思考の踏み込み

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それ以前6

2013-12-04 09:03:33 | 
宇宙の始めに、ただ存在だけしていたモノたち (ホピ族のいう精霊たちか)
それらのモノたちが、永い、永い、永い間 ー 果てしなく暗い世界で、何を想い、何を願ったであろうか?

もちろんそんな世界にあって、想うも何も自我すらないのだから、我々の考えるような質の思考などは存在しない。
しかし、それでもエネルギーだけは存在し、その方向性がある以上、それは我々が抱く "願い" とエネルギーの構造上、変わりはない。



"彼ら" (ただ存在していた力) の願いはやがて方向性を強め、秩序を生み、物質的世界を形成していく。

やがては生命さえ育むことを可能にし、その果てに我々が生まれ、自我を獲得した。

こうして考えると、見えることの喜び、世界の美しさ、感じとれることの心地よさ、味わえる楽しさ、触れられることの心地よさ、愛することのできる幸せ、、、

かつて彼らが暗闇の底の底で願い、欲したことが現世には全て ー ある!

苦しみでさえ ー 喜びが苦しみ無しでは成立しない以上、苦しめるということさえ彼らの場所からみれば素晴らしいことといえよう。

こうした現世というものを我々はよく考え直すべきだろう。



だからといって人生を目一杯楽しまなければならない、などと短絡的に快楽主義に走ることは愚かであることはいうまでもない。

そもそも "彼ら" といい "我々" というが、我々の中に彼らがいるようなものだ。

"彼ら" ー 生命以前のモノたち、あるいは存在以前の存在 ー その 彼らの欲した願いの角度に宇宙が生まれ、進んでいるとすれば、我々もその方向へと歩むべきではないだろうか?

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