100年前の「明治の三陸」写真帖 明治の大津波から復興した三陸の姿を伝える

明治45年(1912年)に刊行された「写真帖」掲載の岩手県三陸沿岸の貴重な写真や資料を順次公開

VOL75  明治の三陸名勝28 「一の瀧(又一ノ滝)」 (上閉伊郡附馬牛村)

2015-03-25 17:14:14 | 明治の上閉伊郡(現釜石市・遠野市他)

一の瀧(又一ノ滝)」(上閉伊郡附馬牛村/現遠野市附馬牛)

  

この滝は本写真帖に「一の瀧」の名称で記載されています。私はまだこの滝は見たことがなかったのでネットで画像検索をしたら遠野市宮守の寺沢川にある「一ノ滝」が見つかりましたが、どうも形状が異なり別物と思いましたので、前回紹介した「ゆーし」様の「岩手の滝」を拝見したら、下記の「又一ノ滝」の画像を見つけました。水流や岩の形状から、本写真帳の「一の瀧」は遠野市附馬牛地区の薬師岳の麓にある「又一ノ滝」と呼称されている滝と思われます。

この地区には、昔この滝を訪れた諸国行脚の僧が『紀州の那智の滝は日本一といわれるが、この滝は二番目だ』といったら、滝が怒って水を止めてしまい、あわてた僧は『この滝も又、(日本)一の滝だ』と言い直したら水が流れ始めた。それで『又一ノ滝』というのだ」という伝承があります。それから云えば明治の頃もそう呼称されていた筈で写真帖の「一の瀧」は誤記となります。

さて「那智の滝」は落差133mの日本一の名瀑ですが、こちらの「又一ノ滝」は残念ながら遠く及ばない幅5m落差20m程の滝です。しかし林道終点からブナなどが生い茂る道を徒歩で約30分、鬱蒼とした木立の中の巨大な一枚岩を滑るように流れ落ちる滝は十分に見ごたえがあります。

 

※上記写真の著作権は「The Great Nature of Iwate」の「ゆーし」様に全て帰属します。