100年前の「明治の三陸」写真帖 明治の大津波から復興した三陸の姿を伝える

明治45年(1912年)に刊行された「写真帖」掲載の岩手県三陸沿岸の貴重な写真や資料を順次公開

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VOL9 市日風景 (下閉伊郡宮古町)

2013-09-07 18:11:50 | 明治の下閉伊郡(現宮古市他)

 市日の風景(今の宮古市中央通)

写真は当時片桁(カタゲダ)と呼ばれていた今の宮古市中央通りで、毎月2と9の付く日に開かれていたという市日の一コマです。川岸に露店が立ち並び、写真手前ではカゴやザルなどの竹製品、その先は野菜でしょうか、自ら作り育てたものを所狭しと並べています。買い物する人には背負い籠(しょいかご)姿が目に着きます。近郷近在から沢山の人が集まり、先は正に黒山の人だかりで活気が溢れ、街が賑わっている様が見てとれて、今の商店街の姿と比較すると羨ましくなってしまいます。

写真奥の川の曲がり具合や途中に右方(北)から入る大きめの道路が見当たらないことから、この写真の撮影場所は現在の高橋交差点より西寄りかと思えます。撮影年は電信柱が見えることから、宮古に初めて電燈が点いた写真帳の発行年である明治45年、時季は通行人が綿入れの厚い着物を着て、また川の向こう岸や遠くの山に残雪が見えること、川面に薄氷が張っていることから寒い2月頃でしょうか。高い位置から撮られています。当時も今もこの撮影地点には建物がない筈なので高い脚立の上からでも俯瞰したのかも、それとも川岸に大きな木があってそこに登ったのかも知れません。

さて山口川に蓋をかける工事が始まったのが昭和29年、蓋をかけ終わり全面舗装工事が終了したのが昭和34年のことです。この写真撮影当時は南北の本町通りや新町通りが賑わっていましたが、山口川が暗渠となり道路が広くなると、宮古駅から末広町そしてここ中央通を経て宮古市役所へ向かう一本道が、宮古のメイン通りとなりました。

ところで私はこの写真を本写真帖以外でも、様々な資料集で何度も目にしています。どれが本元か分からりませんが、前述のとおり電信柱が写っていることなどから推察すると、この写真帳が元となり広がったのかも知れません。ともかく宮古の往時の賑わいが窺い知れるとても良い写真であることは間違いありません。

実は、この市日の風景が、私が勝手に選んだ 「もし今でも宮古に残っていたらと思う7つの風景」 の 其の5 です。市は、昨今の商店街になくなったの風情があり、人の交流と賑わいがあります。今で云う農工商連携の元となるものです。スローシティーという言葉が気になり始めたこの頃です。

(余話)

最近気象庁の過去データを調べたら明治45年(1912)の宮古の月毎の最低気温下表データを見つけ、その結果本写真の撮影日をある程度まで推測できましたので加筆します

本写真の撮影日は、①写真帖の出版は明治45年4月であり、宮古に電気が通じたのが同45年なので明治45年に確定。②川面には薄氷が、遠景の山には雪が見え、気象庁データでは宮古の最低気温は同年1月/-5.1℃、2月/-3.2℃(氷点下3度程度では川の流れがあるので薄氷が張るまでには至りません)、3月/-1.2℃なので1月、③市が立っているので1月9.12.19.22.29日までと推定しました。


(2013.9.6に投稿したものを、2017.2.11に一部修正)

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