
1969年に発行された写真集が「FIRST & LAST 鰐淵晴子RE写真集」と銘打って98年に復刻されのだが、これを最近改めて見る機会があった。
いろんな意味で、驚きの写真集である。
鰐淵晴子さんの驚くべき美しさ。写真の素晴らしさ。しかも、それが69年に撮られたという事実。最近の作品として見せられても、何ら違和感を感じない新しさ。
本の帯にかの加納典明氏の推薦文が載っていて、「これは俺たち写真家が夢見る生涯にただ一度しか取れない写真集だ。」とあるが、まさにその通りだと思う。写真家の実力、モデルとの出会い、時代、などなど、優れたヌード写真集が生まれるために必要ないろんな条件があるのだと思うが、それがまるで何十年に一度の皆既日食のように全部きれいに重なってこれが生まれたという感じ。タッド若松氏は、これを撮った時、写真家としての仕事、全部やっちゃった、みたいな満足感を感じたのではないだろうか。これを撮っただけでもオレの人生いいもんだった、って思ったのではないだろうか。一瞬のライフワーク・・・
こういうのを残せた一生ってほんとにラッキーだ。自分が存在したことの証明、そういうもの私にあるだろうか。家族とかプライベートな世界ではあると思う。
仕事ではどうか?決定的なものはまだないかも。普段からそういう言うあせりのようなものを持っていたからこそ、この写真集に過剰なほど反応してしまったのかもしれない。
つまらんもんですが・・・って感じで、私が撮った薔薇を鰐淵晴子さんに奉げよう。あの作品の中の彼女の美しさにはとても叶わないが
いろんな意味で、驚きの写真集である。
鰐淵晴子さんの驚くべき美しさ。写真の素晴らしさ。しかも、それが69年に撮られたという事実。最近の作品として見せられても、何ら違和感を感じない新しさ。
本の帯にかの加納典明氏の推薦文が載っていて、「これは俺たち写真家が夢見る生涯にただ一度しか取れない写真集だ。」とあるが、まさにその通りだと思う。写真家の実力、モデルとの出会い、時代、などなど、優れたヌード写真集が生まれるために必要ないろんな条件があるのだと思うが、それがまるで何十年に一度の皆既日食のように全部きれいに重なってこれが生まれたという感じ。タッド若松氏は、これを撮った時、写真家としての仕事、全部やっちゃった、みたいな満足感を感じたのではないだろうか。これを撮っただけでもオレの人生いいもんだった、って思ったのではないだろうか。一瞬のライフワーク・・・
こういうのを残せた一生ってほんとにラッキーだ。自分が存在したことの証明、そういうもの私にあるだろうか。家族とかプライベートな世界ではあると思う。
仕事ではどうか?決定的なものはまだないかも。普段からそういう言うあせりのようなものを持っていたからこそ、この写真集に過剰なほど反応してしまったのかもしれない。
つまらんもんですが・・・って感じで、私が撮った薔薇を鰐淵晴子さんに奉げよう。あの作品の中の彼女の美しさにはとても叶わないが