ぬけヨガ神戸◎しちみのブログ ~猫とさかな通信~

神戸でヨガと畑、始めました♪
ヨガで深まる心地よさを共有したくてぬけヨガクラスやイベントしたり、畑で野菜を育てたり~◎

耳を澄ます

2015-12-13 | 神戸でぬけヨガ
こんにちは!
ぬけヨガ神戸のしちみです♪

この間、
早くに目が覚めた朝に、
思いつくまま自然な流れにのって身体を動かしていたら、
なんだかものすごく気持ちのいいヨガができました◎

すごいわ、わたしっ!!

……でもね、再現できませぬ~(笑)。

また早く目が覚めたときに、
はんぶん夢の中でやってみようと思います☆


そういえば、
わたしがヨガTT(ティーチャートレーニング)を受けようと思ったのは、
こんなふうにふと動きたくなったときに、
自分でヨガができるようになりたいな~♪
と思ったのがきっかけでした。

好きな先生のヨガを受けるだけでも充分だけど、
それを家でやろうとしても、
さっぱりできない。
知っている動き(アーサナ)を組み合わせても、
なんだか体操をしているみたいで、
"あの心地よさ"には近づけない。

自分でも、ヨガを組み立てられるようになりたいな~♪


と同時に、
ヨガの先生から断片的にきく"ヨガ哲学"みたいなものも
体系的に学びたいなと思ってのことでした。


なんていうか、始まりは、
"教えるために"とかではなかったのです、
ティーチャートレーニングなのに、
申し訳ないことに^^;;


わりと気楽にTTのドアを叩き、
どんな人たちと会えるのかなと見回してみたら……

半分以上が、すでにヨガを教えている人たちでした。
まだ教えていない人たちも、
ほとんどが、すでにヨガ哲学など学んでいる人たち。

どどどーすんのよ……わたしっ!?

「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ~♪」
な状態で始まった、ヨガTT。


ま、なんやかんやありつつ(笑)、
200時間かけて、たくさんのことを学びました。


そのなかで、
どうしても"もやん"としたままのことがありました。



ヨガを通して、
「穏やかになる」
「穏やかに生きる」



わたしだって穏やかな人は好きですし、
穏やかな場や
穏やかな雰囲気も好きです。

穏やかな海を眺めたり、
穏やかな春の1日をのんびり過ごすのは
なによりの大好物◎


でも、
穏やかじゃない人もわたしは好きだし、
ときには穏やかではない場も心地よかったりする。

激しい波の打ちつける海も、
冷たい風に樹々が揺れている日も、
やっぱりわたしは好きだったりするのです。


わたし自身、
本当に自分が穏やかになりたいのかどうか……
判然としません。


たとえば、
もともと比較的穏やかなタイプの人は、
穏やかでいることにウソはないのでしょうし、
気持ちがざわめいたり、
稀に怒りに突き動かされたりしたときに、
いつもの穏やかな状態に戻ろうとする努力には、
エネルギーや労力は必要だとしても、
ムリやウソはないのではないかと思うのです。


わたしが人からどう見られているのかはわかりませんが、
わたしは気持ちが穏やかなときも、
心の中ではひっきりなしに、
それはもう"いろんなこと"を感じています。


たまに
「温厚な方ですね」
なんて言ってもらうと、
「あーまだわたし、猫かぶってるからな~」
なんて思いつつ、
穏やかそうに微笑んでみたり…(笑)。
(ウソくさい~笑)


心の中で受け取るものの多さ、
振幅の激しさに、
しんどい想いをしていた時期もありました。

あんまりしんどいものだから、
あまりいちいちものを感じ取らないようにしようと
意識して感覚や神経を閉じるようにして、
受け取るものや反応する心をセーブしていた時期もあります。

だけど、
そこにはまた違った"しんどさ"があり、
なんとなく、
半分くらい、
本当には生きていないような感じがしたりもして、
「これは違うな」と思い、
またいろんなことを受け取り、
感じるようになりました。

いつからか、
揺れ動く自分の感情を
おもしろがって眺めているもうひとりの自分がいたりもして。

どんなときでも客観視しているもうひとりの自分がいることに、
悩んだりした時期もあったな~。。



で、です。
わたしは、穏やかになりたいのか。
ヨガを通し、穏やかに生きたいのか。

ヨガTTが半分以上進んでも、
なんとなく、
もや~んとしたままでいました。

それがあるとき、
TTを通じてアウトドアヨガを実践している先生と出会い、
ヨガを感覚的なことばや
スピリチュアルな側面からではなく、
理論的に明解に考える方法を教わり、
分析して腑分けして組み立てていくと……
行き着く先はやはりヨガ
という体験をしました。

これはわたしにとってものすごく新鮮な体験で、
身体や脳の細胞が、
一気に沸き立つ感じがしました。


その直後にたまたま観た何本かのドキュメンタリー映画、
初めて会った人との何気ない会話のなかでもらった大切なヒント、
ふと思いついてやり始めた砂浜での月夜のひとりヨガ、
TTで学んだ瞑想、
なぜか登ることになった山。

山で出会った人の不思議な話、
新しく出会っていくひとりひとり、
いままでに出会ってきたひとりひとり、
あのとききいたことば、
畑での対話、
自然のめぐり。

………いろんなことが次第に結びつき
だんだん、だんだん
もやんとしていたものが薄れていきました。


いまも、
わたしは「穏やかな人になりたい」のかどうか、
判然としていません(笑)。
(あ、とはいえ"激しい人でいたい!"とかは思ってないんですよ?)
(できれば「自分もまわりも楽しくいたいなぁ」と思っています、ホントですってば…笑)



ただ、
いまは、
耳を澄ましています。

楽しいときも、
ちょっと緊張したり、
浮かれているときも、
ふっと一瞬、静かになって
耳を澄ます。




何かあって心が乱れたり、
想いが囚われているときに、
そうだ、いまはどうかな?と
耳を澄ます。




耳を澄まし、
わたしの声が
調和しているかどうか
聴いてみる。

わたしがいまここにいることが、
どこか遠くて近い何かと調和しているかなと耳を澄ましていると、
ほんのすこし、
調律されていくような……

「合わせる」のではなく、
「合っていく」ような……


それが、
いまのわたしのヨガなのかな、
と思っています。


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