どんな場所でも、異なった考えを持った人が一緒にいれば
不満が起きたり、衝突することは避けられないと思う。
異なった考えを持っているからこそ、建設的なアイデアが生まれたり
何かに気付かされて、思いやりが生まれることもあるでしょう。
どうにも我慢出来ず、いても立ってもいられない気分になった時は
一呼吸置いて、落ち着いて考えることって大事ですよね。
でも、いつもいつも一呼吸ばかりついていていいの?
感情を露にして、後で自己嫌悪に陥る可能性があるかもしれないけれど
一呼吸の前の感情は、決して相手を打ち負かせたり、
傷つけたりするのが目的ではなくて、
自分のまっすぐな考え、気持ちなのだから
時には、そのまま出す。
それも一呼吸置くのと同じくらい大事かもしれないね。
最近、義母が次々と花の咲く木を抜いています。
今の季節、葉も花もなく、
鋭い枝が向き出しになっているだけで、
庭の手入れに入る度に、手や顔に当たるのが嫌なようです。
春~夏になったらまた花を咲かせる木ばかりで
その季節を感じることと、花の写真を撮るのが好きな私には
どれもそのままそこにいて欲しい花木ばかりです。
ずっと感じていたことに、
義母はあまり感性とか風情のない人で、
数々の花木を植えたのも、それが大好きだった義父であり
今、庭に花がたくさん咲いて喜んでいるのも
仏花、墓参用の花を買わずに調達出来るからで、
勿論、庭の花も、元々は種だったり苗だったり
そして肥料も私の労力も
完全に無償のものかと言えばそうではありません。
ある花がとても綺麗な季節に
他所の庭では、今を盛りに咲き誇っていたのに
我が家では、多くを切花に使ってしまったために
残り数本しかその花は咲いていなかった
ということがあって・・
ご先祖様にお届けする花なのだから
そのためにと切った結果がそうであれば
そこでざらついた感情になる自分、
その方が哀しいことなのではないかと・・
ずっとずっとそう思うようにしてきました。
義母には純粋にご先祖様を思う気持ちは
勿論溢れるほどあるけれど
周りの墓主に対しての、世間体が結構強くて
たいして痛んでいない花まで挿し替えてくる様子を見ていると
そこまでする必要があるのかな、とさえ思えたのですね。
そして最近どんどん花木を抜いている様子を見ていて、
どうにもこうにも、いつものように一呼吸なんて
ついていられませんでした。
抜いたその跡には、また墓参用切花をどんどん植えたいと。
うん・・・でもそれは
花が咲いたら、咲いた順にどんどん切って
そこには最終的に花は無くなってしまうのでしょう?
そのために花は、毎年植えたり、種を蒔いたり
株分けしたり、それは自分がするのですか?
切花用の花にはそういう作業がついてまわるのも事実で
花木も、勿論ずっと放っておいて花が咲くものではないけれど
ただ、時期が来れば必ず毎年花は咲く。
そしてあまり切られることもなく、庭でずっとずっと咲いている。
そんな花も、ここには必要ではないのかな、と。
義母にとっては、庭は本当にただ切花を育てる花畑で
私はそれを含めた上でも、庭を眺めて楽しみたい気持ちが強くて・・
長々と書きましたが、これは例えばの話ということで
こんな風に、思いの違う者同士が、
波風立てずにうまくやっていくと言うのは
本当に難しいことだと思っています。
自分のブログなのだから、
こんな風に思うがままに、どんどん書いてもいいわけです。
ただ・・実は私はあまりそれがしたくなくて・・ずっと。
でもたまにはいいよね、と
少し前から殻を脱ぎ始めています。
書きたくないと思うのも、本当の私。
でも一呼吸おいたことばかり書きたくないのも、今の私です。
で、この記事を書くにあたって、一呼吸置いていないかと言うと
さっきから、もう何度も何度も(笑)
一呼吸どころか、二呼吸三呼吸、四呼吸つきながら書いているわけです。
最後に付け加えて書きたいことがあって・・
それは、自分と異なった意見の持ち主。
勿論、衝突にも程がありますが、
これが全くない、まるで自分天国のような状況が
とても居心地が良くて、不満が全くないかと言えば
ないんですね
でも・・
ないこと=幸せかと言うと、それは必ずしもそうとも言えなくて
もう少しこうだったら・・
これさえなければ・・
そんな状況の方が、案外一番幸せな時だということも
私はちゃんと身を持って実感しているのです。
それが分かってるから
書いても大丈夫?と言う自分の問いかけに
GOサインを出したのではないかと。
自分はいいとして、
読まれた皆さんはどうお感じになられたでしょうか。
ちょ~っと・・反応が怖くもあります
ではまた、ごきげんよう(退散~~)
そうそう、私の一呼吸置かない発言により
この山茶花は、庭の別場所に移動することになりました。
既に掘り出していたので、根が傷んでなければいいのですが。
白い方は、残念ですがお別れです。
他にも植わっているので、2本も3本もいらないであろう
ということで、
まあ、和解成立です
花を愛でる気持ちは有るだろうに、木が大きく成るにはとても時間が掛かる物です。
どうしても狭い庭なので、と言う事ならいざ知らず、今まで有った木を可哀想にと、私は思う次第です。
歳と共に視野が狭く成って来ているのでしょうか?ある種の認知症に成って来ているかも知れませんね。
義母さんの行動に注視したいと思います。
ウチのチームでもそうだけど
選手の人数が多い学年はやはり揉め事も多い。
人が集まればそれぞれ意見は違いますもん。
何とか丸くおさまるように
色々と保護者の意見を聞くけれど
全員が「納得」する事はないですね。
その場合にどれだけ我慢するか
我慢できるレベルの大きさの違いなのかなと。
最近は「言ったもん勝ち!」みたいな傾向が強くて、自分が強くて譲れない人が多いです…。
思ってる事を吐き出せるさくらこさんも
いいですよ♪
私は出せないままでいます…(T_T)
物事に対する考えや価値観が違う者同士が一緒に生活しているのですから ぶつかって当然ですが 何処で折り合いを付けるかと言うことですよね。
きっと 賢いさくらこさんは 自分が譲ることで丸く収めることが多かったんではないですか?
植木や花の件に関しても 誰が見てもと言うより 私はさくらこさんの方が正しいと思いますよ。お義母さんは 無粋な方ですね<ごめんなさい>
切り花として植えたお花と 花木等の植木は目的が違うと思いますがね。
山茶花など 冬のお花の無い時には沢山あった方がいいのにと思ってみたりしますが・・・
これからも ず~っと一緒に生活しなくてはいけない方ですから どうしても さくらこさんが我慢を強いられることが多くなると思いますが そんな時は ここで愚痴ってください!
気にすることないと思いますよ。ここで発散させて また頑張ればいいんですよ!
時には置かないで冷静の上での感情ストレート・・
義母様の扱いの気苦労お察し、します。
さくらこさんは、家族にいろいろと気を配られて
ほんといつも凄いなと感じております。
>ブログに於いて・・少し前から殻を脱ぎ始めています。
※私もそんな感じで例の場所にて、重くならない程度で、心の音を書いています。
吐き出すってこともないけれど、重くならなければ少しは、もう解禁でもいいのでは?と(笑)
なので誰でも読めるようにしました♪
けっきょくその方が、その人と親しくなれますしね。向うも本音を言ってくるし、そこでぶつかりあっていい考えが浮かぶ・・奥歯にものの挟まったようなことではじれったい・・・
花は抜かれる以上にどんどん植えて、大切な花には私なら柵を作ってしまいそう。
やっぱり同居は・・・。
全否定するつもりもなく
上手くいけばそれに超した事はない
のでしょうけれど、
やっぱり他人?。僅かなズレが、
塵も積もれば山となり
新燃岳のように噴火もします。
一呼吸おくもよし、
感情のまま口をつくのも
それはそれでいいのではないですか?
一件落着しているようですし。
それはそうと山茶花、綺麗ですね。
花木を植える事の出来る
庭がある事が、うらやましい(笑)。
義母のみの尺度で判断した彼女流の「断捨離」なのかな、とも思いました。
ずっと家にいることの方が好きで、当然視野も狭いです。
でも根が明るくて天然なので子供っぽいところのある人で、認知症にはなりにくいタイプかもね~。
親が絡んでくると余計にややこしいことになるよね。
子供たちだけの間の問題でも、それが元でいじめになったり、ひいきみたいに言われても困っちゃうものね。
誰がどう見てもおかしいことは、ストレートに言ってもいいのかもしれないけど、難しい問題は、なぜそう思ったか、聞き役に徹する方がいいこともあるよね。
結論は、それぞれがじっくり考えて自分で出すのが一番だもの。
指導する側としては、何があってもずっと譲れない方針・・これだけを守っていけばいいんじゃないかな~。
家庭内の揉め事と、会社、団体内での揉め事は、全然違うからね。
なんでも先に行ったほうが勝ちになってちゃおかしい。
言えなかった方の「思い」を出させるのが、きっとげっくんたちの仕事でもあるんだろうね。
お疲れ様です
墓参用の花をお店で買わない、ということに執着心がすごく強いように思います。
最近も初めて咲いた2輪のキンセンカを、早速お墓に持って行っていいか、って聞いてきて、
聞いてきたからまあいいんですけどね、それを切ったら後から続く他の蕾まで切っちゃうことになるよ、そしたら一つの苗で花一回で終わっちゃうかもしれないけど、勿体無くないの?
と言ったら、切るのを止めてくれました。
花のない時期まで無理して庭で何とかしようって、思うことないでしょ?
どこの家だって、お店で買ってるのが普通だって言ったら、それはわかってる、って言ってましたけどね・・。
一呼吸置いて譲っていることは、私だけでなく、義母の方にもあると私には分かっているので、お互い様ですよね。
そう思うことが出来るから、ずっと争いごとも起きずやってきたわけです。
これは嫁姑だけでなく、夫婦でも、親子でも同じですよね。
考え方に、冷静さとバランス、どうしても不可欠。
これからもバランス崩さないためにも、ここで時々発散させるね~^^
でも、言いたいことがあるのに、全然その素振りを見せないのも、ある意味罪とさえ思うことあります。
文句や不満、愚痴と取ればそれまで。
でも、意見、素直な気持ちと思えば、聞く側としても、たまには聞かせてもらった方がいいんじゃないかな、と思うけど、どうかな~。
ブログは、一呼吸置いていない書き方に見えても、実はすごく何度も何度も呼吸しながら温めながら書いたりしない?
でもそのくらいの慎重さはやっぱり必要なんだろうな、って思うよ。
あ・・そちら伺いました。
お誕生日過ぎちゃいましたね
今からでもいい?
おめでとう