中国貴州省とそこで暮らしている苗族トン族等の少数民族を紹介しています。

日本人には余り馴染みのない中国貴州省と、今私が一時滞在中の雲南省や大理白族自治州大理古城について

貴陽市の総人口は昨年末時点で432万人

2012年09月06日 | 貴州省

貴陽市は元王朝の順元時代(1328年)から築城が始まったそうです。明王朝の洪武帝(1382年)の時代に城壁が拡張され、城壁の周囲は1309丈に及んだとの事。明王朝の永楽帝(1413年)の時に貴州省が置かれ、全国の13大行政区の一つになり、明王朝隆慶帝(1569年)の時に貴陽府と改められ、この時以来、貴陽という地名が現在に至る迄使われているとの事。

洪武帝の時に貴陽城が拡張されたとは言え、城内の総面積は6平方キロだったそうです。辛亥革命が起きた1911年には、貴陽府が管轄する人口は約7万人だったのが辛亥革命後100年経った2011年末には、貴陽市の総人口は約432万人となり、貴陽市の総面積は8034平方キロになったとの事。700年の間に、貴陽市の面積は1340倍になり、辛亥革命から101年の後に、貴陽市の総人口は61倍になったとの事。

以前、統計など見て貴陽市の総人口は370万位と記憶していたのですが、貴陽市の総人口が400万人を突破し、432万人になっていたとは全く知りませんでした。



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