読書と追憶

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映画「エリザベス ゴールデンエイジ」

2008-02-22 22:21:07 | 映画
 「エリザベス ゴールデンエイジ」を観てきた。ケイト・ブランシェットがたいへん美しく、また凛々しく、目の保養になった。
 映画を観ている最中にふと、なぜこの映画が作られたのかということを考えた。私は前作の「エリザベス」は観ていない。だけども、前作が好評だったから続編を作ったというだけではなく、何かの必然性があっての作られたように思うのだ。もちろん、イギリス人が歴史好きだってことはあるだろうけど。

 映画を観ながらつくづく「宗教ってこわい」と思った。あの狂信的なフェリペ2世の顔が怖い。スペイン無敵艦隊の帆船に高々と掲げられた旗が怖い。十字架のキリスト像が描かれた旗だ。宗教裁判でどれだけ多くの人たちが拷問を受け、凄惨な死に方をしたかを思い出して身震いが出た。だけど、ここには描かれていないけど、エリザベスだって一時は国内のカトリック教徒を弾圧したこともあるし、当時カトリックとプロテスタントは国を二分して血で血を洗うような争いを度々起こしていたのだ。
 
 ああ、そういうことか。きっとこの映画は宗教対立からくる戦争にどう対処するかということを、歴史を振り返ることによって改めて私たちに問うているのだ。だからこれは、必ずしも史実に忠実に作られているわけではいないし、わかりやすいように脚色してある。先日来、ドストエフスキーや「アメリカン・ギャングスター」で考えたのと同様に、やはりこの映画も現代的な視点から歴史を切り取ってみるということをやっているのだと思った。

 公式サイトの PRODUCTION NOTES にそのようなことが書いてあるじゃないか。リンクが貼れないので引用。

 この映画は、原理主義的な考えに対する寛容という、現代にも響き合うテーマを扱っているが、シェカール・カブール監督はこう信じている。「歴史を掘り下げることは、結局、私たち自身の現代の物語を掘り下げることになる。今という時代にまったく関係のない映画を、どうして作る必要がある?」


 そう考えると、「全世界をカトリック信仰で覆い尽くし、カトリックの栄光のもとへ回帰させることを誓う」フェリペ2世って、現代では誰ってことになるのだろう。イスラム原理主義指導者か?それとも、キリスト教原理主義者たちの支持を受けて、世界にアメリカ式民主主義を導入するためにイスラム圏の国々を空爆するブッシュ大統領か?まあ、どちらでもよいのだ。イギリスは過去どのように対処してきたか、この映画ではそこを強調する。エリザベスは言う「罪を犯したものは処罰するが、犯さぬものは保護する。行為では罰するが、信念では罰しない」と。すごい。思想信条の自由という基本的人権の概念をこの時代に主張している。「スペインに征服されれば凄惨な宗教裁判が始まるわ。スペインとの戦いは、宗教と信念の自由を勝ち取るための戦いです。」とはっきりと言い切る。
 
 メアリーの処刑について思い悩むシーンでも王の権力と国の法律との葛藤という問題が出てくる。エリザベスは従姉である女王メアリーの処刑に逡巡し、命令書になかなか署名しようとしない。自分の母親が処刑された時のことを考えるととてもできないと言うのだ。そうだった、イギリス王室ってのも血みどろの胸の悪くなるような歴史を持っているのだったな。(ここで、父王ヘンリー8世と母アン・ブーリンについて調べていてそのドロドロの人間模様に辟易する。)
 じいや的存在である側近のウォルシンガム卿は「法の定めるところによって処刑をしなくてはならない」と強硬に主張するのだが、エリザベスは「法は庶民を縛るものでしょ。国王は法を超越しているのではないの?」と言う。ウォルシンガム卿は「法は庶民を守るためにあるのです」と答え、エリザベスは苦悩しつながらもしぶしぶ署名する。これ、「王といえども法を超越することはできない」ということを言っているのだ。すごいと思わない?これが、史実かどうかは知らないけど、少なくともイギリス人のコンセンサスとしてこのような考え方があるのだ。宮台真司が「権力と権威は分離しなくてはならない」と書いていたけど、この映画って、権力が宗教的権威を身に纏うとおそろしいことになるっていうのをそのまんま教えてくれているじゃないか。

 宗教原理主義者フェリペ2世がローマ法王の権威を笠に着て凄惨な宗教弾圧と他国の侵略を行ったのに対してエリザベスは、国を分裂させることを避けるために宗教的寛容と法による統治をおこなったのだということをこの映画は言っている。そして、まるで神風が吹いたかのようにスペイン艦隊は全滅し、この後イギリスは穏やかで平和な繁栄の時代=ゴールデン・エイジを築くことになるのだ。実に感動的な物語だ。もちろん厳密にはそれほど単純な話ではないだろうが、このような歴史的な建前を大切にするということも、まあ必要なことなのだろうなあと最近思う。

<おまけのネタバレ> わかりにくかったのは、エリザベスを暗殺しようとした拳銃の弾が空砲であったというところだが、ウォルシンガム卿が後にこれを「罠だった」と言う。メアリー女王の密書がすべてエリザベス側に渡っていたのも実はスペインの工作員がわざと見つかりやすくしていたのらしい。なぜって、スペインは表面上はカトリックのメアリーをイングランドの女王に即位させようと画策しているように見せかけていたが、実はわざとメアリーを処刑させ、イングランドの分裂を誘発して自分が乗っ取ろうとしていたのだった。フェリペ2世の娘イサべラをイングランドの女王に即位させるため。だったらやはりメアリーの処刑って間違っていたことになるのだろうな。なんとか和解の方法はなかったのか。スコットランドやアイルランドの人たちの、イングランドに対する恨みってこの頃からずっと、現代に至るまで尾を引いていて、宗教対立や民族対立が根の深いものであることを思い起こさせる。