ネコオヤジのゆらりゆらゆら生活

これから数ヶ月のテーマは「ゆらりゆらゆら生活」です。私が興味を持っているもののまわりをゆらりゆらゆらして書いてみます。

SAYURIおもしろかったよ、その2 戦前のゲイシャ空間を再現したハリウッドの底力

2005-12-12 12:24:28 | 映画&テレビ
SAYURIで個人的に感慨深かったのは、私にとって「三丁目の夕日ALWAYS」状態であったこと。京都西陣、花街の上七軒に程近い場所で生まれ育った私には、今はもうほとんどなくなってしまった、京都の昭和30年代の空気感をすごく感じることができた。もちろん映画の設定は戦前で、昭和30年代とは違うのだが、私が皮膚感覚や五感で覚えているかつての京都の下町の空気が伝わってきて、言い知れぬ懐かしさに浸ることができた。膨大な資力と労力と集中力で再現された戦前の「都」の花街。これをやってのけたハリウッドの底力に素直に脱帽した。しかも、ガイジンのヘンな偏見とか先入観とか興味本位の視線とかは感じられず、日本の伝統文化の一つの断面に対する尊重や敬意が感じられたことは、京都人としてとても嬉しかった。もちろん細かいことを言い出したらきりがないだろう。違和感を感じるシーンもないわけではない。戦前の花街でなんであんなラスベガスのショーみたいなダンスをするのか、とかいろいろね。でも大筋では充分過ぎるほど忠実に敬意を持って丹念に慎重に再現していると感じたので、気にはならなかった。むしろチャンツィーが華麗に踊るシーンなどは、花街文化とアメリカのショービジネスと中国の舞踏との出会いって感じでとても楽しかった。もともとオリジナルのゲイシャ文化を忠実に再現すること自体が最大のテーマなのではなく、ハリウッドがそのDNAを生かした形で日本の伝統文化をどう表現するかというところが見所なんだから、あんまり目くじらを立てても仕方ないと思う。最近のスピルバーグの仕事を見ていると、宇宙戦争にしてもターミナルにしても、たったこれだけの話をやるのにこれだけカネかけるわけ?という違和感を禁じえなかったが、今回は意味のあるカネのかけ方でしたねって言いたい。今、日本でこれだけ戦前の花街を再現した映画を作ることは経済的にとてもとてもできないのではないか?こうして映像として残してくれたハリウッドマネーに素直に感謝している。違和感という意味で言えば、セリフが英語でむしろ助かった。京都人としては、関西人でない俳優の怪しげな京言葉ほど興ざめするものはない。英語を使うことによってこの問題を回避したことが結果的に賢明であった。むしろ吹き替え版の京言葉がどうなっているか心配である。日本語でやるなら、ゲイシャたちが話す言葉はちゃんとした彼女たちの言葉でないと、全くぶち壊しである。映画会社がこの映画をもう少し本気で売りたかったのなら、吹き替えに佳つ乃姐さんを連れてくるとかやったら話題になったと思うけどね。フジヤマゲイシャといえば、外国で日本文化を極めて表面的に一面的にしかも不正確にとらえることの形容だったけど、「今はもう、フジヤマゲイシャばっかりやってるわけじゃありませんよ」というハリウッドからの反論のメッセージととらえ、その反論を上機嫌で了承したい。


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1 コメント

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私も見ました (薬剤師)
2005-12-13 18:52:50
私は京都の事情に詳しくありませんが、「ロブ・マーシャルの日本」にのめりこんでしまいました。

そしてnekooyajiさんの文を読んで、また感動がよみがえってきました。

TBさせていただきます。
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