ネコオヤジのゆらりゆらゆら生活

これから数ヶ月のテーマは「ゆらりゆらゆら生活」です。私が興味を持っているもののまわりをゆらりゆらゆらして書いてみます。

SAYURIその4、見た後結膜炎になって、昔の京都を思い出した

2005-12-15 11:49:57 | 映画&テレビ
表題見ても、何のことだかわかりませんよね。

ウィルス性の結膜炎になって、周りにうつさないようといわれて数日間自宅謹慎していて、ようやく感染の危険がなくなった。大変な目にあったものだ。結膜炎というのは小学校低学年以来で、数十年ぶりであるが、前になった時というのは、当時京都の疎水を使って開校していた水泳学校に通っている時にかかったのであった。今の衛生基準で見るととても泳げるような水質ではなく、泳いでいたら横を猫の死骸がぷかぷか流れて行ったりした。通っていた小学校にまだプールができる前の話であり、小学校のひと夏かふた夏かだけなのだが、この思い出が自分の中では結構鮮やかな京都の思い出になっている。SAYURIを見たのと発症したのが同時期だったので、自分の中の昔の京都を強烈にフラッシュバックさせることが2連発でやって来て、頭の中は完全に京都懐古モードに突入してしまった。水泳学校には毎日「市電」と呼ばれた路面電車で通った。歩いて西陣の街を抜けて、今出川通りの電停まで行くのだが、その街並みの空気感をSAYURIを見て鮮やかに思い出した。あのまったりした空気感のなかで育ったのだと無性にセンチメンタルな気分になってきた。まだ父も母も若かった。強烈な日差しとどぶ川のような濃い緑の水の色。なぜか真っ黒に日焼けした教官の筋肉質の肉体が頭に焼き付いているが、これはヘンな方に走ったということではなく、あんな体にどうやったらなれるのだろうという純粋な好奇心であった。帰りにいつも食べるきつねうどんが妙においしかった。近所に自家製のアイスクリームの店があると聞いていたやつがいて、みんなで行ったら値段の高さとミルクの味の効いたおいしさにびっくりした。この店はまだ健在みたいだが。おいしいものがあると聞いたらどんな手間をかけても行くという体質はこの頃既にあったのか…懐古の白日夢から我に返って、川端康成が東山魁夷に言ったという言葉を思い出した。「京都、早く描いといて下さいよ、もうなくなっちゃいますから」。残念だけど、これは事実だし、どうしようもできない部分もたくさんある。京都の街には続々町屋造りの店が誕生しているが、そこに昔の空気感までは再現できない。それは建物単体が発するものではなく、街と人とがみんなでトータルに作り出していたものだからだ。SAYURIは私にとって失われた京都の空気感の一端をハリウッド映画が感じさえてくれるというなんとも不思議な体験だった。この体験がとてもとても楽しかった。サユリのあの水色の美しい瞳を私は数十年ぶりの充血した結膜炎の目で見ていたのだった。もう一回見に行こうかな。今度は花街のディテールをもっとよく見よう。


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