教職員、保護者を救った様子もご紹介していました。
 今回は、あの大震災を再び思い出しながら身が引き締まる見学になりました。
 明日のblogは、校内の被災模様の写真を撮ってきたので見学スポットを中心に書き込みたいと思います。