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思考の踏み込み

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戦国夜話5

2014-03-17 07:45:09 | 歴史
いずれにしても、織田信秀、斎藤道三、織田信長、と続くこの英雄の系譜には "時代" という演出者もよくぞ惜しげも無く配役したものかな、と思う。

さてその国泥棒、斎藤山城はやがて老い、嫡子義龍に攻められる。

その際、ウツケの婿殿に有名な "国譲り状" を書いて送り、そのおとぎ話の幕を自ら引いた。

譲り状

このあたりの逸話は "敵に塩を送った" 謙信と信玄の逸話と同じ様な魅力的な一幕だろう。

(実際は北条、今川に塩を封鎖された武田軍が、上杉領内で塩を輸送、通過していたことを謙信が見逃した、というもので送ったわけではないが。)

そしてマムシの死後、戦国の世は織田弾正忠信長という、天が日本史を旋回させるためにさし下したとしか思えない様な人物を中心に轟々と巡りはじめる。



信長とその近景に限っては「戦国時代」というくくりよりも、「元亀・天正の世」といったほうが詩的でしっくりくる。
( 元号のシステムを中国は捨てたが明治政府は保存した。これは評価すべきことだろう。)

ー この "元亀天正" という鮮やかな色彩を持つ時代、全国的にも英雄どもがまさに崛起し割拠していた時代である。


戦国夜話4

2014-03-16 06:46:08 | 歴史
道三は "うつけ" と名高い婿殿を一目みようと企画する。
有名な "正徳寺の会見" である。

この二人の英雄の会見というのはそのエピソードの面白さも含めて、戦後史きっての名場面の一つであろう。

信長を隠れて覗き見る道三が描かれている



当時、黒白定かでなく得体の知れぬ若者に過ぎなかった信長。

この男から何かを見出したのが、実父織田信秀と道三の二人だけであったというのも面白い。柴田勝家などは大っぴらに反信長派であった。

この "尾張の虎" こと織田信秀もまた強烈に興味深い人物であろう。

信秀木像

しかし道三ほどの人間通の男でもさすがに信長の評価の判断にははじめ迷った形跡がある。

こんな類の人間は見たことがない ー と。
それもそのはずである。
日本史を通じて見ても、信長の様な人物は空前絶後だからだ。

今太閤とか、今清盛とか評された者はあっても今信長と言われた者は聞いた事がない。

また近年でこそ、坂本龍馬と並んで好きな歴史上の人物で必ず上位に上がるが、戦前まではさして人気はなかった。

これは徳川の思想統制だとか、戦後の左翼煽動説など、いろいろに取り沙汰されるが、単純に信長の感覚が時代を先取りし過ぎていただけだと思う。

現代のような熾烈な競争社会、極端な合理主義社会に至ってはじめて日本人は信長の感性に共感し出したということだろう。

要するに信長とはそういう男であった。そういう人間はその時代の人々には "うつけ" としか見えなかったのは止むを得ない。

戦国夜話3

2014-03-15 01:43:39 | 歴史
だがここでは戦国時代について学術的に考察していくつもりはない。

戦国時代の面白さ ー

あたかも少年が外国の雄大な叙事詩を聞かされ楽しむ様に ー

心踊る時代として気楽にとらえてみたいと思う。






ある、法華僧崩れがいた。

彼は素手で一国の主になれぬものかと考えていた。
やがて彼は油商人となり、現実に魔法の様な手を使い美濃という国を獲ってしまう。

"蝮" と言われた斎藤山城入道道三である。



こんなおとぎ話の様な話が史実として残っている、という所に日本史の魅力がある。

おとぎ話の様な物語はしかし、厳密に見つめ過ぎてしまうと興を失いがちなモノでもある。 やはり程よい距離感でとらえた戦国通史なんかがあると面白いと思うのだが……。
我が国には何故か「通史」とか壮大に一時代を括る叙事的な物語とかに優れたものが少ない。これからの文筆家あるいは歴史家に期待したいものだ。

さて、 近年の研究では美濃の国盗りは道三一代によるものではなく、その父、新左衛門尉と二代に渡ったとみられている。

それはともかく、"マムシ" と実際に恐れられたのは子の左近太夫道三であったのは間違いないだろう。

この "マムシ" が、戦国の風雲児信長を婿に持つこととなる。




戦国夜話2

2014-03-14 08:16:55 | 歴史
戦国期、日本は気候が違っていたという説がある。
多湿でじとじとした気候ではなく、カラッと乾いて鮮やかな青空と強烈な太陽が列島を覆っていた。



太陽は活動に周期があり、小さなサイクルなら11年とか、大きなサイクルで数百年とかあるようだから、そうしたこともありえたかもしれない。

実際中世の終わりの時期が、東西で時をほぼ同じくしているということは、地球規模の環境の変化ということは考えに入れてもいいとは思う。

だがこれはむしろ気候的な事実よりもこの時代の日本人達の気質の印象からくるものとみた方がいいかもしれない。

戦国期の日本人は底抜けに明るくて乾いていて、色で表現するならば原色の力強い色彩が目に浮かぶような感がある。



実はこれは当時の日本人の活力にあると思われる。中世を終わらせたモノの正体もここにある。

それは何か ー ?

鉄の生産量の増加である。
鉄の生産が飛躍した事によって農機具の性能が上がった。
当然、食糧生産は増大し人々はそれまでより圧倒的に豊かになった。

世界史の中では百年戦争とか、長く続く乱世の時代を有した地域はいくつかあるが、単一民族でしかもその内輪だけで百年も戦争を続けたのは日本人だけだろう。

これはそれだけの体力、つまり経済力がなければ出来ないことである。
歴史上では歴史を動かしたのは武将たちだが、その戦に参加していた多くの足軽達は農民である。

農村において余剰人員が出て、戦に参加できるほどになっていたからこそ多くの武将たちは戦を続けられたわけだし、下克上のようなことも可能となっていったといえる。

戦国時代とはそういう自然現象に近いエネルギーの台頭が、中世を終わらせようとしていた過渡期の時代であり、人の意思も思想もほとんど介在していない特殊な歴史的季節である。




戦国夜話

2014-03-14 08:15:11 | 歴史
物事を楽しむには全て距離感が肝要である。
何事も近すぎるものは息苦しく、遠くに過ぎたるは捉え難い。

それは恋愛も仕事も趣味嗜好も全て同じことだ。これを "間" という。

真面目とは "間" を締めること。
間抜けとは読んで字の如く "間" の感覚の抜けていることである。



大好きなスポーツ選手のファンでいることは楽しいだろう。だがたとえばその家族にまで距離が近くなってしまえば、日々の勝負に明け暮れる暮らしは穏やかなものとはいえない。



歴史というモノを見る上でも、近世の話は直接現代社会と関わってくるだけに、中々無条件で無邪気に接することはさせて貰えないものだ。

今なお遺恨を残す第二次大戦期などは当然であるし、その意味で皮膚感覚でいうと徳川幕府の成立くらいまでは、近距離の範疇に入る様に思える。

これが平安時代にまで遡ってしまうと、やや遠過ぎて霞がかったように映像として結びづらい。

この点でいくと戦国期という時代は程よい距離感にあると思う。
もちろん乱世であるから、距離をつめて見つめればまったく悲惨な時代ともみれる。

それでもこの時代の日本人が妙にエネルギッシュに思えるのはなぜだろうか。