100年前の「明治の三陸」写真帖 明治の大津波から復興した三陸の姿を伝える

明治45年(1912年)に刊行された「写真帖」掲載の岩手県三陸沿岸の貴重な写真や資料を順次公開

VOL70  明治の三陸名勝23 「茂市(師)附近の眺望」 (下閉伊郡小本村)

2015-02-13 18:00:50 | 明治の下閉伊郡(現宮古市他)

「茂市()附近の眺望」 (現下閉伊郡岩泉町小本)

 元の明治の写真帖のタイトルは「茂市附近の眺望」とありますが、音は同じでも、「市」ではなく、「師」の誤植と思います。(モシと読みます)

 さて茂師海岸と云えば、先のVOL67で紹介した「宮古層」と呼ばれる前期白亜紀(約1億1千万年前)の地層から日本で最初の恐竜化石が発見されたことで知られています。昭和53年(1978)の夏、旧国道45号線の道路脇の崖(宮古層群の礫岩)に露出していた脊椎動物の化石が見つかりました。その後のこの化石は、史上最大の陸生脊椎動物といわれる全長20mを超す竜脚類という大型草食恐竜の上腕骨(前足)の一部であることが判明し、発見地に因み「モリリュウ」と名付けられました。但し、化石は状態が悪く詳細な分類ができないことから正式な学名は付けられていません。

 なお宮古層から発見される化石はアンモナイトなどの海中に棲む動物が主で、陸生の恐竜が同じ地層から発見されることは不思議に思いますが、当時の陸地から海に運ばれ海中動物と一緒に堆積したものと考えられています。すると現在は山ばかりの同地域に、モシリュウが生息していた当時は、恐竜が生息できるような広々とした草原があったのでしょうか… 夢が広がります。

 それまで中生代の日本列島は、大部分が海の底にあったので、恐竜は生息していなかったと考えられていましたので、定説を覆す大発見でした。その後恐竜の化石は日本各地で発見され、中生代(ジュラ紀後期~白亜紀後期)、数多くの恐竜が生活していたことが明らかになりました。

※いわいずみブログ「わが国で初めて発見された白亜紀の巨大恐竜

 さて本ブログには、宮沢賢治が度々登場しますが(Vol18.67.68)、この大発見の34年前に発表された「楢ノ木大学士の野宿」では、主人公が岩手県の海岸で白亜紀の爬虫類の骨格化石を探すうちに、大きな恐竜に出会う夢を見ています。賢治は当時から三陸に恐竜化石が眠っていると考えていたのかもしれません。

 

「明治の三陸博覧会」記念写真帳とは?