我々はいかにして自分が自分であることを自覚するのかー
自己と他者をいかにして分かつというのか。
例えば目が見えず、耳も聞こえず、ということは人間には起こりうることだ。
あるいは神経の麻痺による知覚機能の欠如、いわゆる五体の欠損や五感の不具… 。
しかし、それでも我々が人間であることに変わりはない。つまり、"自我"を有する存在であるということである。
それは植物人間だろうが、認知症だろうがそのことに変わりはなく、揺るぎない一個の尊重されるべき人格である。
だが果たして ー
その命以前の世界とは、どうゆうものなのだろうか ー ?
霊的世界や精神的な解脱をした世界、宗教家が神界と呼んだりするある種の無意識の世界、これらでさえ、ここでいう "それ以前" ではない。
全てそれ以後に生まれた世界である。
だが、想像してみようー
地上に生命が誕生する以前、いや地上 (宇宙というべきか) すらまだ生成する以前の世界にあって、そこに在るモノは何の方向性も秩序も持たない、ある種のエネルギー (力) だけであっただろう。
想像してみようー
そこがどんなに暗く、悲しく寂しい世界かを。
あらゆる五感とその感覚の記憶すらなくなってしまえば、自己と他者を分かつ術はなく、この世界に近い状態になるかもしれない。
そうなればもはや自我などは成立しない。
自己と他者をいかにして分かつというのか。
例えば目が見えず、耳も聞こえず、ということは人間には起こりうることだ。
あるいは神経の麻痺による知覚機能の欠如、いわゆる五体の欠損や五感の不具… 。
しかし、それでも我々が人間であることに変わりはない。つまり、"自我"を有する存在であるということである。
それは植物人間だろうが、認知症だろうがそのことに変わりはなく、揺るぎない一個の尊重されるべき人格である。
だが果たして ー
その命以前の世界とは、どうゆうものなのだろうか ー ?
霊的世界や精神的な解脱をした世界、宗教家が神界と呼んだりするある種の無意識の世界、これらでさえ、ここでいう "それ以前" ではない。
全てそれ以後に生まれた世界である。
だが、想像してみようー
地上に生命が誕生する以前、いや地上 (宇宙というべきか) すらまだ生成する以前の世界にあって、そこに在るモノは何の方向性も秩序も持たない、ある種のエネルギー (力) だけであっただろう。
想像してみようー
そこがどんなに暗く、悲しく寂しい世界かを。
あらゆる五感とその感覚の記憶すらなくなってしまえば、自己と他者を分かつ術はなく、この世界に近い状態になるかもしれない。
そうなればもはや自我などは成立しない。
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